今になって思えば、無理して学校に行かなくてもよかった
不登校を選んだ方が、私にとって良い選択だったかもしれなかったな、というお話。
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振り返れば小学生から大学生まで、病欠以外で休んだことがなかった。中学に上がる前までは何かと病弱で、誕生日あたりになると決まって風邪で寝込んでいたが、中学に上がると寝込むことも少なくなり、高校では一年皆勤賞目当てにせっせと学校に通っていた。
ここまで書いた文章を読むと、まるで私が学校大好きだった人のように思えるから面白い。
大学は楽しかったが、小学校から高校まで、そんなに楽しさを感じられなかった。むしろ辛さを感じることの方が多かった。大学が楽しかったのは、それまでの経験を踏まえて工夫したことが偶々ヒットして上手く歯車が回っただけのことのようにも思える。
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どうして辛い場所に、居続けていたのだろう。
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我慢すること、それが常識。それが美徳。そんな風に思っていたのかもしれない。どうしてそうなったかは割愛するが、当時を振り返ると、辛い場所から離れるという選択肢が、頭の中からすっぽり抜けていた。
学校は、辛くても行くもの。そういう間違った固定観念を、正しいと思い込んでいた。今となっては恐ろしい。
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学校が辛いのに学校に無理やり行くとどうなるか。
私の場合は、ただ自分の椅子に呆然と座って時間を潰すだけだった。もしくはプリントの隅に落書きをしているだけだった。早く下校の時間が終わりますように、今日は授業で当たりませんように、今日は先輩に嫌味を言われませんように。クラスメイトに不快な視線を向けられませんように。授業には集中できず、得るものといったら自己否定感ばかり。休み時間は、突っ伏して寝たふり。
それってどうなんだ。
ストレスを浴びるだけという状況は、なんと生産性の無い時間の使い方だったのだろう。ストレスによって体調も万全でなかったことを考えると、無駄なだけではなく、むしろ損をしていた。
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高校の終盤になって、授業も選択制になり、周囲との関係性をぐんと薄めても問題ない頃になってようやく、自分のペースを掴めるようになった。授業はそこで学ぶものではなくテスト範囲を知るためのもの。授業以外の余暇で勉強を進めるために、時間が来たらそそくさと家に帰ること。無理に友達を増やさなくていい。そうやって割り切って過ごせるようになったことで、呆然と座るだけの時間を抜け出し、勉強の楽しさを知った。勉強の楽しさを知ったら、成績も信じられないくらいぐんと伸びた。親しくない人と無理矢理距離を縮める必要もなくなったので、本当に友人だと思える人が誰なのかが分かった。
でもその当時の状況って、家で一人で勉強していることと大して変わりがないのではなかろうか。それってつまり、無理して学校に行く必要は決してなかったのだ。
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もし、私が学校に行かなかったら。もし、辛いと思う場所では無いところでのびのび好きなことをして、学んでいたら。
もっと早い段階で、
勉強を好きになって、そのままの自分に自信をもって、ストレスから解放されて、健やかに過ごせていたかもしれない。
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今、学校に行っていないことで罪悪感を抱えている方、お子さんが学校に行っていないことで不安になっている方が、もしこの文章を読んでくださっていたら。
まず、不登校という状態に、罪悪感を抱える必要は決してありません。
一番大事なことは、大きなストレスとなっているところから離れて、安全な場所へ避難すること。
心と身体が健やかに、穏やかに過ごせる場所で生きること。
次に、学校に再び行くことがゴールではありません。
ゴールは一つではありませんが、私の思うゴールとは、自分自身がのびのびと過ごせる環境を見つけること。自立して生活できる術を身につけることだと思っています。
無理矢理学校に行ったところで、私のように、ストレスを浴びるだけの無駄時間を過ごすことになってしまう可能性があります。
最後に、これは不登校のお子さんをもつ保護者の方々にお伝えしたいのですが、学校に行っていないことを、本人に責めないでいただきたいと思います。
安心して避難できる場所が、家庭となるように。
※上記は、自分の意思で不登校を選んだという前提でお話しております。しかしながら不登校になった原因は人それぞれですし、中には学校にも家庭にも安全な場所がない方もいらっしゃるかと思います。そのような時は、どんな術を使ってでも、危険な場所から離れてほしい、と思います。それは逃げではありません。身を守るために必要なことです。
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今回このエピソードを書こうと思ったきっかけは、オンライン家庭教師を努めるJOYさんが立ち上げた私設コンテストでした。
企画をつくられたきっかけを見て、自身がいままでの人生で抱えていたもやもやとした気持ちはもしかすると、悩んでいる誰かが前を向くためのヒントのかけらになるのではという希望を見出しました。
大分端折って書いたものの、途中で書き進めることが少ししんどくなってしまい、昨日は文章の前半だけの公開にとどまりました。それでも読んでくださり、お声をかけてくださる方がいてくださったおかげで、最後まで書くことが出来ました。本当にありがとうございます。
この文章が、誰かの希望になるかは未知数です。しかし少なくとも、過去の自分自身を労わることができました。
これはきっと、この企画に参加しようとしなければ永遠に訪れなかった機会だったなと感じており、主催者であるJOYさんへ感謝の気持ちがこみ上げています。
不登校という括りではなかった者の一人の視点として、記憶にとどめておいていただけましたら、これほど嬉しいことはありません。