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賞賛と妬みは同居するし、それでいいんよ。
この記事は、ぼくがstand.fmで配信している音声コンテンツを書き起こし、修正・編集したものになります。音声配信もぜひ
こんにちは、こんばんは、井口です。
今回もまた以前のツイートを深掘りをして行きたいと思います。
人の成功をよろこぶじぶんも、妬むじぶんも、どちらもしっかり見つめよう。#いぐちの1日1ポエム
— いぐち | デザインと言語化とゲーム🎮 (@toysleft) July 4, 2020
ぼくは人のことをよろこびたいけれど
めでたいことはお祝いしたいし、うれしいことは一緒にうれしいがりたい、よろこび合いたい、分かち合いたい、という気持ちがすごくあります。なんせね楽しい方向にいきたいんです。
でも、「何かを成したよ」と聴くと、うれしいと思う気持ちがありながらも、やはり、どこか妬むじぶんというのもいるんです。
だれかが「〇〇はじめました!」といった時に、がんばれーっと思うじぶんがいると同時に、「そんなに上手くいくのかな」とかちょっとえらそうに批評しちゃうじぶんも同時にいるんです、正直なところ。
これはもちろん前者でありたい。妬みたくないし、批評家ぶりたくないし、全力でポジティブでいたい人間なんです。
でも目を背けるのもちがうかもしれない
なのでひょっこり現れる、その「ありたくないじぶん」に対して目をつむってしまうことがあるんです。でもそれはだめだと思うのです。なんでそう感じるのかなというところに、気付きの種があったりするから。
ほめるのは実はカンタンで、ほんとうに応援する「行動」となるともちろん難しいのだけど、「応援してるよー」なんてと言うこと自体はぜんぜん難しいことではないと思うんです。
(もちろんそうやって口に出して言うことで、ぼく自身がポジティブな人間性というのを帯びてくると思っているから、積極的に言いますけど。)
でも妬んじゃうような、自分の嫉妬心みたいなところをちゃんと見つめて、それを原動力にすることも絶対あるんです。あいつ成功してるから絶対ぼくも成功するぞ、とか、
ああいうことを言われたから見返してやるぞって思いはやっぱり持ってますから。
でもこれはじぶんの不出来や焦燥感みたいなものと向き合うので、ほめることよりもちょっと精神的にはしんどい。でもそれに目をつむってなかったことにしちゃうのは、やっぱりだめだと思うんです。もったいない気がする。そういう気持ちもしっかり見つめないといけないなと思いました。
じぶんの心に話しかける
それと同時に、また別の日のツイートなのですが、
ときには子どもに話しかけるように、やさしくやさしくじぶんに語りかけて本音を聞き出す。#いぐちの1日1ポエム
— いぐち | デザインと言語化とゲーム🎮 (@toysleft) July 12, 2020
これは、この妬みとかじぶんが悪く感じる部分、ブラックな部分というのをなかった事にしようとしてしまいます。無意識的に。でも、それだとだめなので、「それをどう思ったのか?」「ちょっと引っかかる事があるの?」「なんなの?」っていう風に、じぶんに意識的に語りかけてあげないと、認められなかったりするんです。
意外と自分の感情って通り抜けて行ってしまうから。マインドフルネスみたいな取り組みをやっていても、そこまでなかなか行き着けなかったりします。
例えばある親しい知人を見て、なんか「モヤモヤするな、モヤモヤするな」っていう感情を何回もくり返して、ようやく「あ、この人にちょっとヤキモチやいてんだな」とか「気にくわないと思っているんだな」って気付けるんです。
なぜならばその知人を好きでいたいと気持ちにバイアスがかかってるから。もちろん、きらいになる必要はないんだけども、でもそういう風に思う気持ちがあるっていうじぶん自身の感情は大切にしてあげないと、いつかじぶんの感情を信じられなくなっちゃう。
あるべきじぶんに惑わされない
「ぼくはこうあるべきである」、上で話した例で言えば「ひとをほめるポジティブないぐちでいたい」という、逆に言うと理想像にじぶんを当てはめ過ぎちゃって感情の発露ができなくなる。
それはやっぱりクリエイティビティーとしてもよくないし、つまんない人間になっちゃうし、もうちょっとカオスのほうが、人間っておもしろいような気がします。
妬みは表現せずに、パワーへと変換させる
やっぱね、隠しちゃうんです。自分の嫌な部分、そういう妬んでいる部分、ぼくは人に見せたくないし、見せないようにする。で、見せないほうが世界が幸せになるとぼくは思っている。でもそういう風に感じるっていう気持ちを否定しないし、あっていいと思っています。
ただ、表現するのは気をつけたほうがいいと思うんです。妬みを表現した時点で攻撃になるから。攻撃すると人って満足しちゃうんです。なんとなく攻撃して溜飲下げちゃうとその妬みの持つパワーも消えてしまいます。それだとなんの成長も生まない妬みで、世の中を悪くするだけになっちゃう気がします。
ぼくはそういった妬みがあることはよいと思う。よいというか仕方がないと思う。その上で、それをどうコントロールするかは、じぶんの気持ち次第。それを知らず知らず外に出さないようにするためにも、そこにあえて踏み込んで自分の本音を聞き出すのがとてもたいせつ。そうやってじぶんを前にすすめるパワーへと変換させたいですよね。
だから最初に戻ると「おめでとう!」ってひとをよろこんでいるじぶんも大事にして、「やだな」って思ってる自分もなぜかな?と掘り下げていきたいなって思います。
ー<いぐちMHzはこちらから>ー