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【エッセイ】眼鏡をかけている娘の話

2歳になる娘は、眼鏡をかけている。

1歳半健診で受けた弱視スクリーニング検査で、右眼の焦点が合っていないと指摘を受けた。
自宅でよく床に落ちている細い髪の毛をつまんでは、「ごみ〜」と言って小姑のように母のところへ持ってくる娘だったので、当然よく見えているのだと思っていたのに、予想外の結果だった。

医師によると、左眼はある程度見えているので、娘は今までずっとほとんど左眼だけで生活してきたのだそうだ。
子供の視力は7歳くらいまで成長を続けるが、使われない眼はどんどん劣化していき、このままではますます見えなくなってしまうらしい。

我々夫婦は、今どき珍しく視力が良い。
どちらもいまだに両目1.5ほどあり、眼鏡やコンタクトレンズとは無縁の生活をしている。
そんな両親から産まれた娘がなぜ、としばらくは納得が行かなかった。

納得が行かないと同時に、とてもショックだった。
娘はいままで1年半、ぼんやりとしか見えない世界で暮らしてきたのか。ママやパパの顔も、一緒に行った沖縄の景色も、すべてぼんやりとしか彼女の頭のフィルムには記憶されていないのかと思うと、切なかった。

妊娠中は、口にするものには神経質すぎるほどに気をつけていたつもりだったが、何か眼の形成に良くないものでも食べてしまっていたのだろうか。
知らない間に、コロナウイルスにかかってしまっていたのだろうか。
切迫早産になるまでガツガツとストレスを溜めながら仕事をしてしまっていたからだろうか。
「こども」「弱視」「原因」と入力してスマホで調べ続けた。

弱視は早期に発見し、眼鏡などを使って矯正すれば、小学校入学のころには回復するらしい。
それでも、慣れない眼鏡をむりやりかけさせられて泣きわめく娘の姿をみると、ごめんねという気持ちで一杯になった。

娘は視力を測りに、1ヶ月から2ヶ月に一度、小児眼科のある病院に行く。
1歳半検診も、一度目の眼科受診も、ふたり目の妊娠でつわりがあったため夫に任せていた私は、ようやく二度目の眼科受診で娘に付き添った。

実はこれが、私にとって人生で初めての眼科だった。
そこには、中で何が映し出されているのか気になって仕方がない四角い機械や、厚さの様々な眼鏡のレンズ、良くわからない絵の書いたカードなど、不思議なものが沢山あった。

娘に付き添いながら、初めて見るそれらのものに、私は不謹慎かもしれないが少しだけワクワクしてしまった。
帰ってから夫に聞くと、夫にとっても娘と行くのが人生初めての眼科だったので、同じような感想を持っていた。

こうやって、親は子供を通して、いままでの自分の人生には無縁だった初めての経験をさせてもらうのだなと思った。
子供を産み育てることで、自分の人生で経験できることが2倍、3倍になっていく。

眼鏡で生活をさせてしまうことになった娘には申し訳ない気持ちでいっぱいだが、ごめんねと謝るのではなく、パパやママに初めてのことを沢山プレゼントしてくれてありがとう、と伝えたい。
そして、みんな初めてだから試行錯誤しながらだけど、一緒に頑張っていこうね。
パパとママを成長させてくれる娘に、感謝の毎日である。

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