情熱の行方
文章は自分の思考を映し出す鑑である。
最近感じている漠然とした思いに区切りをつけたい為、このnoteを書き始めた。結論がどう導かれるのかは、書き終わるまで、自分でもわからない。
私はある学生団体の副代表を務めているのだが、1,2年前まであった活動に対する熱量や情熱が、自分の中で薄まってきているように感じるのである。
なぜなのだろうか。
普通は最後こそ全力で過ごすし、そうであるべきなのだろうに。
自分の中でその違和感について色々と仮説を立ててみたので、それらを考察していきたい。
情熱が冷めてきた理由
1.仕事内容の変化
私は昨年度、団体内のプロジェクトリーダーを務めていた。
毎週毎週企画を考え、指示を出し、実行する。
精神的負担はあったが、自分が組織を動かしているという実感があり、充実していた。
新たな計画を立てて人を集めて実行するのは楽しく、非常に多くの経験値を得られた。
役職としてはステップアップし、現在は副代表である。
仕事としては、昨年のプロジェクトリーダーのような華やかさは抑えめである。
メンバーの管理や、大学との連絡とかそんな感じである。
仕事としてはやっぱり大変なのだが、昨年ほどのライブ感は少なく、そもそもそんなに情熱も必要ではない。
むしろ、根気がいる……。
2.研究室への所属
今年度から研究室に分属され、学生団体の活動と研究の両立を図らねばならない。どちらかを言い訳にして一方を疎かにしたくない。だが、上手くやっていけるのかどうか不安な感情は無視できない。
スケジュールもまだ定まっていないのも集中力を阻んでいる。
3.活動が一巡した
学生団体の活動1年目はコロナ禍で9月くらいからようやくスタートした。ようやく待ちに待った学生らしい生活の始まりである。
2年目も、すべてが新しい世界だ。
コロナ禍で活動が制限されて失われていた活動をどんどん復興させてきた(もちろんノウハウがなくて上手くいかなかったものもあったが)。
赤子が見るものすべてに手を伸ばして触れるように、学生団体以外の活動も、とにかく視界に入る面白そうなことを片っ端からやってきた(そのせいで2年生前期の成績はガクンと下がったが笑 ただ、成績以外のベクトルでは大いに成長できたので後悔は無かった)。
だが一方で、もう触れられるものはほとんど触れてしまい、大体のことが把握できてしまったため、まだ見ぬワクワク感や自分の可能性を試したい想いも最初に比べたら少し減ってしまったのかもしれない。
4.やりたいことが達成できた
私が副代表になってやりたいと望んでいたことを大体達成できたのも、この気持ちに影響しているのだろう。
私は自分が副代表になる前から、学外での学びの活動、企業と関わる活動、他大学との交流をいつか実現したいと考えていた。
そして、運の良いことに比較的早め、副代表に就いてから3,4か月後の、春休みになる頃には達成できたのだ!
それまで積極的に行動した結果ではあるが、これらの目標が達成された後、新しい目標というのを立てることができていなかった。
このまま惰性的に過ごすべきか?
以上の理由から(とりあえず眠たい今、思いついたのはそれくらい)私の中の情熱は冷えてきているのだろう。
かつての充実した日々や、目標の実現に起因すると考えると、案外この熱意の冷め方は悪くないかもなぁと感じた。
このまま楽な道を進み、そのまま引退するのも良いのかもしれない。
でもなぁ。
やっぱり、熱を持って何かを実現させる日々は、ベッドで惰性的に寝て過ごす日よりも、生きている実感がある。
自分の軌跡を眺めた時、なぜあの時あんなに頑張れたんだろうと、いつも嫌というほど怠惰な自分と比較し不思議な気分になるが、同時に自信も湧いてくる。
やっぱり自分は情熱をまた取り戻したい訳だ。
情熱を取り戻すには
情熱が冷める原因をいくつか挙げたが、結論、私は行き詰ってきたのだろう。
私が自身の可能性を広げる、成長するというフェーズは終わりに近づいている。
ならば、これまでとは違うところに活路を見出したい。
自分が行き詰ったとしても、これからの活動の主体となる1,2年生はまだまだ成長できるし、それが団体の可能性を押し広げていくことにつながる。
それならば、私は後輩たちの成長の糧としての役割を今後は積極的に果たしていくべきだ。
私が情熱を注ぐ対象を「私」から「他者」へと変える。
そしたらまた、自分の中からぐいぐい情熱を引っ張り出していけるのかもしれない。
そんな調子の良い結論を出したところで、このnoteは終わりにしたい。
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