以前、足利学校を訪れました。
周りは堀が設置され、門の前には孔子の石像が佇み、
その壮大な景色に、威厳を感じます。
いかにも、すごいくありがたい学問を勉強するのだ!と
思わざる負えません。
昔の人は、「論語」をどのように捉えていたのでしょうか。
そして、現代にも論語のルーツが色濃く残っているのではないでしょうか。
本ブログでは、『洗脳論語/苫米地英人(著)』より引用し、論語の正体に迫り、自身の行動宣言をしていきます。
■ 日本で論語が広まった背景
上記の引用から、儒教は権力者が国を統率するために使われたとのことです。
儒教はそれだけ、権力者の思想を広めるために役に立ったのでしょう。
■ 君子とは誰か?
なるほど、論語を読むと「君子」という言葉が頻発することがわかります。
その君子の対象は、「よい人」ではなく「皇帝」を指す言葉だったのです。
この経緯を考えると、忠義を尽くす君子とは皇帝であり、
国の権力者ということです。
これにより、今までの論語の見方が変わりました。
今まで当たり前に読み継がれているものでも、
一度疑ってみて考えることも重要だと考えました。
■ 行動宣言
1 教科書で習ったことも疑い、色々な視点で考える。
素直さも重要ですが、
良いことも、悪いことも時代によって変化します。
その時そのときを冷静に生きていきたいですね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
これからも学びを共有していきます。