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【エッセイ】「またあした、あそぼうね」娘のやさしさに救われた話

2年前の春、待望の第一子である娘を出産した。
年度末の3月末に産まれた小さな女の子。
1歳を過ぎて入園した保育園では、同じクラスの他の子より頭ひとつ分小さくて、周りの子が走り回っている中ひとりだけまだハイハイをしていた。

そんな娘だったので、いつもいつも心配で、まるでシルクで包むかのように大事に大事に育てた。1歳6ヶ月まで歩かず、「抱っこ抱っこ!」と言われるたびに両手でしっかり抱きかかえていた。

そんな娘に、今年の4月、妹が産まれた。
同じ春に産まれた、娘とそっくりな顔をした女の子。
目の前の2歳になった娘が、もう一度小さな赤ちゃんになって戻ってきたような感覚だった。

「二人目だから、お母さん、慣れてるね。さすがだね。」 
出産した病院でも、実家でも、役所でも、皆同じことを言っていた。
すでに1人娘を産んで育てているというだけで、みんななぜか私の子育てを信頼していた。
だからこそ、ふにゃふにゃした新生児の抱き方も、テープのオムツの替え方も、沐浴のときの手順も、本当は忘れてしまっていること。そして2人同時にぐずって泣かれた時には、ひとりのときの何倍も頭が痛くなることは、誰にも言えずにいた。

抱っこでないと寝ない赤ちゃんを抱えて、目を閉じればすぐに夢の世界に飛んでいってしまいそうな寝不足のある日の夕方。
引っ越しで4月から新しく通うことになった保育園から帰ってきた娘は、保育園で何か楽しい出会いがあったのか、とても元気だった。

元気すぎて、その日は一生懸命作った晩ごはんを全然食べてくれなかった。
おっぱいを求めて泣く次女を横目に、「白いごはんも食べなきゃだめよ」「海苔かけたら食べる?」必死な母の声は娘の耳を右から左に通り抜けて、何も響かない。
早々に食卓から飛び出して、部屋中を走り回る娘。赤ちゃんに授乳していると、昼間磨いた窓ガラスに、娘の汗で湿った手が、ぺと。
「窓ガラス、触らないでね」遠くから言うもむなしく、またひとつ、ぺと。ぺと。ぺと。

きゃっきゃとはしゃぐ娘の声と共に最後の窓ガラスに娘の手がのびたとき、私は授乳を終えた赤ちゃんをソファに置き、娘の頭を平手で叩いていた。

娘は一瞬、目を丸くして私の方を見て、でもそのあと泣くことなく、ただ静かになった。
あ、しまった、と私は思った。絶対に暴力だけはふるわないようにしていたのに。窓ガラスなんて、小さな子供がいればきれいに保つことなんて無理だと分かっていたし、普段ならそこまで怒ることでもないのに、なぜかその日私はその行為がどうしても許せなかった。

沈黙の後、娘は私に何も言わず、別室にいた父のもとに走り、ふたりでお風呂に入りに行った。

娘と父がお風呂から出てきてから、赤ちゃんが産まれてからはすっかり父の役目となっていた娘の寝かしつけに久々に立候補した。
娘とふたり、寝室のダブルベッドの中に入り、電気を消して、娘の身体をとんとん、と触った。
大きくなったなあ。手足もこんなにがっしりして、髪も伸びて、すっかり子供らしくなって。

「さっきは叩いて、ごめんね」
娘の頭を撫でながら、小さな声で言った。

「いいよ」

「またあした、あそぼうね」

そう言って、娘は眠りについた。

1年前はまだ歩いてもなかったのに。いつのまにか抱っこよりも隣で手を繋いで歩くことが増えた。言葉も沢山話せるようになって、目を見なくとも、遠くから声をかけるだけで意思疎通ができるようになった。
あんなに、大切に大切に毎日抱っこしていたのに。
叩いたりして、本当にごめんね。
布団の中で、娘の眠りを邪魔しないように、静かに泣いた。

娘へ。
私を母にしてくれてありがとう。
2回目なのに、赤ちゃんのお世話でいっぱいいっぱいな母を、許してくれてありがとう。

またあした、あそぼうね。



#やさしさに救われて

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