死にたいままで、野菜を摂ろう:『結婚の奴』
ときどーき思い出したかのように書いている、本の中の言葉を紹介するシリーズ。
恋愛が苦手な能町みね子さんが、恋愛抜き・肉体関係抜きの「事務的な、お互いの生活の効率性のためのような」結婚を、ゲイのサムソン高橋さんと実施する様子を描いたエッセイ、『結婚の奴』を読み終えました。 今日は、この本の言葉を紹介します。
思うところ、いっぱいいっぱいあって、感想を書こうと思ったんですが軸をうまくまとめることができず…でも一番心震えた個所はどうにか記録しておきたくて、久しぶりにこの形で書いてみようと思いました。
私にとって、結婚というものについて考える活動が半ばライフワークじみてきたから、ということもあったけど、本の購入の一番の決め手になったのは、能町さんにしか書けない雨宮まみさんのことが書いてあるらしい、という情報を目にしたこと。
「疎であり密な心地よい関係性」の友達同士であった能町さんと雨宮さん。
でも雨宮さんは、2016年、40歳でこの世を去ります。
信じられないとか、噓であってほしいとか、まったく思っていなかった。ものすごく強固に信じていた。亡くなった、ということを信じすぎていた。こんな知らせが噓のわけがないのだ。こんな悪質な冗談を言う人はいないのだ。絶対に本当だった。
〔中略〕
死にたい死にたいと言って周りの人にさんざん心配をかけ、迷惑をかけ、いつまでも死なない人がいる。それはとてもすばらしいことだ。それに対し、マジメに生きて他人にも真摯に優しく対応し、自分のつらい気持ちは奥底に押さえ込み、結果として死んでしまう。これはダサい。ものすごくダサい。生きたほうがいいに決まっている。
〔中略〕
「星男」に人も少なくなり、深夜四時を回るまで私はカウンターにいた。もう途中から酒はまったく飲んでいなくて、温かいお茶ばかり飲んでいて、だから私は生きられる。体が無茶をしないようにできていて、どんどんつまらなくなって、たくさん生きる。
私はとにかく雨宮まみさんのファンです。ご著書を全部読んだわけではないけれど、人生を救ってくれた言葉を5個挙げろって言われたら、絶対雨宮さんの言葉を入れる。
他の人が描く雨宮さんの話を読むと、また雨宮さんのことが考えられて嬉しいから、苦しくなっちゃうけど、読む。
能町さんはきっと誰かに安易に共感されることなんてこれっぽっちも望んでいないと思うけれど、能町さんの中の矛盾が、すごい「人間」で、ああ、愛おしいなあ、って思って、私はぼろぼろ泣いてしまった。
「お茶」で体を労っていた能町さんが、同じ本の中でこうも書いていたから。
一人暮らしが長引くと、自分のために何かしてあげようという気持ちがどんどん薄れてくる。
〔中略〕
自分のために料理を作ってあげるとか、自分のために掃除をしてあげるとか、私は自分で自分をそこまで価値がある人間だとは思えなかったのだ。
ネガティブが極にふれて死にたい気持ちでいっぱいになるとき、私は食欲がある自分のことが憎らしくなる。野菜が足りてないから今日は多めに…、とか、添加物を摂りすぎるとよくないから今日は自炊で…、とか思うと、なおのこと。
なんで死にたいのに健康を目指しちゃってるのか?
体調不良をそのままぶっ続けて、さっさと早死にコースを突っ走ったほうが、私の願いは叶うのに。ばかなんじゃないか、と思う。
生きるのが苦しいのによりよく生きるのを目指しちゃってる自分の、「生きたくなさ」が軽すぎて、説得力なさすぎて、むかついてくる。
でもやっぱりねえ、きっと本当は生きたいんだね。
ばかでもいい、軽くってもいい、むかついていても死にたい気持ちが消えなくてもいいから、野菜を食べよう。自炊をしよう。
結果的に生きてしまう私の、みっともなさを称えよう。
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