次代へ継ぐ ー井波彫刻師・永田幹生
この記事では、伝統工芸のサブスク【TRADAILY】の作品と職人をご紹介します。
高い天井に、木製のコンテンポラリーな作品が並ぶ空間。
代々社寺彫刻を手掛ける永田社寺彫刻店・永田氏の工房だ。
伝統的な社寺彫刻を中心に依頼を受けていながらも、近代建築向けの作品も手掛ける永田氏の作品は、寺社仏閣とは全く違う現代的な空間に映えるインテリアオブジェのよう。
伝統的なものと前衛的なもの。2つの異なるジャンルを取り扱っているようにも見えるが、根底にあるものは何だろうか。
作品:桜さくら
立体的に彫りだされた桜と、板にくりぬかれたそのシルエットのコントラストが美しい。
下に向かい、立体の桜のある部分がスッと細くなっていく様は桜咲く花道のような、はたまた花吹雪の舞台のような。見る者の感性に訴えかけてくるものがある。
陰影の美しさを楽しめるように設計され、背面には和紙が貼られているため、後ろから光を当てると桜が舞う幻想的な世界が楽しめる。
ちょっと深「彫」り(Q&A)
春らしい作品ですね。なぜ桜をモチーフに選んだのでしょうか。
ー桜を使った作品自体は、海外の方への贈答品に持っていけるものという依頼で、小さなサイズの桜のスタンドを作ったことがあるのですが、それから、大小さまざまな桜モチーフの作品を作るようになりました。
井波彫刻は写実的な作品が多いように思いますが、今回の作品はシルエットを型抜きしていたり、面白い表現をされていますね。
ー写実じゃない形で表現するためには違う表現の仕方があるのではと考え、あえて写実的にはしませんでした。
今回の作品もとてもモダンです。近代建築関係の制作もされているということですが、どういったきっかけだったのでしょうか。
ー「自分の作品を新しい場所で飾ってもらうには?」ということが最初だったと思います。
例えばコンクリートの壁には木のあたたかみがあるものが合うのではないか、とか、どんなところで飾ってもらえるかを考えて作っています。
元々やっていた社寺彫刻は伝統的なものですし、建設会社の依頼で制作する立ち位置ですが、近代建築用の彫刻は自分の世界を自分の意のままに作ることができ、面白い。
でも、近代建築用の彫刻にも伝統的な仕事が生かされているんです。社寺彫刻で身に着けた伝統的な技法や図案、文様が基礎になっています。
町を見つめる
永田氏の活動は、彫刻師として作品を作るのみにとどまらない。
これまで地域の様々なイベントを企画し、町を盛り上げてきた。
一例を上げると、南砺市で4年に1度開催される「南砺市いなみ国際木彫刻キャンプ」で小学生たちと間伐材を使用したトーテムポール作り。瑞泉寺から本町通りまでベンチを作って座るというベンチの最長ギネス記録への挑戦。また、祭りの際は子供たちに仮装神輿を曳かせる等、町の人達を巻き込んだ企画を立ち上げてきた。
(トーテムポールの企画を通すのは学校の都合もあり諸々大変だったそう!)
また、現在は『木あそび工房』という団体のメンバーとしても活動をしている。
木あそび工房は、彫刻師とまちの有志による異業種混合団体で、井波彫刻の保護・育成を目指して結成された。2023年には、北陸コカ・コーラボトリング株式会社らと協働で、瑞泉寺前の自動販売機に彫刻を施した。
この事業は現在進行形で、次のコラボレーション先の自動販売機も決まっている。
また、木あそび工房は閑乗寺公園を中心に、木彫刻体験教室を年に5~6回ほどのペースで開催している。
体験教室に参加するのはファミリー層が中心。初心者でも作りやすく、自宅で気軽に使えるものを制作する。こうした原体験から、彫刻師が子供たちの将来の選択肢の一つになればと考えている。
※木あそび工房公式Instagram
永田氏は歴史好きだ。
古代から始まり、滔々と紡がれてきた歴史への思いは熱い。
上で紹介した『時空鏡』も、「古代から現代へ時を超えて継がれるものを伝える」という想いが込められている。
永田氏が地域のことで今気にかけているのは井波の歴史だ。
歴史の教科書や一般書籍では「いつ何が起きた」というような大きな事件は取り上げられているが、その裏で何があったのかということはあまり語られない。井波地域は、古くから朝廷とのつながりがあった。
しかし、遠く離れた井波がなぜ都と深いつながりを持っていたのか。
また、北陸一帯で信仰され、かつて一大勢力ともなった一向宗の拠点がなぜ瑞泉寺であったのか。
そういった、地域の歴史の裏側を説明できる人がいないのだという。
現在、瑞泉寺は山門のみが県文化財、他は南砺市の文化財となっているが、一部の棟の建築年数が文化庁の基準を満たせないことから国の指定有形文化財登録には至っていない。(※2024年4月時点)
2023年夏、富山県文化財指定に向けて2011年から開始した調査が完了。
さらに文化財指定に向けた調査のための要望書を提出している。
このような動きがある中で、これまで井波の町に対し瑞泉寺が担ってきた精神的、文化的な価値を再評価し、きちんと伝えていくことが井波彫刻はもちろん地域の存続につながるのではないかと永田氏は考えている。
次代へ
モダンな近代建築の仕事を手掛けたりしながらも、ベースにあるのは社寺彫刻で培った伝統的な技術や知識であるという永田氏。
社寺彫刻の仕事では新しい彫刻の依頼だけでなく、修復の依頼もある。
井波には連綿と継承されてきた技術と知識があるが、それも時代とともに失われつつあるという。だから、彫刻修復の専門家など、それを出来る人を育てていく必要があると語る。
それは、社寺彫刻に長く携わってきた永田氏だからこそ実感するのかもしれない。
井波彫刻の技術だけでなく井波彫刻の始まりである瑞泉寺を含む井波の歴史までも次世代にどう継承していくか。
永田氏から話しを伺っていて強く感じたのは、郷土愛を超えた熱いシビックプライドだった。その根底にあるものは、彫刻師としての誇りなのではないかと思う。永田氏としては特に地域おこしの先頭に立っていたというつもりはなく、ただ彫刻業界を盛り上げるにはどうしたら良いかという案を出していて、結果的にそれがイベントになっていったとのことだが、地域への愛なくしてできることではない。
井波には今、様々な人が集まってきて新しい取組が始まっているが、そうした空気を作ってきた中のひとりに永田氏がいるのではないだろうか。
プロフィール
1950年 井波彫刻師・永田草心の次男として生まれる
1976年 井波町庁舎ロビーパネル制作
1990年 井波彫刻協同組合 理事となる
1992年 ニュージーランドより木彫刻シンポジウムへ招待される
1997年 長命寺 向拝・蟇股、木鼻制作(兵庫県)
1997年 理照寺 本堂(大阪府)
1997年 万休寺 妻飾制作(広島県)
1998年 日工会会長賞受賞
1999年 理照寺 鐘楼堂制作(大阪府)
1999年 県展大賞受賞・県買上げとなる
2000年 恩智神社 拝殿制作(大阪府)
2001年~2002年 真経寺 本堂彫刻制作(北海道)
2004年 ハンガリー国際木彫刻キャンプへ招待される
2007年 黄梅寺 本堂・唐狭間制作(大阪府)
2008年 浄西寺 薬医門・蟇股制作(山口県)
2009年 大井神社 本殿・拝殿(京都府)
2011年 安楽寺 金剛拝殿(徳島県)
2013年 地蔵寺 位牌堂・欄間(長野県)
2015年 毘沙門堂 向拝木鼻(広島県)
2018年 明寿院 唐破風(京都府)
2020年 祭り屋台等修理技術者認定
※本記事は2024年4月時点での情報です。
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