敬体と常体,ベタ足と背伸び
最近,noteに投稿する文章を常体(だ,である調)から敬体(です,ます調)に変えました.過渡期のため入り混じってしまうこともあるかもしれません,予めご了承下さい.
この変更には,特に深い意味などはありません.強いて挙げるとすれば,「敬体で記述してある文章カッコいいかも…?」と思い始めたことがあります.おそらく養老孟司氏の書籍をいくつか読んだ影響でしょう.良いと思ったものにすぐ影響を受けて真似したくなるのは,物心ついた時から変わっていない私の習性です.
ただここでもう一つ,敬体で文章を「書けるようになった」という側面もあるかもしれない,ということに気がつきました.
それはどういうことかと申しますと,すなわち「常体で背伸びしなくて良くなった」ということです.常体で文章を書いている人がみな背伸びをしているということではなく,あくまで私自身が常体で文章を書くことでオトナっぽく見られたかったのだ,という解釈です.
それが(情けないことですが)20代も半ばになって等身大の自分自身を認められるようになったから,他者に見られる場所で文章を書くときに,地に足をつけて,イコール敬体で書けるようになったのです.
この発見は私にとってとても嬉しいものでした.発見というか視点を変えただけなのですが,意図しないところで「自分自身を認めてあげられている」という事実に気づくことが出来たのです.
自己受容・自己肯定は私の人生における永遠の課題です.それがほんの一歩でも解決に近づいたかもしれないとすると,それはとってもとってもサイコーなことです(語彙力が乏しくてすみません)……!
タイトルに書いた「ベタ足」とは,(自分の周りだけかもしれませんが)ベンチプレスで重りを持ちあげる際,地面にベッタリと足をつけたままでいることを指します.詳しい説明は省きますが,一般的にベタ足で挙げられる重量は,足や腰を浮かせて持ちあげられる重量よりも小さくなります.
つまり私がnoteに敬体で文章を書くようになったことは,猛者が集うジムにおいて「ベタ足」で挙げられる重量でベンチプレスを行うことが恥ずかしくなくなった,ということなのです.
具体例を挟んで余計分かりにくくなったかもしれません.ごめんなさい.要は公の場(note)で背伸びしていない自分に気づいて嬉しくなったのです.
もしまた文章が常体に戻ったら,また自信を喪ったという事かも知れません.その時はひとつ,「いいね」でも押してやってもらえると幸いです.