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要領の良さ
どの集団にも,「要領の良い人」が一定数いる.ほかの人より短い時間で,ほかの人より大きな成果を出す人.
私にとって最も大きなコンプレックスの一つが「要領の悪さ」だった.美術の授業,他の人と同じ物を作り上げるのに,他の人の何倍も時間がかかる.見かねた先生が寄ってきて手伝ってくれるが,焼け石に水だ.結局自分の作品が時間内に完成することはない.
数学の授業,先生が黒板に書いた内容が全く理解できない.授業が終わった後に賢い友人に聞いても,うまく飲み込めない.しばらく後になってから「あれってこういう事だったの?!」と気づき,友人から「あんなに説明したじゃん……」と呆れられる.
学生の間ずっとそんなことを繰り返していたから,未だに授業形式のイベントには強い苦手意識がある.
「要領の良い人」に嫉妬する.点数や順位が明確な数字として出される学生時代,特に彼らに対する嫉妬心は大きく膨らみ,心を縛り付けた.序盤にコンプレックス「だった」と表現したのは,それが現在よりも特に学生時代に強力だったからだ.
単にテストの成績がいいだけ,スポーツが上手いだけならまだ良い.要領の良い人は,愛される.それが嫉妬の火種に大量のガソリンを注ぐ.
もちろん他人に愛される条件は要領の良し悪しだけでないが,少なくとも要領の良い人は愛される傾向にある(と感じる).
誰かに愛されたい欲求は昔から強いように思う.あくまで主観的なモノなので比較はできないが,周囲の人よりも愛への渇望は大きいと思う.周りの人より目立ちたいし,人気者になりたい.簡単に言えば,構ってもらいたい.
これらの欲求は果てしなく自分を苦しめる.たしかにモチベーションとしても有用だが,自分にはそれを持っていることによって生じる苦痛が大きく上回る.
要領の良い人たちは愛されているからこそ,つまり基本的な欲求が満たされているからこそ,次の段階にドンドン進んでいく.差が開く.嫉妬する.そして,周りに人がいなくなる.当然だ,嫉妬に燃えてイライラしている人と一緒にいて心地の良い人はいない.
逆に,並外れた要領の悪さを持つ人も愛される.指導者,制度,要領の良い人達から気にかけられる.自分とは全然違う人種だから面白いと思う,あるいは助けたくなるのだろうか.こちらもまた羨ましかったりする.
ただこちらに関しては,自分がそうなりたいと思わない.やはり「こんな風になりたい」と思う対象は「要領の良い人」なのだろう.
構って欲しい,愛されたい,でも要領が悪いのは何かイヤだから要領の良い人になりたい…….何と自分勝手なことか,書いていて笑ってしまった.
ただ最近になって,要領が悪いなりに時間をかければ達成できる事柄も結構あると発見した.これは私にとっては世紀の大発見であり,大いなる救いの手でもあった.なぜ誰も教えてくれなかったのだろう.いや,聞く耳を持っていなかっただけか.
何かを達成するのに量と質のどちらが大切か,という議論は物心ついたことから現在まで際限なく繰り返されている.これについての私なりの結論としては,他の多くの事柄と同じように,「どちらも大切」となる.質が高められないなら量を稼ごう.高い質が発揮できる「要領の良い人」であれば量はさほど必要ではないだろう.
あれこれと考えたが,ずいぶんと月並みな結論になってしまった.ただ自分にとっては人生の大きな課題の一つであるから,思考のメモとして残しておきたい.