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当事者と第三者の曖昧な記録|山本華インタビュー
『SENSE ISLAND/LAND 感覚の島と感覚の地 2024』(2024年10月26日〜12月15日)にて新作を発表した4名の作家、濵本奏、前田梨那、松原茉莉、山本華。今年度は、「Wrapping Buoy (ブイを包む)」をテーマに、横須賀という地に浮上する時間や歴史の絶え間ない変化の標を、それぞれの表現から示している。インタビューでは、横須賀と作品の接点、歴史と記録の関係性、そして写真とは何を表現し得る手段となるのか、話を聞いた。
(インタビュー・執筆/酒井瑛作)
出展作品
《Third》
横須賀の対岸に位置する千葉県・富浦の一部は、外国船の侵入を防ぐ役割として、横須賀と同様に砲台が多く設置されていた。その場所では終戦までの19年間、学童のスケッチにすら検問が必要とされていた*。それが危惧していたのは、記録する行為か、見る行為か、あるいはその場に立ち入ることか、またそのすべてだろうか?見えるのに見てないことにするという体験は、自分にとっての写真、その中でも印刷されない白色箇所を光や空として認識する行為を逆に思い起こさせる。ただの白い紙は、それらが光を反射しているということだけが確実だ。しかし、それ以上に読み取ることができるのもまた確かである。
* 「大房岬の戦争遺跡を探る」 “昭和2年から終戦までの19年間、富浦の海岸一帯は「東京湾要塞地帯」となり、首都の守りの重要地点となりました。このため、町民は大房付近の漁場には近づくことができず、学童の写生にもいちいち検問許可が必要で、面倒な手続きのうえで、初めて野外写生ができました。
” https://www.mboso-etoko.jp/manabu/taibusa/ 南房総市のサイト本文より引用, 2024年9月30日最終閲覧。
スケッチと検閲の風景
──山本さんは、過去にも千葉を対象に作品を制作していたと思うのですが、横須賀から対岸にある千葉を選んだのはなぜでしょうか? 戦争遺構がある大房岬を選んだ経緯についてまず聞いてみたいです。
山本華:「Sense Island」への参加は3回目で、前回まではアメリカと日本の関係について個人のスケールから作品にしてきました。私のなかで、太平洋をまたいでアメリカと正対しているのが千葉という大きな関係図があります。1回目は、《The Naval Spectacle》というタイトルで、アメリカ軍の敷地内をツアーできる横須賀のクルーズを舞台に、その記録写真を用いたインスタレーションでした。2回目は、《M.M.S/Military Slang Sayings》という、アメリカ軍基地内で使われているスラングや、略された基地内用語を集めて作った単語長を勉強するという映像作品でした。アメリカと横須賀の関係に焦点を当て、フィールドワークをしているなかで発見した行為について過去2年間は考えてきたのですが、千葉と横須賀の関係については、作品を作りたいと思いながら、断念してきた経緯がありました。
──断念したのは、何か理由があったんですか?
山本:向かい合っているふたつの場所が、離れていながら見える距離にあることが面白いと感じつつ、私のなかでキーワードを選べずにいました。ただ、リサーチを進めていくなかで、横須賀の猿島と同じようにその地に入れなかった時期のある千葉の大房岬エリアを見つけて。条件的に類似したルールのある場所からはじめれば、横須賀の歴史や風景を別の角度から見ることができるんじゃないかと思いました。これまで千葉で作品を作ってきたので、自分がやる意味があると感じられたことも大事でした。
──大房岬は、日露戦争から太平洋戦争にかけて要塞化されていった場所ですね。外国からの侵攻に備えるような場所として作られたと思うのですが、今回はあくまで千葉と横須賀の間に焦点を当てているのでしょうか?
山本:そうですね。東京湾が横須賀を語るうえでまずあって、ただテーマとして大きすぎるので、千葉と横須賀をつなぐ東京湾フェリーや東京湾観音などを調べていたのですが、最終的には横須賀のほうを向いている地点である大房岬を選びました。アメリカとの関係については、ともとアメリカ留学をしていたことからはじまって、その経験を担保していたのが英語を勉強することだったと気がついたので、去年の作品で折り合いをつけられた体感がありました。
──東京湾のなかでの防衛拠点という意味もあると思うのですが、千葉に関心を持つのは山本さん自身が千葉出身だからということもあるでしょうか?
山本:はい、でも千葉のことで作品を作っているという意識はあんまりなかったんです。最近の気付きなんですよね。私が慣れ親しんだ土地にある埋立地とか高速道路とか、そういったものに影響されて、人工的な風景に関する作品を多く作っているなとわかってきて。大きなテーマは、「Artificial Nature」という言葉に近いところにあるのではないか、と。
──人工的な自然、ですね。大房岬もかつて要塞だった場所が、今は自然公園に変わっています。自然と言っても、かなり人の手が加わった状態だろうし、そのあたりの変化を捉えようとしたのでしょうか?
山本:建築や道の舗装をまとめて「ハード」と呼んでいるのですが、ハード的な変化というよりは、場所に立ち入る人の見え方の変化を捉えようとしました。デッサンをするためにも検問が必要だったという作品の起点になっている話があるのですが、面白いのは入ること自体は禁止ではなかかったことです。許可を取れば、地元の人でもデッサンができる。もちろん検閲はされて、見えていたものを見なかったことにしなければいけない、つまり描いてはいけないことがあるんですね。それが作品の大部分を占める余白の部分のイメージにつながるのですが、質問の話に戻れば、土地自体の変化ではなく立ち入る人と場所の関わりの変化に関心がありました。
──制度によって描けるものと描けないものがある、そのルールや検閲のあり方に関心がある?
山本:記録に対して曖昧な制限をかけられていた状態が面白いな、と。制限は、具体的な何かを写してはいけないということだったと思うんですよね。でも、具体的に何がダメとは言われてないから、空を見上げて雲を描くのはオッケーだけど、秘密にしたほうがいいであろう岸の様子はダメだとか。
──その曖昧さを作品に組み込もうと思ったわけですね。
山本:そうですね。見えているけど見えないことにしておく、見えているけど記録には残せない。そのことが、今回の作品の発端になっています。
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情報のない余白が持つ意味
──スケッチでは描けないことがあって、見えているけど見えないないことにされている。作品のイメージは、空が大きく写されていて、空白が大部分を占める構図ですよね。
山本:プリントを天井まで伸ばした歪な形にしたのですが、プリント自体が真っ白で何も写っていないけれど、風景において空であるということが担保されるような構造にしたかった。印刷していない面が多すぎるから、プリントしたとは言えないかもしれないのですが、そこに役割が与えられているということをやってみたかった。以前、透明なアクリル板にUVプリントした作品を制作したのですが、白い部分は透過している状態になってしまうんです。鑑賞者からしたらその箇所を通った光が認識されるので、その構造を紙でもやってみようと思いました。「見えているけど見えない」ことにもつながると思って、写真の白飛び部分を空として拡張させていました。
──海が見えて開けていることはわかりますが、どういう場所かを示すものはあまり写ってないですよね。このロケーションは、どうやって決めていったんですか?
山本:ロケーション選びに関しては、ひとつ作業を挟んでいて、スケッチをするときにどうやってモチーフを発見するのかを知れたら別の目を獲得できるのではないかと思って、YouTubeで調べてみました。そうすると、描き方はいろいろと出てくるのですが、モチーフの見つけ方については誰も話していなかった。それは個々人の勝手にすればよくて、誰かに教えてもらうことではないと解釈して、歩きながら撮影していくことにしました。現場を訪れて、公園内の至るところにあるトンネルや坂、林に挟まれて細くなっている道も普通に撮りつつ、作品には開けている場所の写真を選びました。
──それはやっぱり白飛びの空白を作りたかったからなのでしょうか。その場合、スケッチというよりも、カメラで撮ることが前提になっていますよね。
山本:そう思います。仮に大房岬のスケッチの話にもとづいて、自分なら何を描くかを思考実験的に制作に取り入れる可能性もあったかもしれませんが、自分が描くスキルを見せたいわけじゃないし、それは写真も同じで、上手い写真を撮る必要はまったくなくて。白飛びと印刷面の余白が持つ意味を探ってみたかった。
──白飛びのある風景が人工的な自然の風景とも言えますよね。余白に別の意味が生まれると、大房岬を撮影したこととどのようにつながってくるのでしょうか?
山本:答えにはなっていないかもしれませんが、横須賀とは別の場所として存在している大房岬を紹介することで、何かを端的につなげることができるかもしれないと考えていました。だから、もしこの作品を千葉のどこかで見せるとしたら、別のアプローチになるか、別の作品を作っているかもしれません。やっぱり横須賀に向けて見せるということが、前提にあります。参加作家の多くが横須賀について調べるなかで、私は横須賀から横須賀を見るのではなく、遠くから横須賀が見えてくるような作品を作りたいというモチベーションがありました。
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リサーチと写真の接続と切断
──タイトルの《Third》は、「第三者」の視点みたいな意味なのでしょうか?
山本:横須賀が当事者で、そこに訪れて関わる人が2人目で、私の作品は横須賀とは直接的に関係のない土地です。ただ、完全に離れているわけでもなく、かつては強力に関係しあっていたということがあります。第三者と言うと離れている気がしますが、それでも1、2、3と連なっていて、離れているのに繋がっているようなイメージでタイトルをつけました。
──第三者は、関係のない他者じゃないですか。山本さんは、そこに切断と接続の両方を見ていて、その中間を探ろうとしている感じはしますね。
山本:完全なる別物でもなくて、あるコンテクスト内ではつながっているということですね。
──なるほど。山本さんの制作方法は、事前にフィールドワークをするなどリサーチベースのアプローチから対象と関わっていくものだと思います。一方で写真に関しては、スナップ的に撮影している。リサーチ的な第三者視点とスナップ的な当事者的な視点が混ざっているのが、山本さんの制作のスタイルなのではないかと思いました。そのふたつの関係についてはどう考えていますか?
山本:自分の行っていることはリサーチと呼ぶべきではないと考えていて、今はリサーチという言葉は使わなくなりました。自分の着眼点をいかに発展させるかという過程では、調べ物をしたりお出かけしたりしています。でも、フィールドワークが私の手法のひとつであるのは確かだと思います。フィールドワークでは、作品のどこに自分がいるべきなのかを見つけたり、何が嬉しいのかを見定めたりしていますね。スナップ写真に関しては、身体の動きや視覚から得られる体験に近いものとして使用しています。そういう意味では、ふたつの手法を行ったり来たりしながら作品を作っています。ただ、写真とリサーチは、本来バラバラなものだと私は思っていて、そのふたつをつなげたり切り離したりしているのは、プロセスや思考回路を知っている人だけのような気がするんです。
──リサーチという形式を通じて客観的なもの、もしくは公的なものを示すのは、どこか限界があるんじゃないかということですかね。
山本:なぜ自分がそれをやるのかという、コンセプト以前の自分自身のモチベーションがふたつをつなげているのだと思います。別物だからこそ、なぜやるのか、やると何が起こるのかという点に何度も戻るようにしてますね。モチベーションの確認と実践を反復していった結果、自分の体感と好奇心を端点にあらわす視点が抽出される。なので、フィールドワークが得意というよりは、視点を抽出するのが好きみたいな感覚でいます。
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──リサーチとしてやるなら他にもっと適した方法があるかもしれないし、客観的な記録として何かを証明するのではなく、逆に何を写真で見せられるのかということも考え直せると思います。
山本:「真実を写せるか?」という陳腐な問いは一旦置いておいて、写真が私的な記録メディアだとしても、体感にもとづいて作った作品はある種の社会を反映しているとも言えるはずなんです。自分はどう見えているかをあらわすために、イメージに関わるインターフェースやスクリーン、プリントについて考えることもできます。そこに写真の必要性を私は感じます。
──大房岬の話に戻れば、「見えているけど見ないことにしておく」という態度がかつては公的に求められていて、それを山本さんの私的な好奇心から撮影した。その作品はコンテクストによって、当事者的な視点で眺められたり、第三者的な視点で眺められたりして、どちらの状態もあるということにしておけるのが、今回の作品なのではないかと思いました。
山本:おっしゃる通りです。現地に行ったことで、求められていた見え方と実際に見えてくるものの乖離や差異が面白く感じられたところからモチベートされたところがとても大きかったです。
山本華/Hana Yamamoto
1999年千葉県出身。2019年にニューヨーク滞在を経て、2022年に多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コース卒業。人間が物や風景と触れ合う接地点に関心を持ち、私生活やフィールドワークでの知覚体験を別のオブジェクトに変換する。写真の制作を背景に持ちながら、現在は映像や立体など、メディアを横断しながら制作を行う。主な展覧会に『Anima in the fog』(WALL_Alternative, 2024)、『Encounters in Parallel』(ANB Tokyo, 2021)など。2023年、BWA Wrocław Galleries of Contemporary Artが開催するアーティストレジデンスプログラム《Retreat Art Routes》 (ヴロツワフ, ポーランド)に参加。
https://hanayamamoto.com/
*展示の詳細は以下をご覧ください