23時50分。淡いピンク色のライトが照らしてあるドアの前で呼吸を整え 似合わない香水を身にまとい 口角を15度にあげる。 ドアを開けると「あおいちゃん、待ってたよ~」とお客さんに言われる。 ==== 以前までインターンと並行して ガールズバーでバイトをしていた。 理由はシンプルで「お金が必要だったから」である。 最初は抵抗があったというよりか、もう少し正確にいうと''水商売''と言われるものに対して嫌悪感を抱いていた。まぁそれは世の中が作り上げたイメージにそのまま私が
理想や夢を語るのが苦手だ。 地に足をつけて 現実と そこから手の届く範囲でしか 夢を描けない。 アフリカに行くのも 新しいコミュニティに所属するのも 旅に出るのも 何も怖くなく 挑戦と呼ぶにはあまりにも私にとっては簡単である。 ただ 一番苦手なのは 夢や理想を語ることだ。とんでもない夢を描いて 行動し続けている人や 幸せそうな人を見ると 誰に聞かれるわけでもないのに とめどなく言い訳が溢れてくる。 「あの人は 元々すごいポテンシャルを持っているのだから」「今の現状から考
「私とあなたはどこまでいっても 他人だよ。何も期待してないから 何も望んでないよ。」 大切な人に そんなことを口癖のように 伝えてしまう。 「もう少し頼っていいんだよ。寂しいよ。」 そんな素敵な言葉をもらうたびに 躊躇なくその言葉を消してしまう。 他人は他人なのだから。分かり合うことないのだから話す必要などないのだと。心の内を話せば話すほど相手に勝手に期待してしまう。そしてそんな自分が嫌になるのだから話さないほうが良いのだろうと。 でもそれでも同時に あなたと分かり合
友達やパートナーといるとき「どうしたい」と問われることが嫌いだ。 遊び先を決める時も ご飯に行くときも 自分の意見や感情を問われることが苦手なのだ。 == 中学時代のいじめで自分の意志や感情など表に出すことが いかに相手に嫌われてしまうのか そして嫌われた先にどんなものが待っているのか。 それを痛感してから 自分の意見や感情を伝えるのが苦手になり いつかは自分の意見や感情がなくなり 目の前の相手が笑っていることが 相手の期待に応えることが一番大切になっていた。 先に伝え
最高で最強なスタッフたちが大好きなので どうか自慢させてくださいな。 半分自慢で 半分みんなへのただのラブレターになってしまったよ。 初めてちゃんと話せた 完璧もんたく 初スタッフとして本当に大変だったね、本当にお疲れ様でした。 私は一番最初に裏方に回った時、本当にずーっとあたふたして大変だったので、それに比べていつも淡々として落ち着いているもんたく凄いなと思っていたよ。私もちょこっと手伝うタイミングがあったが、そんな時でもこっちを気にかけてくれて本当に視野が広くてそんな
エンターテイメントってすげぇのよ。 舞台を見終わった後、家のドアを開けると同時くらいに母に伝えた。 先日、尊敬してやまない友達のパフォーマンスを見に行ったのだ。コモンビートというNPO法人が運営している100人でたった100日間で創り上げるミュージカルである。 私は特にコモンビートに参加しているわけでもなく、団体と繋がりがあるわけでもない。(ので決して宣伝というわけではない)純粋に友達の輝いてる姿を見に行くのが楽しみでワクワクしながら会場に到着した。 ただ、最初の音楽
これは過去の わたしの ほんの些細な 父との備忘録 誰に当てるわけでもあなく私だけの為のもの。 朝5時半に起床して、6時には家をでる。そこには行ってきますという言葉もなく 見送る家族もない。父は月曜日,火曜日,水曜日は家に帰りテレビを見ながら母と私のご飯を作る。祝日と私が帰ってこないとわかると家には帰ってこない。 どこにいるかもわからない。おしえても くれない。 ご飯を作るときは、必ずテレビの音量を24とボリュームを大きめにしてバラエティを見ながら作る。無音なのが嫌らし
幾年かぶりに家族で話し合った。 父と母がリコンすることになったのだ。 リコンの経緯を父から聞き 色んなことを聞いた。 私は人は双方のバックグラウンドを知れば分かり合える術があるのだと信じていた。だから、どんな人とでも対話すればどうにか分かり合える点があるのだと思っていた。 だから、父の話を聞きながら兄や私が疑問に思ったことを聞いていた。そうすれば「なぜリコンしないといけないのか。」「父は今までどんな不満を募らせていたのか。」「私たちの何が悪かったのか。」がわかると思って
21歳はこんな感じで生きていけたらなぁと。 ネガティブなのです。ベース。 今まではネガティブな自分を見るとどうも嫌になるし、どうやってそんな自分が出てこないかどうやったらコントロールできるか沢山試して考えてきました。 そして21歳どう生きたいかを考えてたら 色のない自分を押し出すようなキラキラした言葉しか出てこず それにしようか迷ったけど ちょっと苦しい気がして。 だから、そのままでもいっか、と、一旦諦めてみると意外と楽になったのです。「自分はネガティブだから~」と言い
表題の通り、JK時代からから勤めていた株式会社キュービックを今年の4月に卒業させていただきました。 まだ18歳だったすぎる私をガキンチョを快く迎え入れてくださって、死ぬほど色んな方に迷惑をかけながらお世話になった会社。今も大好きで、大ファンな会社です。 働くということの基礎はもちろん教えていただきましたが、それ以上にキュービックではもっと大切な「人としての在り方」を教えてもらったと思ってます。 ここには書ききれませんが、私がキュービックで学んだ大切な4つのことを少しだけ
多くの人から聞かれる。 「ザンビア行ってからどんなことを学んだの?」 「どんな変化があった?」 そのたびに、ちょっと息苦しくなる気がして。 何か変化や学びがなくちゃいけない。 そんな風に思うと、あの美しかった純粋な感情が、光景が、少し薄れていくような気がして。 もちろん、多くのものを感じてきてたくさんの変化があった。 だからこそゆっくり自分の中で見つめて、ぽれぽ~れでちょっとづつ書き溜めたのでだいぶ遅くなっちゃったけれど紹介していきたい。 そもそもこの海外ワークショッ
なんかきれいなアウトプットを残そうとしたらうまく言葉が出てこなくて、早くアウトプットしないと感情がぽーんってどっか行ってしまいそうで。 きれいなアウトプットを出さなくていいんだよ~。 ぽれぽ~れ~って考えてたら自分の中でゆっくり不器用ながらバラバラに想いがあふれてきた。 ワークショップのことも書きたいけど、私らしいのはきっと一緒にあの空間を創り上げたみんなのことを書くことだし、私がそうしたいからみんなの紹介というかみんなを魅力を最初に伝えようと思う。 りりこりりこは、お
「写真」は自分の存在意義が確認できる、自己肯定ができる大切なツールだった。特に、「誰かの笑顔」を撮るのにこだわっていた。 誰かの笑顔を撮ることで、その誰かにとって少なくとも嫌われていない存在になれる。しかも、その人が喜んでくれれば自分の存在意義が生まれる。 だから、カメラのシャッターを切るたび不安でいっぱいだった。 「自分と一緒にいて笑顔が生まれなかったらどうしよう。うまく撮れてなくて喜んでくれなかったらどうしよう。」そんな気持ちでいっぱいだった。 そんな私が奄美一人旅で
旅で出会った大人達は口をそろえて 「仕事は辛いよ。」「大人は色々大変なんだよ。」と私に言った。 そんな言葉を聞くと、未来に対して段々希望を持てなくなった。 だからこそ 「仕事は楽しいよ。大人はええぞ。」って言える大人になりたい。 そう強く思った。 奄美で出会った仕事が辛い大人達これは最近、初一人旅で奄美大島に行ったときに体験したこと。 ゲストハウスという、宿泊部屋やリビングが共有になっている宿に宿泊した。 そこでは、沢山の大人(いわゆる社会に出て働いている方々)に出会っ
今年の9月からインターンに行っている。 学校が午前中に終わるので、その後に会社に行き週5で7時間働いている。 JKが4カ月間企業でインターンをして分かったことを書きたいと思う。 1 JKは最強のブランディングだった最年少で会社にインターンとして働いている私は、会社のたくさんの人に注目されるようになって気づいた。 「JKって最強じゃね?」と。 会社にJKがいる、と噂になりありがたいことに沢山の社員さんやインターン生に声をかけてもらえるようになった。 普通の大学生として入ったら
私には3つ上の現在20歳のお兄ちゃんがいる。 世界で一番尊敬しているし、最も頼りにしている人だ。 大事な事を決める時は必ず相談しているし、 恋愛に関しても滅茶苦茶話す。 お互い性格は全然違う。 だからこそ兄の考えが必要だし、兄も私の考えが必要だと思う。(少しはそう思いたい) 昔から何でもできる人だった。 いくつか出してみるとこんな感じである。 ・顔イケメン (高校の時、校内イケメンランキング2位) ・高校の時バスケ部部長を務める ・滅茶苦茶優しい ・ストイック ・人脈