老子と学ぶ人間学③ポストモダニズム老子時代
1.ポストモダニズムとは何か
私たちは、自分たちの体験・経験の中で生きている。
故に、「経済」だと思っている概念は、
1960年以降の戦後経済であり、
マーケティングと思いこんでいる理論は、
Philip Kotlerによる近代マーケティング手法だ。
それは作り手側が、消費者の志向を調査し、
その志向に沿った商品開発を行い、
「これこそあなたが欲しいものだ」と、
大々的に広告することでトレンドを生み出す、
意図的にマーケットを作りだす方法だ。
そのため、私たちは、心底欲しいのかと考える前に、欲しいモノだと思い込まされて、消費活動を行っている。
そのような消費活動に対し、
「この商品は本当に必要なのか」と気づいた人たちが登場した。
ポストモダニズム時代の到来だ。
1980年代に登場した当初は、時期尚早であり、
ヒッピー文化と軽視されたが、地球環境が悲鳴を上げている今、その声への共感力は高まり、必然性を帯びている。
近代資本主義に疑問を感じている消費者たちへのマーケティング。
それこそが、ポストモダン マーケティングだ。
文化現象学とも名付けられ、現在欧米の多くの大学で研究が行われている。
2.消費者行動をデザインする
ポストモダニズムは、1980年代、近代産業への信奉に不信を突きつけることから始まった。
西欧文化だけを価値あるものとするのではなく、異文化を受け入れようとする総体的な概念であり、価値観の多様化、考え方の多元化を提唱した考え方だ。
日本企業も、ダイバーシティだ、SDGsだと言い始めたが、これもまたポストモダニズムの一端だ。
多様化・多元化を包括するため、ポストモダン マーケティングは一筋縄ではいかない。
消費者ニーズも曖昧であり、何よりも、
消費者自身、欲しいものが不明瞭なのだ。
そのため、エビデンスがとりづらく、
エビデンスよりストーリーを重視する。
例えばあなたは、
「誕生日プレゼントに何が欲しいか」という質問に、すぐに答えられるだろうか。
ゲームソフトが欲しいという孫にいわれても、祖父母がデパートで購入できるものではもはやなく、リボンをつけて手渡し、孫の喜ぶ顔が見たいという消費者ニーズには応えられない。
結婚のご祝儀も、現金を包む習慣がある内は良いが、恐らく近い将来はデジタル決済でチャットでお礼を言われるだろうし、そのチャット自体、アバターが書いている可能性もあるとなると、消費行動はどうなるのか。
つまり、商品を売りたければ、その人にあったストーリーを付加させることこそ重要になってくる。
前時代は、広告媒体も限られていたため、マーケットを意図的に作り出し、消費者を誘導することも出来たが、
多極化した情報時代、購買刺激の受け方にも画一性がなく、どこでどのような機会に刺激を与えたらよいのか、それを捉えることは困難だ。
多大な広告投資をしても一過性で終わってしまうこともあり、逆にちょっとした事に市場が反応する事もある。
今や市場を操作できる企業は、GAFAM位だろう。
彼らも、AIを用いることで、はじめて多様化に対応できる。
人間が人間の消費行動が操作できる時代は終焉したようだ。
このように、DXの進化は、ポストモダニズムを加速させている。
当然の事ながら、マーケティングの基本概念は大きく変える必要があるのではないか。
3.商品をデザイン時代から、消費者の行動をデザインする時代
便利な商品の登場は、生活の質を維持するモノの数を劇的に減らした。
音楽を楽しむのも、オーディオやスピーカー、CDなど多くのモノを必要としていたが、今はスマホだけで十分だ。
「便利なマルチ商品」を開発した会社だけが残り、他は淘汰されている。現にアップルは上場来高値、時価総額275兆円突破した。(2021年8月31日)
モノがいらなくなると、
ひとの意識は更なる内側か、外側に移動する。
自分のこころの内側や、地域経済、地球環境など外の世界へ意識が向かう。
老子哲学時代の到来だ。
それにいち早く気づいたのが、
コンマリさんであり、
ミニマリスト(物を持たずに暮らす人)だ。
4.東洋古典は、消費者行動をデザインする重要なスキルだ
これからのマーケッターに必要な、消費者の行動をデザインするスキルとは何だろうか。
欧米の研究機関は、これからは、従来の経済分析や消費者心理分析だけでなく、人類学、哲学、歴史、地理、美術など、従来型のマーケティング分野が軽視していた分野の知識こそ、大切だという。
企業が発信する広告、イベント、メッセージに、消費者が自らを投影し、自らの重要性を認識できるようにデザインすることが大切だからだ。
一般社団法人数理暦学協会は、次のように考え、
東洋古典を一部の人の趣味的な教養ではなく、
ポストモダンマーケッターの必要スキルと捉えている。
和の心、東洋古典の知識こそ、
ポストモダニズムマーケッターの
必要不可欠な知識ではないか。
そして、個々のニーズを解析できる、
暦学の知識は有効なビジネスツールだと思う。
5.老子とポストモダニズム
1980年代のポストモダニズムの潮流は、日本ではその後バブル期を迎えた為、終焉したかのように見えたが、その必要を感じた人たちは、次世代へとその感性を継承してきた。
時々地方などで、妙にセンスのよい、ポストモダニズムの空間を眼にすることができる。彼らは1980年代から、その感覚を継承してきたのだ。
そのため、研ぎ澄まされたセンスのアーティストが、70代であることもある。彼らはポストモダニズムの初期の時代の、若者だったからだ。
世界を平和にするには、
孔子は道徳社会の実現だと訴え、
老子は、相対的概念のない世界の創出だと述べた。
自分と他者を比較さえしなければ、
地球上から争いごとはなくなり、
あるがまま、無為自然、安心した社会が創出できるという。
どうしたら、世界の平和を創りだすことが出来るのか。
老子はそのノウハウを次のように述べている。
賢を尚っとばざれば、民をして争わざ使む。
得難きの貨を貴ばざれば、民をして盗を為さざ使む。
欲っす可きを見しめさざれば、民の心をして乱れざら使む。
是を以って聖人の治は、其の心を虚しくして、其の腹を実たし、
其の志を弱くして、其の骨を強くす。
常に民をして無知無欲なら使め、
夫の知者をして敢て為さざら使しむ。
無為を為せば、則ち治らざる無なし。
(道徳経 第三章)
知識人を尊重し、厚遇して取り立てなければ、
社会闘争をやめさせることができる。
得難き才能や、希少な宝を貴重なものとし、
特別扱いしなければ、妬みもなくなり、
窃盗をやめさせることができる。
人々の欲望をかりたたせる物を見せなければ、
心を乱すこともない。
故に昔から、タオの世界を目指す治世者は、
民が野心を持たないように、腹いっぱい喰わせてやった。
志を弱めるために、そのエネルギーを運動に向けさせ、
スポーツを奨励してきた。
無知で無欲を奨励するには、
知識人や頭脳明晰な人を伸ばすことなく、
その能力を認めずに、登用しなければよい。
そうすることで、世は平穏に治まる。
6. 日本は既に、老子社会だった
ここに書かれていることは、
平成時代の日本の教育システムに酷似している。
つまり、その制度で育った若者が、無欲であり、欲がないのは当然の事なのだ。
自分の好きなことや興味のあることに囲まれた、
豊かで、楽な生活スタイルを望み、
流行の商品でも、自分の趣味に合わなければ買わない。
我々は無意識に、老子の言う通りの教育を選択してきたようだ。
それでは、これから世の中はどうなるのか。
歴史を考察しながら考察しよう。
7.歴史からみる時代予測
孔子と老子の活躍した春秋末期は、
礼を基礎に置いた周王朝の封建制度が
崩壊の危機を迎えた時代だった。
その中で孔子は、徳の必要性を強く訴え、
周王朝の復興による社会秩序を取り戻そうとした。
その結果どうなったのか。
周王朝は崩壊し、戦国時代に突入し、
法による管理社会を唱えた法家の理論を採用した、秦の始皇帝が中国を統一した。
始皇帝の法による管理は厳しすぎ、人心が離れ、
わずか13年で崩壊したため、
それを教訓とした漢王朝は、
民衆が受け入れられるギリギリまで
管理と監視を調整すると同時に、
官僚(エリート層)には儒教教育を行うことで、
皇帝独裁国家を200年間維持することが出来た。
これは、今の中国ではなく2200年前の話だ。
当然の事ながら、それに抗う人々もいた。
無為自然、自由に、束縛もなく、
宇宙のあり方に従い自然のままに生活したいと願う人たち。
その声は徐々に大きくなり、王朝崩壊の原動力になったが、国家支配が強い限りその声はかき消されてきた。
今回のパンデミックにより、国家支配は強化されるか。
それともDXの進化により、弱まるのか。
2000年前にはなかったテクノロジーがどう時代を動かすか。
老子社会へのマーケティングがどう推移するか注目だ。
次に続く…
山脇史端
一般社団法人 数理暦学協会