表現の権利と返答の義務
先日、友人がライブをする事になり比較的近場という事もあってお邪魔させて頂き拝聴した。
友人が歌を歌う人という事は理解していたけど実際に歌っている所を見た事がなかった。
厳密に言うと映像ではあるが本人が目の前で歌った事はない。
そんな中、実は密かに楽しみにしていたという事もあり夕方開演だったにも関わらず1日休みを取ってコンディションを整えていた。
そのライブはワンマンではなく他の仲良くしているというアーティストとの共演だったのだけれど結論から言うと圧倒された。
友人は普段から良くも悪くも表情や気分が変わらない。私に対してだけそうなのかは定かではないけれど基本的に他人に興味がなく楽しい事だけを追っかけて突っ走るタイプだった。
私はそう思っていた。
ライブでの表情の豊かさやMCの振れ幅、曲の終盤に向かっていくパフォーマンス、音に対する姿勢全てに圧倒された。
こんなにも笑う子だったのか。
こんなにも大衆の前でリラックスして面白おかしく話せる子だったのか。
そんなに苦悶に満ちた表情を出せる子だったのか。
そんなに楽しそうな顔ができる子だったのかと。
付き合いは5年程度、そんなに長い付き合いではないにしろ濃度密度はそれなりにあると思っていた。
私はライブ終演後、衝撃のあまり友人に歌上手だねと語彙力皆無でしか対応できなかった。
私は友人を知ったつもりでいた。友人の人間性や行動や主義や主張、崇拝する対象等あったがそれはあくまでも表面的な一部でしかなかった。
友人はもっと広い視野で大きくていろんな物を吸収し大人になったしっかりした人間だった。
共通の知人と帰りに食事を済ませ、なんて事はない世間話をした後はまっすぐ帰宅した。
だけど帰り道も思考が止まらない。あのライブ良かったなぁなんてそんな感想を伝えてはいけない。
今度はこちらの番なのだ。これは問われている。
『今日いろんな物を伝えた。いろんな物を託した。明日から頑張ろうとかそういう事ではなく今、君に何ができる?』
そう問われている。次に友人にお会いする機会があった時は答え合わせをしなければいけない。
いま私に何ができるのだろうか?
圧倒的な物を見せられ私は友人に何が返せるだろうか。
人の前に立ち人を魅了する事のできる人間の懐や深さ、熱量をこの年齢になって触れるとは思わなかった。
が、すごくいい経験になった事は間違いないのでこの思いをしっかり整理しなければ。
おそらくどんな感想を聞かせても友人はいつも通り感情が読み取れない無表情で「あぁそう」と返される事は目に見えてるけど。