2024春の高山祭


2024.04.14
昨年に続き今年も春の高山祭にやって来たが、いつも午前中のからくり奉納を見ただけで、その後白川郷や金沢方面へ出掛けてしまい、日本三大美祭とも言われ、夜になると各屋台はそれぞれ約100個にもおよぶ提灯を灯し、艶やかに夜の闇を飾るが見ずじまいであった為、今回は短時間になるのは覚悟で祭りを観覧する予定を組んでいた。そのため、午前のからくり奉納は敢えて見学せず、日頃見学できていなかった下二之町観光から春の高山祭エリアに移動してきた。


午後のからくり奉納が始まるまで市内見物していると「三安佳四」と書かれた提灯に目がとまり、住民のこのわけを聞くと、崑崗(こんごう)台組の提燈(片原町)で、この「三安佳四」は、みあかしと読み、神様の光という意味だそうで、各町内で決められているものだそうです。因みに、石橋台組の提燈(上二之町上組)「日吉宮」で、恵比須台組の提燈(上三之町上組)は「献明燈」であった。


午後のからくり奉納が、まもなく始まります。それまでの時間アプリを使いラジオを聞いていると、貧乏神を主祭神の神社で参拝者が少ないと嘆いていた神主が取った行動は、なんと瓦版に「参拝しない人の所へは、こちらから出向く」と張り出され、それを見た民は、貧乏神に来られちゃたまらんと大勢の人が参拝しに出掛け、大盛況で神社は大儲けとなった。仲間に誘われて仕方がなく参拝に出掛け、お札・お守りも買う羽目になってしまった男。帰りに「こんな物、ご利益なんぞあるもんか」と、ドブに投げ捨てると、そんなことすると貧乏神の罰が当たるぞとおどされたが、なんと商売がうまく当たり大金持ちになり、なるほど貧乏神の罰が当たったとさ。


文化・文政(1804~1830)の時代に高山祭の屋台にからくり奉納が取り入れられ、江戸時代にはほとんどの屋台でからくりが演じられていたが、時代とともに失われ、現存して演技をしているのは4台となっていた。


山王祭が3台で三番叟、石橋台、龍神台、山王祭は布袋台のみであり、そのからくりは、能の外題などを題材にしたもので、その内部機構は巧妙複雑であり、操作は極めて難しく長年にわたる修練と経験と勘が必要である。


ご巡幸が始まりました。



祭り行列は氏子の繁栄を願い、神様が1泊2日の旅をするもので、神様は御分霊により神輿に乗り、総勢数百人もの大行列を組んで氏子区域を巡り、2日目には神社へ帰っていく。


神社に帰ることを還御といい、神様の行列はたいへん華やかなものに仕立てられ、神輿を中心に獅子、闘鶏楽、雅楽、裃姿の警護など、伝統の装束を身にまとった人たちが時代絵巻 を織りなす。神様が無事御旅所に到着できました。初めて御巡幸を見学していたが、帰り時間が迫ってきた、明日は仕事があるため、この地に居られるリミットは6:30までだが、残り時間も楽しむぞ。



そこでやってきたのは、筏橋、山車が通る中橋の撮影地点として知られる筏橋には、夜祭の始まる前から撮影の場所取りが行われていたが、無事撮影成功。初めてとなる夜祭りだが、時間の関係で夜祭りスタート時間が限界であった。


祭礼初日の夕方には夜祭りが開催され、各屋台には約百個越す提灯が飾り付けられ、灯りが消され夜の街を巡行すると言うが、やっぱり見たかったなが本音であった。日本三大美祭の一つの高山祭、提灯の灯りに浮かび上がる屋台をいつの日にかこの目で見てみたいものだ。


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