トラファルガー リョー

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最近の記事

『1日という概念』 April/24/2020

 店の営業自粛して無収入引きこもり生活入って2週間が経過した。元々対人が苦手なコミュ障バーテンダーという非効率な属性なので、人に接しないことでバグが解消されるからか引きこもり生活が快適過ぎて、この騒動というかウイルスのタームが終わった時にシャバに戻れなくなるのではないかということの方が不安だったりする。  とは言え、収入がないため生存の危機を迎えつつあるという意味では、早く事態が収束向かって非効率な日常に戻ってもらわないと困るというのはある。  始めの頃は好きな時間に寝て起

    • 『しましまうまうまバーがうまうま』 April/26/2020

       ここ数年で一番、と言っていい。  パリッと軽やかなチョコの食感、チョコだけだと甘ったるくなりがちなところをさっぱりミルクアイスが見事に中和してくれる。いやむしろそのミルクアイスとチョコが合わさることによって絶妙に美味しさが増幅される。  決して嫌いではないのだけれど、チョコ系のアイスって食べ飽きてしまう。買う前から口の中がチョコになって、まだ食べてもないのに食べた気になっていらない、ってなる。  ところが、違うのだ、このしましまうまうまバーは。食べれる、いや、食べたい。まじ

      • 『平和を思う』 April/25/2020

        なにげない平和の大切さ。 こういう非常事態に何を守って何を捨てるか、平和は常にその選択を迫る。 平時に平和平和唱えてる奴らに限って、危機における選択を放棄して全て他人のせいにして文句ばかり言う。 平和を損なうのは戦争だけじゃない。平和とは常に危機の狭間にある儚いものだからこそ、それを続けていくために危機への備えと覚悟が必要なのだ。 美しい理想論唱えてるだけで守られる平和なんてない。むしろ理想論を掲げて声高に叫ぶ奴らは平和を維持する為の危機管理というコス

        • 『藤原製麺』 April/20/2020

           藤原製麺、という製麺メーカーがある。北海道の旭川で昭和23年創業の老舗だ。  その藤原製麺、即席麺も販売しているのだけど、これが本当に美味しい。とりわけ麺の美味しさは特筆もので、何も言われずに出されてたら生麺茹でたのではないかと言われても信じてしまうレベル。  詳しいことはもちろんわからないけど、藤原製麺の乾麺は、生麺を2日かけてじつぐり乾燥しているので、水で戻した時に生麺のような食感と風味を残すのだとか。  そんな藤原製麺の即席麺、関東地方ではあまりっ売っているところがな

        マガジン

        • 日記
          6本

        記事

          『雨に打たれて』 April/18/2020

           昼過ぎに雨が止み晴れ間が覗いたので、今日の夕陽は綺麗に染まるかもしれないと思いいつもの富士山ポイントへひとっ走り。  ありゃ、思いの外雲があるな。でもそれならそれで薄明光線綺麗に撮れるかもしれない。というわけで上下に伸びる薄明光線。  と、その時気づいたんですよね。  この雲の左側が発達してきてるな、と。  撮影始めた頃はこんな感じだったのが  こんな感じに。  下の方に降水層が見えるので、雨降ってるなー、とか思ってたらみるみるうちに広がってきて雨が降り始めた。  ま

          『雨に打たれて』 April/18/2020

          『家系ラーメン』 April/17/2020

           そんなに好きじゃないんです、家系ラーメン。  今となっては石を投げれば家系ラーメンに当たるというくらいにあちこちにある家系ラーメン。その発祥といえば今は横浜の岡野町交差点にある吉村家。  休みともなると100人を超える行列ができる、もはや聖地と言っても過言ではない状態。  そんな吉村家、僕が高校生の頃(30年前)は新杉田にあった。すぐ隣に新杉田ボウルというボーリング場があって、学校帰りに友人達とよく行ったものだ。30ゲーム耐久ボーリング大会とかやって、腹が減ると吉村家とい

          『家系ラーメン』 April/17/2020

          『日記というものを…』 April/16/2020

           男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。と言ったのは紀貫之。初めて読んだ時には、なんで男のくせに女のフリして日記書く必要があんねん、と思ったものだけど、漢文と仮名文字の関係や、歌人である貫之故の和歌とのつながりなど、その背景を知るにつけ「貫之、お前さんデキる子」と軽くリスペクト。  日記というと思い出すのは小学生の頃で、毎日日記をつけていた。と言ってもこれは、父の仕事の都合で1年ほど通ったオランダ日本人学校で毎日日記を書いて出さなくてはならなかったからで、決し

          『日記というものを…』 April/16/2020