豊田氏菩提所知行寺跡
説明
南北朝時代中頃(1360年ごろ)豊田氏は大内氏と和談しました。そして城を一ノ瀬城から妙見山(現在の長正司、藤棚のある丘)に移し、居住地も一ノ瀬から殿敷に移したそうです。当主は13代種藤のころで、この地に豊田氏の菩提寺、知行寺を建立しました。その後豊田氏は衰亡したため寺も廃れ、現在残るのは竹藪の中に転がる墓石の残骸だけとなっています。立て看板の右手に据えられている石は形からすると宝篋印塔の上部にあたりそうです。宝篋印塔は時代によっては貴人の墓標にも使われていたので、豊田氏の墓石である可能性があります。
また、左手の藪の中の小道を降りていくと木屋川の岸に至ります。ここにはかつて知行寺橋という名の橋が架かっていたことがあるそうです。(F)
画像
石に刻まれた標識
説明板
説明板の傍らに据えられた石、この上の方は宝篋印塔の九輪と笠石、その下の丸い石は五輪塔の水輪のように見えます。そうだとすると誤った重ね方です。丁重にあつかいたいものです。