
ムンク展に行けなかったこと
とても行きたかったのに、ムンク展に行くことができなかった。
最近、美術館に行くことかできなくなってしまったのだ。
時間をかけて電車に乗った果てに、長い長い列に並んで、その末大勢の人と同じ部屋に閉じ込められることを想像するだけで、辛い。
私が美術館で絵を観るのは、画集でわからない色調とか細部の描写とかを知りたいからなのに、絵の真ん前にいられる時間はごく限られていて、何を見に来たんだろう、とぽつんと我に返る瞬間があって、疲労感ばっかりが体の芯で脹れていく。
だから代わりに家でノラ・ジョーンズを聴いて、お茶を飲んでいた。私は意識的にぼーっとすることができない(常に何かを考えてしまう)ので、お茶を飲んでなるべく「ぼーっと」に近い状態を作っている。
東京は恐ろしい場所だ。新しいものを吸収するチャンスが多すぎて、つまりほとんどのやりたいことは達成できなくて、後悔が量産される。
開けられる扉がたくさんあることは、幸せだ。
でも開けられる扉のことを考えるとき、開けていない扉のことを考えずにはいられない。
ぴかぴかに晴れているのに洗濯物を干しそこねた日、日光に怠惰を責められるような気持ちになるのと、それは似ている。
手を伸ばせば掴めるものに、手を伸ばすエネルギーがない自分が、許せない。
だけど、そうだ、
私はお湯を沸かすことができるようになった。
去年は、たった数分やかんを見守る気力すらなかったのだ。
過ぎたものはもう手に入らないかもしれない、逃した機会はかえってこないかもしれない、
けれど。
それがなんだ!
私は今日、石油王と結婚せず、
私は今日、一秒も踊らず、
私は今日、釣り糸を垂らさなかった。
それでも、やかんで、真面目にお湯を沸かした。
小さい声で、
がんばれがんばれと自分にエールを送り、
料理をして、
駅まで走り、
朝から晩まで働いた。
今日も死ななかった、頑張って生き延びた、
だから偉い。とても偉い。
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