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洗脳論語

以前、足利学校を訪れました。

周りは堀が設置され、門の前には孔子の石像が佇み、

その壮大な景色に、威厳を感じます。

いかにも、すごいくありがたい学問を勉強するのだ!と

思わざる負えません。

昔の人は、「論語」をどのように捉えていたのでしょうか。

そして、現代にも論語のルーツが色濃く残っているのではないでしょうか。

本ブログでは、『洗脳論語/苫米地英人(著)』より引用し、論語の正体に迫り、自身の行動宣言をしていきます。

■ 日本で論語が広まった背景

儒教が隆盛を極めるのは、鎌倉時代に入ってからです。
12世紀の終わり頃、儒教は新たに朱子学という形で中国から入ってきます。朱子学は、儒教をベースに仏教と道教を取り入れた学問で、「尊王」「忠君」の思想が重要視されています。
朱子学の信奉者だった、南北朝時代の英雄・楠木正成は、後醍醐天皇のために最後まで戦って殉死していることから、その思想の深度が伺えます。
鎌倉時代の後期には、多くの寺で朱子学が取り入れられ、僧侶の教養として嗜まれるようになります。
さらに、江戸時代に入ると、朱子学は僧侶だけの学問に留まらず、武士にまで伝播していきました。
戦国時代では武勲を上げることが出世の近道でしたが、それもいつしか朱子学に取って代わられるようになります。
徳川家康に登用されて 4代将軍家綱まで仕えた儒学者の林羅山のもとで、武家諸法度の起草や士農工商の制定、朝鮮通信使の対応など、思想はもちろん作法にいたるまで朱子学に基づいて指南されるようになりました。

『洗脳論語/苫米地英人(著)』

 上記の引用から、儒教は権力者が国を統率するために使われたとのことです。

儒教はそれだけ、権力者の思想を広めるために役に立ったのでしょう。

■ 君子とは誰か?

私が儒教を危険視しているのは、論語が「権力者中心」を謳うあまり、差別主義を育む温床となっている点です。例えば、論語では「仁」「忠」「義」という単語が頻繁に出てきます。これらは仁義や忠義といったように、目上の者や仲間に対して尽くす行為として知られており、多くの日本人には「よいこと」として認められています。しかし、論語を読むとおわかりでしょうが、論語において本来尽くす相手はたった 1人。それは、君子です。そして、君子とは時の皇帝のことです。多くの解説書では、君子を「よい人」などと訳していますが、そんなことはありません。論語が編纂された当時の中国で、皇帝以外を君子と呼べば即刻処刑されてしまいます。論語という書物の内容上、孔子自身を指す場合もありますが、それでも表向きは皇帝以外を指すことはあり得ません。

『洗脳論語/苫米地英人(著)』

なるほど、論語を読むと「君子」という言葉が頻発することがわかります。

その君子の対象は、「よい人」ではなく「皇帝」を指す言葉だったのです。

この経緯を考えると、忠義を尽くす君子とは皇帝であり、

国の権力者ということです。

これにより、今までの論語の見方が変わりました。

今まで当たり前に読み継がれているものでも、

一度疑ってみて考えることも重要だと考えました。

■ 行動宣言


1 教科書で習ったことも疑い、色々な視点で考える。

素直さも重要ですが、

良いことも、悪いことも時代によって変化します。

その時そのときを冷静に生きていきたいですね。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

これからも学びを共有していきます。


足利学校の入学証

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