本当に叫びたいとき、私たちの声は役に立たない:『よこがお』レビュー
こと映画について、最近の私は嗅覚が鋭いが出足が鈍い。
『よこがお』は、予告編を観て「気になる」と思ったが決め手がなくって観ないでいた作品。
宇多丸さんのラジオ「アトロク」の映画評を聴いて、「ああ、なんですぐ観なかったんだ・・・」とすぐにチケットを予約した。
結論:
現時点で、今年ベスト映画タイです。
(もう1本は『愛がなんだ』)
観始め、「新しい眼鏡は度数低めでつくったからちょっと観づらいかもな~」なんて気が散ってましたが、後半はそんな雑念の入り込む隙皆無でした。
宇多丸さんの映画評と被るところ例によって多いのだけれど、まずはネタばれなしの感想を、それから、ネタばれありの感想を、書こうと思います。
最初は、ぜひネタばれなしで観てほしいです。
細かな襞が、この作品の美しさだと思うので。
~ネタばれなし編~
ざっくりしたストーリー
訪問看護師の市子は真面目な女性。
訪問先の大石家の人々にも厚く信頼されており、大石家の長女・基子、次女・サキの勉強をみたりもしている。
基子は、そんな市子に憧れ以上の気持ちを感じている。
ある日、大石家の平和な日常を揺るがす事件が起こる。
この事件は、市子をも「無実の加害者」にし、彼女の人生を狂わせていく・・・。
よかったところ①とにかくとにかく緻密な構成
前に恋人から「映画に無駄なシーンはない、すべて意味がある」と聞いてから、映画を観るときそのことについてよく考えるようになったのですが、この映画はそのお手本のような作品。
例えば、市子が基子・サキの勉強をみるシーンで、
サキが「なんで姉妹二人への連絡事項でもccじゃなくて一人ひとりにメールするの?」と市子に尋ねるところ。
市子は、「だってメールって、もともとはお手紙じゃない?」と答える。
この会話一つとっても、市子の真面目さや好かれるポイントがぎゅっと濃縮されてて、
「無駄が!隙が!ない!」と心の中で叫んでしまいました。
動物園での市子と基子とのやり取り、横断歩道、信号が青になったときの懐かしいような音楽、等々
「え・・・あの会話が物語をそんなに大きく動かしちゃうんですか!?」
「え・・・このシーンがこのシーンの前振りだったんすか!?」
という場面がもりもりで、一瞬たりとも見逃せず、退屈する時間はありません・・・!
よかったところ②
人間関係なんて、些細なことでぶち壊されると思い出させてくれるところ
映画の公式サイトに、深澤真紀さんとおっしゃるコラムニストの方が以下のようなコメントを寄せられています。
なぜあの時、きちんと話さなかったんだろう。
なぜあの時、あんなことを言ってしまったんだろう。
何度悔やんでも、狂ってしまった歯車は戻せない。
それでも私たちは、そこから歩き直していくしかないのだ。
市子さんが、あと少し早く話していれば彼女はあんな転落をしなくて済んだのかもしれない・・・
失わなくて済んだものがたくさんあったかもしれない・・・
でも、自分が彼女の立場だったらすぐに言うだろうか?
・・・と、
悶々と考えさせられるようなターニングポイントが映画の中にあるんですよね。
このターニングポイントの怖いところは、「些細なのに決定的な」ところ。
市子さんは悪くないのに、彼女が積み上げてきたものが一気に壊れてしまう。
ずっと一緒に働いてきた人も、これから一緒に生きていこうとしていた人も、みーんな離れていってしまう。
普段見ないようにしている人間関係というものの脆さを大写しにされて、ショックが大きかったです。
(つまりいい映画です)
私はテアトル新宿でこの作品を観たのですが、劇場にはこの映画関連の記事もたくさん貼られていて(ナイス!)、そのうちの一つ、たしかpen5月号で
深田監督はこう語っていました。
人間は闇を抱えるのが辛くて
信仰や家族に頼ってきたけれど、
各々が本質的な孤独の闇に
向き合わざるを得なくなってきたのが、
21世紀の現代でしょう
よかったところ③
「誰もが加害者になってしまう可能性」を提示しているところ
noteでも時々書いているのですが、最近の私は「無敵の人(※)」についてよく考えています。
※2ちゃんねる創始者の西村博之さんが考案した言葉。「(社会的にも経済的にも)失うものが何もない人」のことを指す。
西村さんは、「世間なんかどうでもいいと思ってる人にとって逮捕されることは抑止力にならないので、例えばうさぎを配って、彼らにとって守るべき存在をつくって、未練をつくったほうがいいのでは?」という提案などされていますね。
「無敵の人」をつくってしまうのは、「線引き」だと思うんですよね。
自分は「そっち」に行かないと思っている人がたくさんいるから、「無敵の人」はぼこぼこにされる。「1人で死ね」とか言われてしまう。
「普通の人」だった市子さんがどんどん周りの人に裏切られて変わっていってしまうところ、「1人で死ね」って言っている人にこそ、観てほしいな、と思いました。
私は、環境さえ整えば自分も簡単に人を殺すだろうなと思っていて、自分が「絶対に加害者にならない」とは到底思えなくて、だから改めて、この映画を観てよかったなと思いました。
自分の危うさに自覚的でありたいです。
その他、断片的なおすすめポイント
音が印象的な映画です。
(最近、生活音の増幅にこだわってる映画が多いな、と感じていますがこの映画もまたしかり、でした)
特に、自分の声で叫べない市子さんがどうやって叫ぶか。
聴いてほしいです。
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極めてリアルな設定なのに、時折突然ファンタジックなシーンが挿入されるのが印象的でした。
特に「犬」のシーンと「押し入れ」のシーン。
ファンタジックなのにあんなにはっきりとした手触りが残るのは、なぜなのでしょう?
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劇中、美術館のシーンで出てくるモンドリアンのひまわりの絵、検索しても出てこないのだけど・・・もう1回観たいです。
あんなひまわりの絵があるなんて。
表現の可能性の豊かさに打たれました。
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「謝ってくれ」と思うことももちろんあるけど、「謝るだけで許されようとすんなよ」と思うこともある。
謝る人が何度も出てきて、どうしても謝ることについて考えさせられました。
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筒井真理子さんはもちろん、市川実日子さんと池松壮亮さんも最高でした。
市川さん・・・悲しくてかわいくて怖い
(逆光になっているシーン、怖すぎ)
池松さん・・・安定のエロさ
(しかし最初あんなに警戒してる雰囲気だったのに
なんで心許していったんだろう・・・?
という点は謎)
~ここからネタばれあり編~
(鑑賞された方に読んでほしいコーナー)
私がこの映画を観て一番よくわからんな、と思っているのが
「市子さん→基子」の感情、です。
劇場に貼ってあった何かの記事で筒井さんも、「誰かに復讐する、ということはよっぽどその人に執着がないとダメで、そこが難しいと思った」というようなことを話していましたが、
(そして、市川実日子という女優の存在感が説得力になると思った、みたいな結論になっていましたが)
なんで市子さんが基子にそこまで執着するのか、やっぱりわからなかった。
基子が取材陣に話したことが市子さんの転落を決定づけた、とは思う。
でも、市子さんは基子自身にびっくりするほど興味がなさそうだった。
(彼氏と一緒に住めばいいじゃない、と市子さんが話したとき、基子が全然反応しなかったのを見れば、「彼氏を寝取る」ということがまったく効果的な復讐にならなそうだと気づきそうなもんなのに・・・)
もともと強く愛していた人を強く憎むようになる、ならわかるけれど彼女の中で基子はそんなに大きな存在であるようには思われなかった。
基子みたいなタイプの人(みんなと仲良くなれない、好きな人のことがとことん好き、な人)が復讐に走るならわかるんですけどね・・・。
事件が起こる前、市子さんが少しでも基子を特別視してそうな描写があれば、印象が違ったかも。
みんなに優しい人は、結局誰にも興味ないんじゃないかな~と思ったりもしました。
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