ロンドン ・ブックフェア 2024
2024年3月12〜14日の3日間、ロンドン・ブックフェア(以下、LBF)が開催されました。例年であれば4月開催なのですが、今年はボローニャ・ブックフェアと入れ替わる形で3月の開催となりました(ボローニャ・ブックフェアは来月開催)。以下、現地で見聞した内容をご報告いたします。
影響力を増す「BookTok」
TikTokは世界154カ国・75の言語で利用されているグローバルなSNSです。月間10億人ものアクティブユーザーを誇り、世界のトレンドを牽引するSNSに成長しました。10〜20代の若い世代を中心に人気のあるSNSですが、最近では徐々に年齢層が広がってきているようです。
TikTok上で#BookTok というハッシュタグをつけてさまざまな本を紹介したり、レビューをするコミュニティを「BookTok」と呼び、このBookTokの影響で、「若者は本を読まない」という定説を覆すかのように、若い世代(とくに女性)を中心に読書が活発になってきています。
興味深いのは、BookTokでは新刊に限らず、古典がにわかに復活したり、ニッチなジャンルでも国境を超えてコミュニティが形成されたりと、売り手である出版社側の思惑を超えた現象が頻繁に起こること。
TikTokは他のプラットフォームとは異なり、ショートムービーで瞬時にインパクトを与えることができるため、視聴者も「この本、読んでみたい!」との衝動に駆られたり、「私もこの作品大好き! 誰もわかってくれないと思ってたけど、ようやく仲間が見つかった!!」とつながりやすいようです。そして、他のSNSよりも「トレンド」が広がるスピードが圧倒的に早い。
ロマンス小説家のColleen Hooverのように、セルフパブリッシング(自己出版)でデビューした無名著者がBookTokでバズり、世界的ベストセラーになる例も珍しくありません。BookTokで話題になった本がニューヨークタイムズベストセラーリスト入りする流れも出来つつあり、2021年にはBookTokがアメリカで約2千万部もの売り上げに貢献したとも報告されています。これまでは出版業界側が主導してきた本の話題作りが、少なくとも若い世代の間ではBookTokにとって代わられている感じさえします。
中国政府による情報収集を懸念し、米連邦下院は動画投稿アプリTikTokのアメリカ国内での利用を禁止できる法案を13日に可決しました。図らずも形成されたこの巨大な読書コミュニティはこの先どうなっていくのでしょうか。
人工知能(AI)にって激変する出版の形
オーディオブックの世界市場規模は2022年に53億6490万米ドル(約8000億円)となり、2023年から平均成長率26.3%で拡大した場合、2030年には今の市場規模の倍になると予想されています。
オーディオブックの制作にはそれなりに費用がかかりますが、音声生成AIの進化により、中小出版社や個人でも安く、手軽にナレーションを制作できるようになってきました。また、紙の本ではなかなか売りづらいバックリストや、すでに故人となっている作家の作品をオーディオ化することにより、出版社にとっては新たな収入源となり得ます。
最近では、故人となった著名人の音声を生成し、オーディオブックのナレーターを務めてもらうことも可能になりつつあります。
このように、一度市場から消えた作品や、故人となった作家の作品、さらには亡くなった著名人(の声)を蘇らせてオーディオブックを制作することも可能となる一方で、これらは倫理的に許される行為なのか、あるいは法的には問題ないのか等々、あらゆる面で対応が追いついていません。
話は逸れますが、イギリスとシンガポールを拠点に出版活動を行うMonsoon Booksの代表の方からライツカタログを頂きました。ご本人と娘さんが大の鳥好きだそうで、長らくマレーシアやシンガポールに住まれていたことから、このようなカバーデザインにされたとのこと。
「とてもインパクトのある素敵なデザインですね」とお伝えしたところ、「ありがとう。デザインAIにイメージを伝えたら一瞬でこのデザインを作ってくれたんだよ。あまりに簡単でお金もかからないのはいいんだけど、AIがデザイナーの仕事を奪っていると考えると複雑だね」と苦笑い。
もちろん、デザインだけでなく、翻訳や文章生成、あるいはコンテンツ制作以外にもマーケティングやパブリシティに至るまで、AIが手がけられる領域は多岐にわたるため、LBFではさまざまなセミナーやディスカッションが行われました。
日本の作品がイギリスで人気急上昇
2023年にイギリスで(マンガを含めた)翻訳出版された著者別の売上げランキングのトップ30人中、17人を日本人著者が占めたと報じられていました。また、同年のベストセラーランキングのトップ20中、9タイトルを日本の作品が占めたそうです。
川口俊和の『コーヒーが冷めないうちに(英語版タイトル:Before the Coffee Gets Cold / translated by Geoffrey Trousselot )』は2019にイギリスで発売されて以来、毎週500〜900部コンスタントに売れ続けていたのが、2022年に入ると、1500〜2000部/週で推移、いまはイギリスで最も売れている日本の小説として認知されています。
『コーヒー〜』以外にも、「純文学」ではない日本の“cosy Japanese fiction”は、有川ひろ『みとりねこ(英語版タイトル:The Goodbye Cat / translated by Philip Gabriel )』、青山美智子『お探し物は図書室まで(英語版タイトル:What You Are Looking for is in the Library / translated by Alison Watts )』、夏川草介『本を守ろうとする猫の話(英語版タイトル:The Cat Who Saved Books / translated by Louise Heal Kawai )』等もイギリスで売り上げを伸ばしていて、Waterstonesや他の書店でもよく目にします。
長らく続いた村上春樹一強の時代から、今は新たなフェーズに入ったのかもしれません。
日本の作品の人気を支える文芸翻訳家たち
日本の小説の英訳で最も活躍されている文芸翻訳家の一人、Polly Bartonさんとも会場でお会いしました。
Polly Bartonさんは2012年、第1回JLPP翻訳コンクールで最優秀賞を受賞され、有吉佐和子『非色』の英訳で2016年度Kyoko Selden Memorial Translation Prizeを受賞。窪美澄『ふがいない僕は空を見た』の英訳で2017年度PEN/Heim Translation Fund Grantsを受賞。松田青子『おばちゃんたちのいるところ』の英訳が世界幻想文学大賞・短編集部門を受賞。他にも訳書に、柴崎友香『春の庭』、山崎ナオコーラ『Friendship for Grown ups』等、多数あります。
数年前に文芸翻訳家になるまでの経緯を含め、小社にコラムを寄せていただきました。
https://www.trannet.co.jp/tntsushin/2018/0109pb.pdf
英語版『バター』の成功により、現在、さまざまな言語圏から数多くの問い合わせが寄せられているようです。
Lucy Northさんとも久しぶりにお会いしました。
2019年に今村夏子の『むらさきのスカートの女』が芥川賞を受賞。このダークでコミカルな中編はLucy Northさんによって翻訳され、翌年、アメリカではペンギン・ブックスから、イギリスではフェイバー&フェイバーから出版。その後17言語23の国と地域での翻訳版刊行が決定しました。『むらさきのスカートの女』の文庫版が朝日文庫から出版された際には、文庫解説をLucy Northさんが担当されました。
https://note.com/asahi_books/n/n36755c93ac5b
Arthur Reiji Morrisさんとは昨年初めてお会いし、今回お会いするのは2回目。李琴峰氏の『独り舞(英語版タイトル:Solo Dance)』の英訳で文芸翻訳家としてデビューされ、昨年は小社の英訳のお仕事も快く引き受けてくださいました。
日本人の母親とイギリス人の父親を持ち、イギリス在住の大学院生であるMorrisさんですが、18歳になるまでほとんど日本語に触れることはなかったそうです。そこで一念発起して自ら日本語学習に取り組み、日本の大学に留学して日本語や日本の文化を吸収されました。とにかく好奇心が旺盛で、バンドで音楽活動に勤しんだり、李琴峰氏の作品にも影響を受けて、今年は台湾に語学留学もされる予定です。
このように文芸翻訳家が活躍する一方、翻訳家の地位や仕事の条件面では課題が山積しています。
韓国の本の英訳で活躍されているAnton Hurさんは文芸翻訳家にもエージェントが必要ではないかと訴えていました。個人の翻訳家が出版社と契約を結ぶ際、契約の内容が妥当なのか、慣れていないと翻訳家にとって不利な内容になっていることに気がつかず、そのまま契約締結することもあります。
ちなみにイギリスやアメリカで文芸翻訳に支払われる印税率は日本に比べて圧倒的に低いようです。日本では印刷部数に基づき平均5~7%くらいが平均かと思いますが、イギリスやアメリカでは実売部数に基づき1%ということも珍しくありません。まずはアドバンスとしての翻訳料が支払われ、本が出版された後は1部でも売れたら1%印税が発生する、という考え方です。
アドバンスとしての翻訳料についてもう少し詳しく説明すると、イギリスではTranslators Association が推奨している、1000ワード(仕上り)/£100(1万8500円)が一つの目安となります。アメリカでは、American Translators Association が推奨している、1000ワード(仕上り)/$150(2万1700円)が一応の目安となっています(あくまで最低料金)。
現実問題として、年に2〜3冊はコンスタントに翻訳しなければ、翻訳だけで食べていくのは難しいので、実際には多くの文芸翻訳家は他にも仕事をしなければならないという現状があります。
昨年末に、日→英の文芸翻訳家約10名に現在抱えている課題などを聴き取りしたアンケートがありますので、もしご興味がありましたら
chikatani@trannet.co.jp
までご連絡ください。
アジアの文学を世界に発信するTilted Axis Press
Tilted Axis Pressはイギリス人翻訳者のDeborah Smith氏が2015年に立ち上げた出版社で、彼女が英訳した韓国人作家ハン・ガンの『菜食主義者(英語版タイトル:The Vegetarian)』は2016年に世界で最も権威ある文学賞の一つであるブッカー国際賞を受賞しました。2019年には柳美里の『JR上野駅公園口(英語版タイトル:Tokyo Ueno Station / translated by Morgan Giles)』の英訳版で全米図書賞の翻訳文学部門賞を受賞。2022年にはヒンディー語から英訳されたGeetanjali Shreeの『Tomb of Sand / translated by Daisy Rockwell』もブッカー国際賞を受賞するなど、いまや世界で最も注目される出版社の一つとなっています。
2022年に退任されたDeborah Smith氏のあとをつぎ、Tilted Axis Pressのトップに就いたKristen Vida AlfaroさんとLBF後にお会いし、さまざまなお話をお伺いしました。
「Tilted Axis Pressは数々の受賞歴もあって大きな出版社とよく勘違いされているけど(笑)、フルタイムは私一人で、エディターを含めてその他のチームメンバーは皆んなパートタイマーなんですよ」とKristenさん。
イギリスでは上述したように翻訳出版が盛んになってきてはいますが、スモール・プレスやインディペンデント系出版社はいずれも助成金の支給が無ければかなり苦しいとのこと。翻訳出版は自国の作家の作品を出版するより3〜4割増しのコストがかかると言われているので、助成が必要不可というのも頷けます。
文芸翻訳家を積極的に育成するイギリス
元々イギリスの出版社のライツ担当者だったSean McDonaghさんとLBFの会場で偶然再会しました。
イタリアの作品の英訳者になるべく研鑽を積んできたというMcDonaghさん。「Emerging Literary Translators 2024」にメンティー(Mentee)として参加されたそうで、再会の記念に以下の冊子を頂きました。
このプログラムに参加するのに必要な提出物は
①レター:なぜあなたがメンターシップから恩恵を受けると考えるのか、あなたがメンターとメンターシップに何をもたらすことができるのかを明記したもの。
②履歴書:翻訳の仕事と経験を明記したもの。
③本の企画書サンプル(1ページ):原文、著者、原文文化だけでなく、翻訳の英語市場やターゲット読者層についても理解していると示すこと。
④2,000ワード以内の散文、または100行以内の詩や劇作の翻訳サンプル+サンプル翻訳に対応する原文。
プログラムへの参加が無事に受理された場合、参加費は無料。経費を賄うための奨学金と、その他の特典が支給され、その言語または分野のメンターとの6ヶ月間の個人指導を受けられます。
その他、ワークショップや講演会、オンライン業界イベントにも参加でき、サンプル翻訳を冊子で配布してもらえて、HPにも掲載され、
Society of Authors/Translators Associationの1年間の会員資格が与えられ、ロンドン・ブックフェアへの参加も出来るそうです。
このプログラムでは、メンターは翻訳の技術云々よりも、むしろ文芸翻訳家になるための心構えを確立することに焦点を当てた指導に重点が置かれているとのこと。
文芸翻訳家を積極的に育成するイギリスの姿勢は素晴らしいと思いました。
翻訳出版プロデューサー 近谷浩二
【取材協力】
Tilted Axis Press
Sean McDonagh
Arthur Reiji Morris
Lucy North
【参考文献】
The Bookseller March 12 2024
The Bookseller March 13 2024
The Bookseller March 14 2024