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「どうしたい」と問われることが嫌いだ

友達やパートナーといるとき「どうしたい」と問われることが嫌いだ。
遊び先を決める時も ご飯に行くときも 自分の意見や感情を問われることが苦手なのだ。

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中学時代のいじめで自分の意志や感情など表に出すことが いかに相手に嫌われてしまうのか そして嫌われた先にどんなものが待っているのか。
それを痛感してから 自分の意見や感情を伝えるのが苦手になり いつかは自分の意見や感情がなくなり 目の前の相手が笑っていることが 相手の期待に応えることが一番大切になっていた。

先に伝えておくが大前提、仕事は別だ。成果を出す中でそんなことを気にしている暇はないしそもそも好かれるために仕事をしていない。だから、成果を出すために必要な発言は遠慮なくする。

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ただ友達と一緒にいる時やパートナーといる時「どうしたい」と言うのが 問われるのが 伝えるのが 非常に苦手だ。中学から抑え込む癖が染みつき 今となっては自分の想いなど思考など消滅した。

自分の意見や想いを伝えて 誰かに嫌われて 誰かが自分から離れていってしまうくらいなら 自分の感情など 思考などいらない。

だから今は感情を抑え込んでいるというよりかは思い浮かばなくなった。自分が何をしたいのか。自分は今どんな感情なのか。どうしても分からない。何も浮かんでこない。

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''言葉''というものがいかに巨大な力を持ち 簡単に人を傷つけうるのかを知っている。言葉1つでも同じような意味合いを相手が受け取るとも限らず 相手の世界には相手の世界があり 私には私の世界があり 共通している部分もあるが違う部分の方が多いことも知っている。

相手の心など言葉などいかに簡単に変わってゆくのか いかに簡単に人は離れていくのか知っている。

期待することは絶望することのはじまりだと知っている。信頼した先に裏切られたとき 自分がいかに立ち直れないかを知っている。

何かが始まってしまったということは終わってしまうという事を知っている。

新しく素敵な人と出会った時。大切な人たちと一緒に居るとき。大好きなご飯を食べる時。

いつも終わることを勝手に考えて、勝手に悲しくなる。

今あるものより いつか終わるであろうその時を見据えて傷つかないように。そんな自己中心的な 悲観的な そんな人間なのだから 友人やパートナーの顔色ばかり伺っていたし 今もどうしても癖で伺ってしまう。

考えすぎなのだろう。そもそも私の言葉1つなんかで人が傷つくなんてそんな影響力があるわけではないのだから思い上がりなのだろうと。

そんなことをつい ぐるぐる ぐるぐる 永遠に考え ついには抜け出せなくなってしまう。そして 自分の言葉や想いが消滅していく。

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でもそれでもきっといつかは、そんなこと全部ふっとばしてシンプルに

嫌なものは嫌だと。寂しいことは寂しいのだと。貴方が離れてしまうことが怖いのだと。それでも期待せず信じぬきたいのだと。好きなものは好きなのだと。愛おしいものは愛おしいものだと。美しいものは美しいのだと。分からないものは分からないのだと。

気軽に言えたら もう少しだけ生きやすくなる気がする。
もう少ししだけ みんなを愛せる気がする。
もう少しだけ みんなのことを 自分のことを信じられる気がする。

愛されたいという欲求にまみれたバケモノさえも抱きしめ 自分の中で無意識に消してしまった言葉たちを 想いを 大切に忘れずに 少しずつ言えるようになりたい。


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