TECHNOLOGY POPS的感覚で選出する「平成」ベストアルバム100:Vol.1【100位〜81位】
前回から始まりました平成ベストアルバム企画、これぞ自己満足の極みのような特集記事ですが、早速ささやかなレスポンスをいただき恐縮です。皆様の期待には余り応えられないと思う内容であるかと思いますが、気の向くままに続けていきますのでよろしくお願いいたします。
前回言い忘れておりましたが、このベスト企画はいわゆる「洋楽」は対象にはしておりません。私の特集を日々ご覧いただいている方はご理解されていると思いますが、日本以外の作品まで対象を広げてこの企画をブチ上げるほど、広く聴いておりませんし、それなら他のレビュアーの方々の企画をご覧いただいた方が有益であると思いますので、ご容赦下さい。特に「平成」という括りでは、もともと80'sに強いというご評価をいただいている当ブログの得意分野外であると同時に、日本の音楽をチェックするのに多忙となり洋楽まで手が回らなくなった時代ということで、一般のリスナーの方よりも詳しくないと思います。というわけで、毎回この前文では平成の時代に数少ない視聴から個人的によく聴いた作品を1枚ずつ(計5枚)挙げて本題に入ることにいたしましょう。
その1.「La fine delle comunicazioni」VIDRA(2016)
イタリアのルネッサンステクノポップバンド、VIDRA。メンバーの平沢進フリーク・Francesco Fecondo氏に直々にレビューされたことをきっかけによく聴き込みました。何といってもテクノポップなのにヴィオラ奏者がメンバーというのがイタリアですよね。「ルネッサンステクノポップ」という表現、見事に広まりませんでしたが、個人的にはヒットだと思っていたんですけど・・。
そのようなわけで、本題に入っていきましょう。いよいよ平成ベストアルバム100位から81位までのカウントダウンです。それではお楽しみ下さい。
100位:「INTERFACE」 M-AGE
(1993:平成5年)
1991年に世界的に大ヒットしたJesus Jonesの2ndアルバム「Doubt」はデジタルロックの先駆的存在として、日本の新しいアプローチを試みるアーティスト達にも影響を与えましたが、そのサウンドを色濃く反映していたのがM-AGEでした。
まだまだ20代の若手集団でいかにも粗削り、80年代デジタル系アーティストのラジカルなイメージとは真逆の街をたむろしているかのようなスポーティーなルックスと流行を先取ったKOICHIROの(江口洋介や木村拓哉よりも、遠藤遼一に追随するかのような)ロン毛、メンバーにDJが加わっているという新スタイルのバンドとして、90年代の幕開けとしては新しい時代の象徴的なイメージでした。
2枚のアルバムをリリースした後、ベースのKAJIWARAが脱退し4人体制となった彼らのラストアルバム「INTERFACE」は15曲入りの大作ですが、前作からのインターバルの間に何があったと思わせるほどの劇的に洗練されたサウンド面でのクオリティの向上を獲得しました(ミックスを担当したMIKE "SPIKE" DRAKEの貢献も大きいと思われます)。アシッドなシーケンスや疾走感のあるベース&リズム、MIYOKENのギターも重厚さを増して、テクノ寄りのトラックとギターロック寄りの楽曲とのバランス感覚が絶妙です。
結局本作で解散してしまいましたが、ようやく彼らの先進的な音楽的志向とクオリティが追いつき3rdアルバムで最高傑作を生み出すことができたことで、本懐を遂げたのではないでしょうか。
99位:「гипноза [Gipnoza]」 核P-MODEL
(2013:平成25年)
2000年代に入ってから平沢進は、ソロプロジェクトでありながらP-MODELとしても許される攻撃的で過激なサウンドメイクを武器とする核P-MODELとしての活動を始め、2004年にアルバム「ビストロン」をリリースしましたが、次作まではそこから9年待たなければいけませんでした。逆に言えば一応継続的なプロジェクトだったんだ・・と安心したわけです。
今回はソロプロジェクトと言いながらも、P-MODELのオリジナルメンバーである田中靖美(「それ行け! Halycon」は初期P-MODELオマージュ)と宇宙人コンセプトバンドPEVOのギタリストPEVO1号という新旧の盟友をゲストに招き、話題性を獲得する抜け目のなさを見せていますが、やはり核P-MODELの魅力といえば、「白く巨大で」「Dμ34=不死」等で顕著な他の追随を許さない素っ頓狂で忙しないシンセサイザー&ギターフレーズに尽きます。しかもそういったサウンドでありながら普通にPOPSとしてまとめ上げる楽曲構築力が、彼が信者から愛されてやまない要因の1つであると思われます。
98位:「OPCELL」 OPCELL
(1995:平成7年)
OPCELLはKEN蘭宮こと山本寛太郎と、本田恭之(ex.GRASS VALLEY:現在は本田海月)、エンジニアの井上剛の3名からなるノスタルジックPOPSユニット。正直20年早かったと思わせるといいますか、リバイバルするのが早過ぎた感があるものの、紛れもないシティポップ、ある種の方々にアピールするならばLight Mellowな名盤です。
基本的にはほぼ全作詞作曲を手掛けるKEN蘭宮のソロワークス的で、特徴的なくぐもり感のあるヴォーカルや普遍的なメロディラインは好き嫌いが分かれるところですが、サウンドメイクとしては後期GRASS VALLEYのサウンドデザインチームであった本田&井上の貢献が非常に大きく、彼らによって劇的に確固たる世界観が構築されています。
注目すべきはやはり本田の繊細なシンセワーク。白玉シンセパッドやシンセソロの優しく滲むような感覚に代表される細やかで繊細な音作りは絶品です。GVファンとしては西田信哉が「哀しみはオネスティー」「Margaret Line」「Saving〜Minor to Major」の3曲で(後期GVの無理したようなハードロックギターではなく)持ち前の繊細なギターワークで参加しており、その生存確認を楽しむことができます。
97位:「USER UNKNOWN」 中野テルヲ
(1996:平成8年)
P-MODEL→STEREO SCOPE(SONIC SKY)→LONG VACATIONと渡り歩き、ニューウェーブからテクノポップ、渋谷系に微妙に接近しながら独自のサウンドスタイルを模索し続けた中野テルヲが、LONG VACATION解散後遂にソロ活動を開始したのが1996年。そのサウンド面でのストイックな印象からテクノなインストゥルメンタルな方向性も予期していたのですが、思いのほか歌モノに寄りつつもその特異なサウンドスタイルを上手く落とし込んだテクノポップ作品を提示してきました。
P-MODEL時代の盟友・高橋芳一が開発したDIY電子楽器・UTSを操り、サイン波をこよなく愛する中野の優しげなヴォーカルが絡むと、途端にクールなテクノポップが完成します。リズムにはディレイを駆使したドラムンベースを取り入れていますが特有のクドさはなく、その孤高性は師匠筋の平沢進に通じる部分があります。単純にメロディが良過ぎるクールなキラーチューン「UHLANDSTR ON-LINE」、ヴォーカル継ぎ接ぎによる癒し電脳音頭「ウーランストラッセ節」、凍結前のP-MODEL楽曲を大胆にドラムンベーステクノにリアレンジした「CALL UP HERE」など聴きどころも満載です。
96位:「Doopee Time」 DOOPEES
(1995:平成7年)
古くは1960年代末から音楽活動を開始しスティールパン奏者および黎明期のヒップホッププロデューサーとして頭角を現した80年代を経て、いよいよヤン富田という稀代のサウンドプロデューサーの才能が表出し始めたのが90年代で、彼が設立した「Audio Science Laboratory」から生み出されたのは、ヒップホップ感覚とSERGEアナログシンセサイザーを駆使した、先進的な電子音響作品の数々でした。そして1995年、その独自のサウンドアプローチが結実した大作POPSアルバムがドロップされます。
DOOPEESという架空の少女が歌う未来のPOPSアルバムという風体の本作は、60年代のエヴァーグリーンPOPSを解体再構築したような絶妙な切り貼り感覚を武器に、キャロライン・ノバク(中の人はバッファロー・ドーターの大野由美子)という無垢なキャラクターを前面に押し出しつつ、しれっと濃厚な電子音アンビエントな実験音楽を放り込んでみたり、フィールドレコーディングを試みたり、直球な泣きのメロディ&フレーズが惜しげもなく使われたノスタルジックPOPS等がこれでもかと詰め込まれた一大コンセプトアルバムになっています。1995年というごった煮な時代感にぴったりフィットした名盤です。
95位:「GREATEST HITS 1989-1999」 DATE OF BIRTH
(1989:平成元年)
1980年代半ばから福岡の多重録音集団として知る人ぞ知る存在であった重藤三兄弟+次男の嫁ユニット・DATE OF BIRTH。インディーズリリースの「AROUND+AROUND」のKURZWEIL250バリバリのサンプリングが駆使された斬新なサウンドが話題を呼びましたが、1986年に12inchシングル「思い出の瞳」でメジャーデビューした際にはサウンド面はそのままに美しい日本語POPSに進化した姿を見せました。80年代のスピード感からいえば毎年連続してリリースを続けていくかに思えましたが、ここで2年半以上沈黙することになります。そして時代はすっかり平成に突入した1989年秋、その存在を忘れかけた頃に彼らは70年代ロック&ポップスなフォーマットの全編英語詞による13曲の大作をぶつけてきました。
土臭いギターロックの中に潜む美メロの数々、POPSの髄を知り尽くした安定感のあるサウンドメイク、「思い出の瞳」のような抜きん出たキラーソングは存在しないもののアルバム全体としてのクオリティは格段に向上、当時はFlipper's Guitarのデビューで後に渋谷系と呼ばれる新たなムーブメントが予見されていましたが、豊富な音楽知識に裏打ちされたメロディ重視のポップソングムーブメントの礎を築いたのは、ピチカートファイヴとこのDATE OF BIRTHの本作に他なりません。このようなベスト企画に様々な媒体で挙げられるべき存在であると思います。
94位:「NIWLUN」 Guniw Tools
(1996:平成8年)
90年代はヴィジュアル系バンドの全盛時代と呼ばれていましたが、彼らは1996年のデビュー時からその中でも異色の存在でした。とにかく既に独特の世界観をがっちり構築してました。というのも彼らは楽曲面のみならずPVも撮影からCGも使いこなす自主制作スタイルで、ヴィジュアル面も含めたDIYアーティストでした。そしてこの特異なジャケからも想像できるように、他のヴィジュアル系のような耽美的な部分を感じさせるようで、実は人間を人間でなく扱われるような生命を感じさせるような感じさせないような曖昧なイメージで、そのおどろおどろしさを表現するヴォーカル・古川ともの圧倒的世界観が彼らのバンドポリシーとなっています。
特に1stではJAKE&ASAKIのテクニカルなツインギターがフィーチャーされた中世ヨーロッパ的な異国情緒溢れる楽曲が集められており、そのコンセプト感覚は当時は群を抜いていたのではないでしょうか。そして彼らのサウンドを下支えしているのがBUCK-TICKを始めとした90年代ヴィジュアル系バンドのエレクトロニクス面をサポートしてきた横山和俊で、本作でも表に出ず地味にアクセントを加えてサウンドの幅を広げる貢献をしています。2nd以降はギターロックに目覚めたり、JAKEの脱退によってデジロックに接近したりと迷走を繰り返しますが、妖精と妖怪と戯れるような古川の独特な世界観は現在でも不変です。
93位:「UTA」 Cha pari
(2002:平成14年)
ケン・イシイやススム・ヨコタ、レイ・ハラカミなど日本のテクノクリエイターたちの作品を世に送り出してきた老舗レーベル、Sublime Recordsから2002年にリリースされた本作は、ある種の衝撃を持って迎えられました。Cha pariという風変わりの名前を持つ女性シンガーソングライターがオシャレなジャケットデザインを従えて生み出されたそのサウンドは、ただDTMで音作りをしてキーボードを奏でるだけでは表現できない摩訶不思議で電子ノイジーなフレーズの数々がカオティックに組み合わされており、そのような混沌めいたサウンドをバックにしっかり歌モノとして組み上げるセンスに秀でているものでした。
そのサウンドの源になっているのはRolandのハードディスクレコーダー(HDR)VS-1680です。彼女はこのHDRで録音した素材をカット&ペーストして再構築しながら、このハイファイなのかローファイなのかわからないようなパワフルで奥行きのあるエレクトロサウンドを生み出していたのです。そんなDTM女子ならぬVS-1680女子であったCha pariですが結局残したアルバムはこの1枚のみ。その後は海外へ渡ったという噂もありますが行方知れず。それでもチャレンジングな本作を世に残した意義は大きいのではないかと思います。
92位:「ダイヤルYを廻せ!」 YAPOOS
(1991:平成3年)
戸川純は1980年代の活躍が鮮烈過ぎて、平成に入ってくるとややその勢いに落ち着きを見せ始めますが、それはやはりホームベースであるYAPOOSの編成が変わったことに起因すると思われます。平成に入った時期におけるバンドの核とも言える存在であった比賀江隆男の脱退の影響は非常に大きく、小滝満の代わりはライオン・メリーでカバーできたものの、ギターは有頂天のコウ(河野裕一)が加入するまで不在を強いられることになります。
そこでサポートギタリストを入れることになるわけですが、白羽の矢が立ったのがまさかの平沢進です。P-MODELを凍結してソロ活動を開始した彼の1stアルバム「時空の水」で戸川がゲスト参加したことがきっかけと思われますが、彼の参加は渡りの船でちょうど3rdアルバムである本作の時期をその変態ギタリストの個性を十分に押し出しながらしっかり支えました。平沢ギターソロ全開の「3つ数えろ」と「ヒステリヤ」、吉川洋一郎の壮大な泣きのミディアムハウステクノ「ギルガメッシュ」、彼らにとって重要なレパートリーの1つとなる重厚なエレクトロアンセム「赤い戦車」など数多くの名曲を収録。しかし本作でサウンドとリズムの核であった吉川洋一郎と泉水敏郎が脱退となり、バンドは前途多難の様相を呈してくることになります。
91位:「Testa Rossa」 小林武史
(1989:平成元年)
1990年代にMr.ChildrenやMY LITTLE LOVERらを手掛け、小室哲哉と並んで日本を代表するサウンドプロデューサーの名を欲しいままにした小林武史は、80年代から杏里への楽曲提供を皮切りにサザンオールスターズや坂本龍一、高橋幸宏といったYMO人脈からも重宝されてきた作編曲家&キーボーディストでしたが、彼は昭和末期の88年にアルバム「Duality」をリリース、超安定志向のアーバンシティポップという色合いのクオリティの高さは評価はされましたが、彼の才能の高さを考えるといまいちインパクトが欠けていました。
その反省から平成が始まった89年に本作がリリースされましたが、多少肉感的に寄った音の深みに違いを感じさせるサウンドメイクと持ち前の美メロセンスが噛み合った楽曲はまさに粒揃いで、小林自身のクールで斜に構えたアーティストイメージを損なうことなく、平成を代表するアーバンシティポップアルバムとして遜色ない完成度であったと思います。それが2020年の今になってもまだまだ評価が定まらないのは、彼のその後の日本音楽界における功績の大きさが逆に影響しているからなのでしょうが、名曲「夏の午後」はなぜか大浦龍宇一バージョンばかりが注目されるなど不運も重なり、なぜかディスクガイド本にも挙げられることが少ない名盤です。
90位:「BlueSongs」 KASHIF
(2017:平成29年)
横浜を拠点とする音楽集団PanPacificPlayaに所属し、JINTANA & EMERALDSのメンバーとしても活躍している、2010年代のシティポップリバイバルシーンにとって欠かせないギタリストKASHIFの齢40にして初のソロアルバムは、限りなくドメスティックな制作環境で生み出された珠玉の音像によるエレクトリックシティポップに仕上がりました。
何より音数が少ないながらも細部まで追い込んだ形跡が如実に感じられる音像が素晴らしい。自在に音の空間を操り、リズムボックスを打ち込むタイミングも良く、ギタリストなのにギターを嫌味なく効果的に脇役に徹した音作りに好感が持てます。ミキシングを自身が担当していますが、マスタリングが電子音の輪郭を際立たせることに長けた砂原良徳ということを差し引いても、その各トラックの分離の良さは特筆すべきものです。これだけの音に対する素養の深さを持つギタリストならば重宝されるのも理解できるというものです。是非令和の時代になっても優れた作品のリリースを期待したいところです。
89位:「EDO RIVER」 CARNATION
(1994:平成6年)
ムーンライダーズとの縁が深いこともあり1980年代後半のデビュー時にはニューウェーブ色が非常に強かったCARNATION(カーネーション)は、ギタリストの坂東次郎が脱退し、元モスキートの鳥羽修に交代したのを機に一気にロック化を推し進めていきます。そしてベースの馬田裕次が元グランドファーザーズの大田譲に交代した時点で血の入れ替えが完了。1992年のアルバム「天国と地獄」収録の「地球が回る」リアレンジを機に音楽性が横ノリ美メロロックに手応えを感じると、おそらく勝負作としての本作がリリースされます。
時代性にマッチしたサイケでグルーヴィーなサウンドと12曲それぞれがシングルカットできるクオリティのキャッチーなメロディを備えており、一般リスナーへの訴求力が非常に高い作品であることは疑う余地がありません。こうなると当然当時のFM局は黙っておらず、タイトル曲「EDO RIVER」をはじめとしてヘビーローテーションに乗っかると、一気にCARNATIONはロック界でもメロディセンスに長けた実力派バンドとして一皮剥けた姿を認知されていくことになります。そうしたCARNATIONの運命を変えた試金石の1枚として本作は重要な作品と言えるでしょう。
88位:「Seven Enemies」 S-KEN & Hot Bomboms
(1990:平成2年)
70年代末のパンク・ニューウェーブムーブメントを底から支えたS-KENは80年代半ばからはラテン音楽に傾倒、特にサルサやルンバ、スカやブーガルーといったカリブ系POPSを日本のロックに落とし込むべく、窪田晴男や小田原豊らを中心にメンバーをかき集めS-KEN & Hot Bombomsを結成、その後はトランペッター多田暁やキーボーディスト矢代恒彦らを中心にアルバムを2枚リリースしてその優れた演奏力と存在感を見せつけますが、本作ではバンドの中心的な存在であった窪田晴男が脱退し、新たなメンバーにより制作されることになります。
しかし本作では窪田の紹介で加入した若かりし才気溢れるギタリスト今堀恒雄が大活躍、各曲で安定感抜群のテクニックとフレーズセンスで窪田の不在を全く感じさせません。そしてもう1人のサウンドの核として矢代恒彦(バンドメンバーでただ1人「スパイダーローズ」を提供)のシンセサイザープレイが目立つようになったことも楽曲の表現の幅を広げているという点で注目すべきでしょう。細野晴臣の名曲「四面道歌」のリメイクもスティーブETOのパーカッショングルーヴがフィーチャーされた風通しの良さがまさにプロフェッショナルな仕上がりです。
87位:「めざめ」 ルフラン
(2008:平成20年)
1970年代歌謡曲のフルオーケストラアレンジ。ある種ガラパゴス的な独自の音楽文化であるこのジャンルを2000年代に蘇らせたのがルフラン。太田裕美「短編集」を彷彿とさせるジャケット写真に写るのは、70年代歌謡曲フリークのルフランアサコ。もともと彼女とその相方の女子デュオであったところ、相方の脱退によるソロユニットを経て、ゲイリー芦屋が加入して作品集を制作したのが本作です。
ヒゲの未亡人を一時脱退してまで参加したゲイリー芦屋の70年代歌謡アレンジのシミュレーションぶりは相当研究されたもので、良く動き回るストリングス&ピチカートによるオーケストレーションやチープなブラスセクション、ミョンミョンしたシンセにホンキートンクなピアノ&渋いファズギター等々、いちいちフレージングが王道で、パロディにしてはよく仕上がり過ぎているクオリティです。そして何と言っても歌謡曲ですから「ここでこう来てこう!」という王道でお約束なメロディラインにニヤリとさせられます。しかしルフランアサコのこのニッチな音楽的志向を具現化できたのはゲイリー芦屋のサウンドデザインがあればこそ。本作制作後に結局ゲイリー芦屋は脱退し、ルフランも表舞台から消えてしまいましたが、本作が00年代後半にリリースされた実験精神を再評価しても良いのではないかと思います。
86位:「情緒」 THE HAKKIN
(2015:平成27年)
cali≠gari風のインディーズヴィジュアル系バンドであったヴィデオグラマァのメンバーを中心に結成された80年代バンドブームのバブリーな雰囲気やサウンドを現代に甦らせたありそうでない方向性で勝負しようとした稀有なバンド、THE HAKKINの1stフルアルバムは、前作「晩成」よりも80's後半から時期をやや先に進めた90年代初頭に足を突っ込んだような、より洗練されたサウンドの力作を作り上げました(使用楽器がJV-2080やALESIS D4等を使用していることからもその傾向が顕著)。
赤青黄のファッションに派手な化粧を施したベタなヴィジュアルイメージ、長澤佑哉の過剰なまでのレイト80'sバンド風のヴォーカルスタイル、ほとんどの楽曲面を担当していた春日賀賀の研究され尽くしたポップセンス、そして浅野麻人の弾くことが嬉しい気持ちが前面に出た潔いギターワーク・・・インディーズバンドらしからぬ作り込まれた感満載の楽曲に程よい粗さが残るパフォーマンスが絶妙にブレンドされた作品であると改めて振り返って感じさせる部分があります。
この充実した作品を残してくれたので次作に期待していたのですが、同年突然の解散(バブル崩壊)。以降長澤はヴィデオグラマァを再始動(ヴィデオなんちゃらという名前で新編成)、春日はプレイヤーとしては引退し裏方として長澤をサポート、浅野はASATOとしてソロ活動を開始、現在は杉本榛名とのGALAXY-M78としてそれぞれの道で活動しています。
85位:「六本木島」 パール兄弟
(1990:平成2年)
1989年のシングル「「色以下」がCMソングに抜擢、ベストアルバム「ベスト・レシピ」がリリースされ一息ついた感のあったパール兄弟が翌年リリースした待望のシングルは「PANPAKAクルージング」。このシングルを聴いたリスナーは光GENJIをパロディにしたような人を食ったようなアイドルソング調の楽曲に戸惑いを覚えたものでした。
そんな期待と不安の中リリースされた5thオリジナルアルバムが本作ですが、不安を一掃するかのような演奏面での充実ぶりが際立つ仕上がりで、窪田晴男やバカボン鈴木、松永俊弥といった当時売れっ子のプレイヤー達のテクニックとセンスが見事に昇華され、タイトルチューン「六本木島」や「How To X」のような彼らの演奏力が生かされた複雑な構造の楽曲も難なくこなすプレイぶりは、さらにクオリティを積み上げた感がありました。そんなクールなプレイぶりを楽しむのもよし、ウエスタン調のバラード「JA・JA WOMAN」や場末の酒場的ジャズバラード「都オニオン」といったサエキけんぞう以外のメンバーが歌う楽曲も全く違和感なく、前述の「PANPAKAクルージング」や癒しボサノバ調の「田舎」などバラエティに富んだ楽曲であってもそれぞれがパール兄弟の「顔」であることに納得してしまうその対応力の高さ、これこそがパール兄弟の魅力と実力であることを天下に知らしめた4人パール兄弟の最高傑作です。
しかし「PANPAKAクルージング」ショックもあったためか、既にその後が決まっていたための開き直りだったのか、本作後に兄弟の片割れ、窪田晴男が一時脱退することになります。
84位:「銀の烏と小さな熊」 スノーモービルズ
(1998:平成10年)
日本情緒あふれる風景描写豊かな「詩」をテクノポップ的トラックに乗せて歌うオリジナリティ豊かな男性デュオ、スノーモービルズは1996年に同名タイトルのアルバムでデビューしますが、2ndアルバムは2年後にリリースされました。
1stアルバムがデビュー前に制作された楽曲のストックが披露された「デビューアルバムあるある」で、しかも「Mezo Techno」を標榜する所属レーベルThink Sync Integralからの第1弾アルバムであることも意識されたテクノポップ色の強いサウンドでしたが、一からじっくり楽曲制作に取り組んだ本作は、打ち込み色を残しながらも折原信明の詩文はさらに冴え渡り、遠藤裕文作曲の2曲はリズム感覚も豊かでテクノ心をくすぐる音像が施されていることはもちろんですが、使用されている音色はやや落ち着いたものとなり、相変わらず丁寧なプログラミングはされているものの、アコースティックなアプローチを見せつつよりフレージングを大切にすることで楽曲の良さを引き立てる内容となっています。
「雨」や「二百廿日」「きみに会えて」といった新機軸の楽曲の中に音楽性の幅広さが見え隠れしていますし、ラストの「おもかげ」の静謐さには姿勢を正される思いもさせられるなど、デビュー2枚目と思わせないほどの他のアーティストにはない個性を、決して華やかではないものの鈍く主張した渋い名盤です。
83位:「Serious Barbarian II」 大沢誉志幸
(1989:平成元年)
バラードでは類稀なメロディセンスを発揮し、ダンサブルチューンではデジタルファンク寄りの斬新なアプローチを見せる、80年代のロックシーンを牽引したアーティストの1人であった大沢誉志幸の平成最初の仕事は壮大なコンセプトワークである「Serious Barbarian」シリーズでした。アルバム3枚にわたるこのシリーズは、アーバンファンク調の楽曲はもとより、過激なインストゥルメンタルも含めた組曲調もあり、珠玉のバラードもありといったこれまでの彼の音楽性の集大成として、情熱を注ぎ込んだ仕事であったと推測されます。
本作はシリーズ中盤にあたりますが、単純に楽曲の良さとサウンド面でのテンションの高さが群を抜いているという点で、結果的にシリーズ最高の仕上がりになったのではないでしょうか。このシリーズで相棒としてサウンドデザインを担っていたのが、元シネマ、メトロファルス、当時はYAPOOSを脱退したばかりの小滝満(現・小滝みつる)で、彼のキレのあるシンセサイザーフレーズを存分に楽しむことができます。「G」や「REAL ACTION」といったシングルカット曲、「MASCULIN-FEMININ~Serious BarbarianⅡ」や「恋人と言えない~COLD & HOT」等のデジファンク組曲、得意のバラードソング「天使の微笑み」・・・どれをとってもとにかく「洗練」された印象で隙がなく、彼の音楽的センスと時代のマッチングが最高潮に達した瞬間の頂上にして分岐点的な作品と言えるでしょう。
82位:「RING」 高野寛
(1989:平成元年)
高橋幸宏と鈴木慶一を中心にポストYMOのポップ面を継承するかのようなポニーキャニオン傘下のT.E.N.Tレーベルの「究極のバンド」オーディション出身の高野寛は、程なく高橋&鈴木のTHE BEATNIKSのバックバンドギタリストに抜擢、1988年には高橋幸宏プロデュースによりシングル「See You Again」でソロデビューを果たします。遊佐未森や鈴木祥子らと並んで「POPS新感覚派」とも名付けられたテクノの遺伝子を抱えながらアコースティックな肌触りの美メロPOPSは、新時代の始まりを予感させるものでした。
本作は平成時代に足を踏み入れた翌89年にリリースされたセルフプロデュースの2ndアルバム。翌年早々に3rdシングル「虹の都へ」で大ブレイクを果たす直前の比較的シンプルな味わいの作品ですが、彼のストロングポイントであるキャッチーなメロディセンスが遺憾なく発揮された楽曲の数々が収録されています。落ち着きのあるサウンドに的確なリズムを施す楽曲構築力はまさに音楽センスの塊で、「カレンダー」や「いつのまにか晴れ」といったシングル級の美メロチューンもあれば、テクノポップ風味の「アトムの夢」や逆回転ギターをフィーチャーした「薔薇色の悪夢」といったアヴァンギャルドのサウンドへのチャレンジなど、デビュー2年目にしてその幅広い音楽性に裏打ちされた才能を音楽ファンにアピールすることに成功した結果、翌年の満を持しての大ヒットにつながったということを考えますと、ブレイクの礎を築いた本作の存在はさらにクローズアップされてもおかしくないと思われます。
81位:「SIREN」 平沢進
(1996:平成8年)
1990年代の平沢進はソロ活動開始からP-MODELの解凍に至るまで、その精力的な活動スタイルはますます独特な領域に達しようとしていましたが、1994年に彼の音楽性に強い影響を与える事象が発生します。タイ王国の文化や国民性に強い関心を示したいわゆる「タイショック」に見舞われた平沢は、翌95年のソロアルバム「Sim City」から90年代末までは明らかにタイを始めとした東南アジア色の濃い作品をソロとP-MODELの両方において残していくことになります。
本作はそんな平沢ソロワークのBANGKOK録音3部作の2枚目ですが、タイショック真っ只中の作品だけあって楽曲・サウンド両方において充実ぶりが窺える仕上がりとなっています。ソロを始めて顕著になった高く伸びる美声は、「HOLY DELAY」でも堪能できるようにさらに神々しさを増し、「NURSE CAFE」ではその後の平沢サウンドの代名詞となる「バカコーラス」が爆誕、歪むリズムと共に力強さを獲得するなど、東南アジアなオリエンタルテクノサウンドを基軸にした緩急のバランスが絶妙です。そして圧巻なのはラストの「Mermaid Song」。7分にも及ぶ大団円のバラードソングは、本作のサウンドデザインに非常に大きな影響を及ぼしているシンセパッド&ストリングスの荘厳な響きと共に、セイレーンコーラスと思しきオペラボイスと平沢ボイスが何重にも張り巡らされたリバーブの壁に反射して、もはや神話の世界と言ってもよい圧倒的世界観に引きずり込まれます。
平成の30年において平沢は実に13枚ものアルバムをリリースしていますが、個人的にはコンセプトと神々しさがマッチしたこの名盤を上回る作品はないのではないかと感じています。
というわけでここまでが100位〜81位となります。既に疲れておりますが、自分が面白くなってまいりました。次回は80位〜61位まで。何卒よろしくお願いいたします。