18/誠実さとは、従順さではない
ツイッターで#いぐちの1日1ポエムと称して、日々の気付きを投稿しています。その「ポエム」の意図などを、備忘録的な意味と、共感してくださるひとがいたらいいな、という目的で書き残していきます。はじめたきっかけなどはこちら
弊社はグラフィックデザインを主にするデザインプロダクションです。
デザインの提案時によくある光景として、クライアントの好みを探り、そこにアジャストしていく、というもの。これがいつも本質的ではないなぁと思っています。
自ら、自らの案を殺すC案
これなら目的とする効果を出せそうだ、狙ったコミュニケーションができそうだと、必死に考え制作したA案B案に加えて、「担当の〇〇さんがこういうのが好きだから」とC案をつくる。
うーん。たしかにホスピタリティは高いが、誠実ではないと感じてしまう。
この状態で提案すれば、やはりC案になるのは必然。きっとよろこんでいただけるでしょう。問題はC案は提案として必然なのか?という問い。
デザインは、好みで選ぶものではない
デザインを表層的な装飾と捉えるならば、「さあこの中で好きな色はどれですか?」みたいな提案でもよいのかもしれません。そういうときも実際あります。
しかしいまやデザインとはすなわち機能であり効果そのものです。
A案はどんな効果をもたらしえるのか?B案は?そもそもC案は効果的なのか?そういった視点から制作すべきであり、選択されて然るべきだと考えます。
いつからか合意が目的になっていないか
わたしたちはどうしても、納品に至るまでにいくつかのマイルストーンを通過しなければなりません。あえて近視眼的にそのマイルストーンを目的とするほうが効率が良いこともあります。しかしいつのまにかそれ自体が目的となっていないでしょうか?
わたしたちは、第三者としてプロジェクトに関わるからこそ、本来の目的を忘れてしまってはならないのです。目的とマイルストーンをできるかぎり一直線上におきつづけること。
それが困難さを伴っても、できる限りのことをすることが真のクライアントへの誠実さであり、デザインに対しての誠実さなのだと思っています。
親切であってよいが、誠実であることのほうが大切だ
つまりクライアントの好みが、本来の目的と齟齬がある場合、その提案は行わない、選択の机上にあえて載せないことも、ぼくたちの誠実さだと思うのです。
忠実であること、従順であることが誠実さであるように感じてしまいがちです。しかしそのデザインを依頼した本来の目的の達成こそがクライアントの望むことであり、そちらにコミットしたいものです。
おわりに
今回は下請けプロダクションの深淵でした。これらは自戒を込めたテキストです。
納得できない、目的にアジャストできない要望は提案しない。支給されたとおりだと伝わらないのであれば、どんどん改変する。そういったことに積極的に取り組んでいきたいと思ってます。
それがこれからの時代の私たち価値になると信じていますし、そして自らの頭脳を信じたいし、やっぱりぼくたちはロボットではないので。