おっさんは4枚落ちに苦戦する

※はじめに
おっさんは学がなく、Twitterメインなので長文が書けません。
文章がぐちゃぐちゃなのはフィーリングで読んでくださると助かります。

~あらすじ~
おっさんは電王戦を見て、32歳にもなって将棋に熱くなった。

将棋をしたくなって、まず職場の人に声をかけてみた。
付き合ってやると言われ、仕事の帰りにドンキホーテに行き駒と盤を買った。
すこし恥ずかしかったのを覚えている。今更将棋を始めるというのと、将棋自体がちょっと古いような感じがしたからだ。まさかこの歳でドンキで将棋盤と駒を買うとは思わなかった。

次の日仕事終わりに久しぶりに盤で将棋を指した。
お互いグダグダで、なんとか勝ったのを覚えている。一回長考した時めっちゃ時間が経っていて、自分がこんなに集中して考えることができるのかと少し驚いた。
通りかかった職場のベテランさんも将棋をすることがわかり、翌日昼休み対局してみるとボコボコにされた。
悔しいと言うよりも「こんな強い人もいるのか」と思った。小学校の時全盛期だったぼくは記憶の限り初めてボコボコにされた。
昼休みの将棋はその後、習慣となった。

そしてもっと指してみたくなった。
ネットで地元の将棋の情報を検索すると公民館の将棋サークルと道場が出てきた。
公民館は平日のようで、どうも会わなかった。
道場……いやぁ、そこまで?
きっと、強面のおじいさんたちが「キエエエエイ!」って言いながら指してるんだろうな……怖そう……。
と思いながらも、会社の帰りに寄ってみようと思った。自分の行動力に驚いた。

僕の住んでいる街は年々衰退している。
新日鉄が中心となり、協力会社がいくつも有り、新日鉄と協力会社の社宅が市内のあちこちにあった。
しかし不景気とともに規模が縮小し、社宅も減り、自然と社宅の周りの商店街なども消滅していった。
いくつか店やテナントが集まっていた後、廃墟のように寂れた建物が市内にいくつもあり、道場もその寂れたテナントの集まりの一番奥に看板を掲げていた。

『日本将棋連盟君津大和田道場 師範丸山忠久九段』
入り口に木の看板がおいてあるだけで、扉が閉まっているのであんまりにも入りづらく、入り口をウロウロしていたら扉が開き子供が出てきた。
戸惑っていると中に老人がいて、「どうぞ」と言われた。
「いやぁ、将棋をしたくて……」
とりあえずと、平手で指して老人にボコボコにされた。老人は席主だったらしく情け容赦なくボコボコにされた。
僕くらいのおっさんがいきなり来ることはほぼないらしく、酷く警戒されていたのを覚えている。
平手は全然ということで、4枚落ちで指すことになり

「いやぁ流石に飛車と角と香車がないのは勝てるでしょwww」

と思ったがボコボコにされた。
将棋はなんて奥が深いんだ、こんなに駒を落とされて完封されるなんて……。

火がついた。
どうやら4枚落ちには定跡というのがあるらしく、右から棒銀で倒すらしい。
「定跡#とは」となっていた僕は、将棋の本を買うことにした。
ネットで調べて評価が高かった「定本 大山の駒落ち」をヤフオクで2000円くらいで落札した。

それから4枚落ちのページをコンビニでコピーし、小冊子にして持ち歩いた。
仕事が終わると子供に混じって駒落ちをした。
同じくらいの年の人は居なくて、老人と子供しか居なかった。
4枚落ちで負けて、たまに子供と指して負けて、また4枚落ちで負けた。
(後で調べたら「大山の駒落ち」はどうやら駒落ちの定跡が難しい定跡だったらしく、勝ちきるには結構力が必要だとわかった)

平日だけではなく、土日の午前9時からも道場に通った。
土日こんなに早い時間から動くのが久しぶりだったので辛かった。
そして道場に行くと4枚落ちで負ける、周りはみんな子供だ。その子供にも負ける。辛い。
おっさんが子供に混じって辛い日々が続くが、不思議と将棋を辞めるという気持ちは起こらなかった。
休もうかなと思うと席主から「今日は来ないのかい」と電話が来て、道場に通った。
それでもまだまだ4枚落ちは勝てなかった。

そんなある日、級の認定を貰った。

5級。

まぁそんなものだよな……4枚落ちも勝てないんじゃ……。
32歳のおっさんは、5級に認定され、4枚落ちに苦戦する日々となった。

(続くかも)

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