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自分らしさを大切にするキャリア形成|旅する暮らしをする元看護師の場合

スリランカの空気は、常夏の暖かさに包まれています。
日々30℃を超える気温の中で、木陰を歩くたびに、吹き抜ける風が心地よく、思わず立ち止まってその瞬間を味わいたくなります。
しばしば、そんな風に包まれていると、私の人生の中でどれほど大切な選択や変化があったのかが、ふっと浮かんできたりします。

病院での日々は、定期的に目標を設定する機会に恵まれることがよくあります。
「今年の目標は」
「将来的にどんな看護師になりたいか」
と問われ、その答えを自分の中で模索する日々。
それぞれが自分のペースで挑戦し、学んでいくことが求められます。
価値基準や思考は人それぞれ。多様性があって当たり前ですし、それでこそチームで協動していく医療の醍醐味です。
それでも、「井の中の蛙大海を知らず」と言うように、閉じた思考の中だけでは新たな発見は生まれないと感じています。
私たちの考え方の中にも、まだ見ぬ広い世界が広がっていることに、気づくことが大切だと思いました。

そこで、今日は私が新人看護師からホリスティックナースへと進化していった、その歩みについてお話ししたいと思います。

・ホリスティック看護に興味のある人
・キャリア形成に悩む人
・現代医療に疑問や違和感を持つ人

に読んでいただけると嬉しいです。

25歳で結婚、転職、マクロビオティックとの出会い

血液・リウマチ内科で多くの患者さんと出会い、あたたかい同僚達に囲まれ充実していた新人時代を終え、25歳の時に学生時代からお付き合いしていた方と結婚します。
幸せ一杯の新婚生活でしたが、すぐに彼に「糖尿病予備軍」の疑いが。静かな恐怖が私の心に広がり、彼の健康を守るために、食生活を見直す決意しました。初めて手にしたのは、流行の糖質制限の本でした。そこから始まった探求が、まさかの出会いを生みました。それが、マクロビオティックです。彼が少しずつ体重を減らし、糖質制限が効き始めました。しかし、私はどこか違和感を覚えていた。そんな矢先、出会ったのはマクロビオティックの本です。玄米や全粒穀物の持つ力、日本の調味料の力。読んでいくうちに、体の奥底で何かが共鳴するのを感じました。それは、まるで呼吸をするような直感でした。

マクロビオティックを学ぶ

すぐに料理本を手に入れ、調味料を集め、毎日、台所で新しい実験を繰り返す日々。半年が過ぎ、ひょんなことから1時間の距離にある料理教室を見つけました。それが本格的なマクロビオティックの学びの始まりです。

病院に戻り、看護師として働きながら、休日には教室で学んだレシピを再現する日々。植物性の出汁、圧力鍋や土鍋を使った調理、季節の野菜…。手間ひまかけた料理の中に、自然とともに過ごす幸せを感じました。梅仕事に味噌づくりなど多くの手仕事に、どこか温かく、心が満たされていくのを感じました。

しかし、ここでもやっぱり違和感は生まれてきます。学びを進めていくうちに、五行の理解に行き詰まりを感じるようになったのです。春は肝、秋は肺…自然のサイクルを感じながら料理をしていたはずなのに、どうしても腑に落ちない部分がありました。
それが、後にチェンマイで気功の師との出会いへと繋がっていきます。

西洋医学のへの疑問とヒーリングタッチ

こうしてマクロビオティックと出会い、自然思考の暮らしを初めていくと、それはもう病院の中は違和感だらけに感じるようになります。

なぜ胃腸が弱っている人に、常温のそれも糖質の多い濃厚流動食を与えるのか。余計に冷えて血流が悪化するのでは?
食欲が落ちているからアイスクリームで栄養補給?
これから手術をする先生が、コンビニ弁当でいいの!?

余計なお世話ばかりですが、それはもう悶々とする毎日です。
"医食同源"。ヒポクラテスの言葉を思い出しながら、私は思いました。
なぜ、現代医療はこんなにも食事の質を軽んじているのか。
そして、過剰な輸液によって苦しんでいる高齢者たちを目の当たりにし、
「こんなふうに生きてまで、私は生きたくない」
と言っていた言葉が、私の心に深く刺ささりました。
私が信じてきた医療ってなんだろう。本当に正しいのだろうか・・・。
その思いは、日に日に確信へと変わリマした。

ホリスティック看護との出会い

ホリスティック看護に出会ったのは、ちょうどその頃です。
西洋医学に疑問を持ちつつ、私は呼吸療法士、緩和ケアチームとして活動していました。患者さんの苦しみをできるだけ取り除きたい、その一心です。マクロビオティックを実践し自然思考だった私は、できるだけ薬に頼らない、そして地球環境にも配慮した自然な方法を身につけたいと考えていました。
そこで、米国で看護の継続教育の一環として資格化されていた、ヒーリングタッチのプログラムに出会ったのです。
科学の発展に伴い、アメリカでは医療と看護が科学的根拠に基づくものへと変化していく中で、おそらく私のように疑問や違和感を覚えた人がいたのでしょう。そのような流れから1980年代からホリスティック看護協会などが立ち上げられ、ホリスティック看護が概念化されていきます。
その流れの中で生まれていったのがヒーリングタッチです。
そうして30歳になったのを期に、総合病院を退職し本格的にホリスティック看護を学ぶことを決意しました。

ホリスティックナースを目指し、3週間のアメリカ留学へ

病院を退職後、早速アメリカに渡りホリスティックナースのもとで研修の日々が始まりました。ヒーリングタッチの研修に参加し、ホリスティック看護の姿勢を学んでい期ますが、そこで次に私を待ち受けていたのは、目に見えない「気」や「エネルギー」に対する大きな疑問でした。

エネルギーって何?気って何?目に見えないじゃない!


私は現在メディカル気功のインストラクターとして活動していますが、決して霊能力が使える未知のヒーラーではありません。
病院で働いていても、見えない人が見える!なんて力はありませんし、そもそも宇宙からのエネルギーとか大地のエネルギーとか、エナジーフィールドとか、目に見えないものに対する感度は決して高い方ではありませんでした。そのため、ヒーリングタッチを学べば学ぶ程に、違和感ばかりが強くなっていったのです。

そうした疑問と違和感だらけだった私が最終的に行き着いた先が、東洋医学をベースとしたメディカル気功でした。気功の師との修行の日々が、私の人生に新たな扉を開いてくれました。
そして、遂に東洋医学の知恵を学び、気功の鍛錬(笑)の結果、目に見えない”気”や”エネルギー”の世界を体性感覚として体感していくことになるのです。
私はようやく私が求めてきたものに出会ったような気がしました。
それは、まるで映画の世界にいるような日々でしたが、
確かな真実として、今この瞬間にだけ感じることのできる特別な体験です。本当に、人生は映画以上に面白い。私が今こうして旅する暮らしを実現するに至ったのも、
気功を通じて自分の心身の健康のバランスを整える術を身につけ、
自分を信じる力を培い、
小さな動きを続けてきたからだと感じています。
そして、もちろん今でも私の探求は続いています。

長くなってしまうので、続きはまた後日。
最後までお読みいただいて、ありがとうございました。

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