JR真幸駅(まさき えき) スイッチバックのある駅
2024.10.04
昨年に続き九州旅行に来ていた。今回の旅行、メインは7日から始まる長崎くんちであるが、それまでの日程は、主に鹿児島観光をする予定であった。最初の目的地のJR九州肥薩線大畑(おこば)駅に辿り着いて驚いたのが、2020年の熊本水害によって不通になっていたことだった。矢岳駅に続き、次にやってきたのは真幸駅であった。
真幸駅(まさきえき)は宮崎県えびの市の山間にあるJR九州肥薩線の駅で、宮崎県で初めてできた駅として知られ、駅舎は1911年開設そのままの姿で残されていた。
真幸駅前後に矢岳駅と吉松駅がありますが、3駅其々所在県が異なり、矢岳駅は熊本県、真幸駅は宮崎県、吉松駅は鹿児島県で、3駅連続して所在県が変わる事は珍しいようです。
この駅も大畑駅、矢岳駅同様駅舎は、まるでタイムスリップしたかと思うような建物であった。
この無人駅では、自由に出入り出来ます、戸を開けたら必ず閉めてください「タヌキやシカが入ります」と書かれた看板に微笑んでしまった。
駅のホームには昔、鉄道員が旅客と仕事の安全を祈って鳴らした幸せの鐘があり、チョット幸せな人は1回、もっと幸せを願う人は2回、いっぱい幸せの人は3回鳴らすとされ、勿論3回打鐘すれば、山々に美しい鐘の音が響き渡った。
この駅は、険しい山線の区間にあるため、列車は真幸駅にいったん入り、引き返した後、再び駅の上の線路へと折り返す逆Z型のスイッチバックが設けられていた。
真の幸せに通じる「真幸」という駅名とは裏腹に不幸の連続であった。
1945年8月22日、多数の復員兵を乗せた機関車が真幸駅の近くのトンネル内で立ち往生してしまい、蒸気機関車の煤煙に巻かれた復員兵がトンネルを歩いて逃れようとしていたところへ、何も知らない機関士が列車をバッグさせてしまい53人が轢死した事故があった。
1972年7月6日、駅の裏山の8合目付近で地すべりにより山津波が発生し、高さ350m、幅280mにわたって山地が崩壊し、肥薩線を切断して白川沿いに1.5kmにわたり流出、この災害で住家28戸、非住家29戸が流失し、4名の方が亡くなった。
真幸駅のホームには津波で流出した重さ8tもの大岩が今も置いてあった。2020年(令和2年)7月4日の熊本県の南部を襲った豪雨で、八代駅から吉松駅の間が不通となってしまいました。
現在も、復旧の見通しが立っておらず、真幸駅に入ってくる列車はありません。
最後の列車から4年以上の年月が経ちレールを見ると上部が赤茶色に錆び、物寂しさと共に胸が痛むが、駅構内にある信号にはまだ電気が通い、赤い光がともるのを見る限り復活する希望の灯火に見えた。
駅舎入り口脇にあった田の神さま像であった。
#真幸駅
2016年青春18ポスターにこの真幸駅が採用されていた。