妥協がつぎの妥協を連れてくる
この記事は、ぼくがstand.fmで配信している音声コンテンツを書き起こし、修正・編集したものになります。
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こんにちは、こんばんは、井口です。
以前のツイートを深掘りをして行きたいと思います。
ぼくのこだわりはなんだろう
ぼくってこだわりがないほうだと理解してます。世の中のデザイナーとかクリエイターをそばで見てると、「ああぼくはそこまでこだわり屋じゃねぇな」っていつも思っているんです。いるんですが、とはいえ、多少なりこだわる部分もありまして。いま一番こだわってること、それは車だと思います。ブオン。
ぼくはフォルクスワーゲンの「ヴァナゴン」って車に乗っています。これはT3と呼ばれる車で、巷でよく「ワーゲンバス」と言われている車の系譜にあるワンボックスカーです。
ワーゲンバスに比べればとても現代的な車ですが、とはいえ30年以上前の車なので、一応旧車です。
ファミリーカーがよかった
オンボロ旧車に乗っていること、それがぼくのこだわりなんですが、ではなぜそのポンコツに乗っているのか。
一つ前に所有していた車が背の高い4WDでした。いぐち家は、いま子どもが二人いるのですが、やっぱり乗せたり降ろしたりが大変…。なので、
「やっぱファミリーカー、スライドドアの車がいいね」
という結論になりました。(こんなやつ↓)
いま日本車に限らず、このファミリーカー的な車には、とても多くの選択肢があります。さらに近ごろの車ってね、いいんですよ。よくできてる。よく考えられてるし、乗り心地もいいし、技術がむちゃくちゃに詰まっている。
さいきんの車はすごい
近ごろの車はいい、そう知りながらも、どうしてもぼくの好きなデザインってのがあるんです。いわゆるカクカクした、直線的な車。これは現代の車だとほぼ選択肢がないんです。おそらく空気抵抗を減らすことによって燃費をよくしていったっていう、自動車の進化の歴史があると思います。
さらに、例えばベルファイアという車。これは日本のワンボックスカーの頂点に君臨してます。実際ぼくの兄が乗っていて、型は古いんですけど、ずっと大切にしていて、それによく乗せてもらいます。
正直、めっちゃ乗り心地いい。最高。あれだけおっきい車で車高も高いのに、走りの安定性も高い。だから運転も楽しいとおもいます。売れてるのすごいわかるんです。(でももうすこしやさしい顔になってほしい)
それに比べると、ぼくがいま乗ってる車って、カクカクしてるから風の抵抗めっちゃあるし燃費悪いし、古いからさらに燃費悪いし、時速100キロ超えるとハンドルガタガタして怖いし、パワーもないし燃費悪いし。クーラーすぐ壊れるし。比べるといろんな不満がでてくるんです。燃費とか。
でもどうしてもこだわりたい
でもここは、じぶんの「好き」にこだわりたかった。多分いちど新しい車に乗ってしまうと(その車が好きな人に対しては失礼な話だけど)、「これで十分じゃん、これでいいじゃん」って思うはずなんです。だって上記に挙げた不満が解決されて、もっと便利で。自動でドア開くし。ぼくがこだわりを捨てれば、燃費が良くてクーラーが壊れない便利なカーライフが待っている。
そう、こだわりって、おおよその場合、便利とか楽ちんとトレードオフで、こだわらないほうが楽な場合が多いのです。
こだわりを捨てる=じぶん軸の指標を捨てる
でもぼくの「好き」の視点からみれば、これは【妥協】になるわけです。いちど妥協すれば、これから先ずっと、ぼくの指標は「ぼくが決めたぼくのこだわり」ではなく、買いやすさや故障しにくさ、便利さなどに重きが置かれていくわけです。
指標がぼくのものではなくなる。それはじぶんの「好き」や「大切」がどんどん軽くなって、結果、つぎつぎに妥協が生まれてしまうんじゃないかなって思っているんです。
仕事にもこだわりを
こうした話は、やはり仕事(デザイン)に関しても通じます。
たとえば気になる箇所があって、「ここ、こうした方がいいな…」と思いながらも、「あーでもこれでいいか」って流してしまう。
リテイクは、する方はもちろん、指示するほうもめんどうなことですから。
でもこうして1度妥協してしまえば、、デザインへの想いが薄れてしまい、他の部分に関しても「これでいいかーお客さんもいいって言ってるから」とかなんとか、もっともらしい理由付けて妥協が続くんです。
これは、上でいうじぶん軸の指標を捨ててしまった状態。
車の例でいくと、「壊れにくいからいいか」とか(壊れにくいのはめっちゃ大事なんだけど)、「みんな乗ってるからいいか」とか、本来のこだわりとは違う軸で選んでしまうようになっちゃうわけです。
デザインに関しても、じぶんが本当にこだわりたいところと違う軸で判断して進めてしまいますよね。
じぶん軸がすべてではないけれど
もちろん自分のこだわりだけがすべてではないです。ちゃんとそのデザインが効果的かということを最上位に考えなければいけないです。
とはいえデザインは、かならず表現であり、最終的には個人的な創作物である面からは逃げられないです。完全な共作はできない。だから個人のこだわり無しにクオリティ向上は見込めないのです。
でも、とくにぼくたちのような受託で仕事としてクリエイティブを行う場合、妥協しなくちゃいけない場面があるんです。ビジネスってひとりで完結しないですし他人の意見が入ってこざるを得ないところがある。だから妥協それ自体は、かならずどこかで起きるわけです。
で、これが早い段階で妥協してしまうと、もう残りぜんぶ妥協になってしまう。だからギリギリまで妥協しないことが大切になるわけです。そうやって粘ると、「ここまでこだわったし、もうちょっとがんばってこだわるか」という気持ちも芽生えてくる。つまり、妥協が次の妥協を生むし、逆にこだわりは次のこだわりを生むというわけです。
こだわりがこだわりを生んだ先にクオリティがある。
やはりこだわりが最終的にアウトプットのクオリティを決めると思っています。言い訳がましいのですが、ぼくはディレクションする立場で、社長だし、健全な雇用をしなければならない立場でもあります。だから納品をするために妥協したり、デザイナーに妥協を求めたり、逆にデザイナーに対して、このへんで帰宅させなきゃって妥協したり。そういうことって正直あります。
それでも、この「まあいいけど」って思ったとき、この「いいけど」を正しいものとしない文化が重要だと思っています。妥協したことをちゃんと後悔する文化、「いいけど、もうひとふんばり」を良いものとする文化、そういう文化を作っていきたいなと思ったツイートでした。
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