17/効率の向こう、最後の最後、あきらめない苦痛をともなう粘りにこそ質は宿る
ツイッターで#いぐちの1日1ポエムと称して、日々の気付きを投稿しています。その「ポエム」の意図などを、備忘録的な意味と、共感してくださるひとがいたらいいな、という目的で書き残していきます。はじめたきっかけなどはこちら
クリエイティブの効率とクオリティの両立についてです。
効率化とは目的をしっかり見定めること
「80点で仕事を回せ」というようなことがよく言われます。
これ、すごくわかるんです。おおよそそういうアドバイスは、知識労働者に対するものであり、その方々の仕事というのは、すこし乱暴なカテゴライズですが、「次のステップに向かうための機能をもったもの」であることが多いように思います。
たとえば調査だったり、企画書だったり、メールを書くことひとつでもそうですね。次のステップへ向かうための仕事です。(ちなみにメールにおける80点でいいじゃん機能すればいいじゃん、のひとつの答えがチャットですよね)
つまり80点で仕事を回せ、というのは、決して妥協しろというのではなく、「完璧を目指すのではなく、(次へ進むという)機能をしっかり果たすことを目指せ」という本質的なアドバイスなんだと理解してます。なのでここに対して批判するものでないことはご理解ください。
本題
弊社はグラフィックデザインを中心とした、小規模なデザインプロダクションです。クオリティという定性的な話をするので、主観ばりばりで一般化しにくいのかもしれませんが、強引に一般化するのがこのポエムの趣旨なのでお許しください。
クオリティは、かけた時間と正の相関を持つと考えます(原則ですよ。)これ、一定のところまではぐぐっとクオリティ上がるんですが、ある程度のところで鈍化します。だいたいここが60点くらいの実感です。
ここで、鈍化しつつもきちんとやれば80点に届きます。逆にまったくここから伸びない、ブレイクスルーできないものは、アイデアがいまいちの可能性が高いので、やり直したほうが得策です。
で、この80点は、デザインが、その機能がきちんとワークするというレベル。クライアントのご期待に応え、ちゃんとお見せできるレベルです。
とすると…ここから先、80点以上を目指すのは、非効率であり、自己満足なのでしょうか?
デザインは最終形態として存在する
僕たちがつくるデザインもまた、大きなマーケティングの全体像の中では、上述した「次のステップへの仕事」です。
と同時に、それ自体が最終形態であることが特異なところです。この最終形態の80点はなかなか世間に受け入れられるものではないです。
80点を目指したスーパーに並べられた野菜。80点を目指した3LDKのマンション。80点を目指したレストランで提供されるステーキ。そして80点を目指したポスター。
生活者がどう評価するのかはおいとてい、提供側には100点を目指してほしいと考えてしまいませんか?「まぁこれでいいか」と選ばれるものも、提供側が精一杯つくっているものだからこそ、その選択肢に入るのです。そのあたり、こんな考察もしてます。
やっぱりどこかで汗かかなきゃ、クオリティは上がらない
この最後の、効率性を度外視した、諦めない、ときに苦痛を伴う粘りこそ、80点以上のクオリティを生みます。
そして、それはクライアントの期待を超え、じぶん自身の評価に繋がりますし、クライアントの、あるいはその商材の評価となります。デザインはそのクオリティによって、よりその効果を高めるでしょう。
そもそも80点を目指してしまうと、いずれ80点が100点ということになってしまう。100点を目指すことで、はじめて80点を理解でき、到達できるのです。本田圭佑が本気でワールドカップの優勝を目指したからこそ、彼の成功があるように。
こだわりは自身にいちばん還元される
そしてこれがいちばん大切なんですが、こだわりは、じぶんを成長させます。じぶん自身への眼差しが厳しくなる。表現者としてのレベルを上げるのにてっとりばやいのは、やはりじぶん自身のクオリティへの審美眼を向上させることだと思うのです。
こだわりは、審美眼や美意識を高める効果があり、きちんとやれば自己承認や自信にもつんがるものです。
80点でもいい。でも高みを知れ。
たとえば時間的な、体調的な、予算的な制約があり、80点で提出しなければならないとき。そういうことがあってもいいと思います、正直なところ。そもそもデザイナーの都合だけで進まないことのほうが多いですしね。(僕は経営の立場なので納品こそがもっとも大事w)
でも「これでOK」と思うか。「ここはもっと詰めれるけど、今回はOK」と思うか。どちらのほうが、また次にチャレンジするデザインへの質的貢献となるかは明らかです。
おわりに
働き方改革の世の中で、暴力的な仕事量でその質を担保していた時代はもう来ません。来てほしくもないです。徹夜するのが当たり前の業界や、ネームバリューをもって、デザイナーを使い捨てるようなプロダクションは死ぬほど嫌い。
ただ、このクオリティという曖昧なものをより向上させていくためには、組織的なシステムの整備はもちろんですが、最終的にはじぶん自身、個々のこだわりを抜きには難しいのだろうなと感じます。そしてそういうこだわりと個人の尊厳のある働き方の両立が求められている気がしています。