◾️ 若狭町村学校所跡 ◾️
「仲島の大石」を撮影していた時、大学で教鞭をとっていると言う男性から…
「松山に沖縄で唯一、エビス様が祀られているよ」
と教えてもらい、撮影に行ってきました。七福神の恵比寿様を想像していたのですが、ちょっと違いました。かつて琉球では中国との貿易が行われており、さらにペリーなどの欧米人の出現があったことで、ここでの「夷((エビス)」は「異民族・外国人」のコトを指していると思われます。現在祀られている夷堂は、戦後の区画整理で近くから移されたものです。
「若狭町村学校所跡」は、1830~40年頃に建てられたとされるの若狭町村の学校所および役所跡です。村学校所は士族子弟の初・中級の教育機関で、首里・那覇等の各村ごとに建てられ、首里、那覇そして泊に建てられ計21校あったそうです。士族の子弟は7〜8才で入学、14〜15才くらいまで勉強しました。教科は三字経の読み書きの他、二十四孝、小学、四書などを学びました。
各村学校は役所も兼ねており、王府末期の異国船渡来に際しては、泊村や若狭町村の学校所が、泊・那覇公館として対応窓口となりました。特に那覇公館(若狭町村学校所)は、ペリー提督と王府高官との交渉が行われ、琉米条約の他、琉仏・琉蘭条約が締結された場所でもあります。
※三字経…中国の伝統的な初学者用の学習書
※二十四孝…中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物
※小学…中国宋代に、朱熹の門人劉子澄が編集した初学者用の教科書
※四書…大学・論語・孟子・中庸の4種類の書物
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