松任谷由実が、デビュー50周年を迎えた。半世紀にわたってこの国に君臨している魔女の最初のシングルに想いを馳せる。 1972年7月5日 シングル「返事はいらない」でデビューした、荒井由実18歳。 スーパーマンのTシャツを着たあっさりとしたあどけない顔の少女は、のちに80年代の日本の景色を次々と変えていくことになる。 八王子の呉服屋の娘に生まれ、小学6年生で横田米軍基地内の店で洋楽のレコードを買い漁るような早熟な子供だった。中学の頃は真夜中に家を抜け出し、当時の文化人たちが
母と父の婚約指輪を売ったら16000円にしかならなかった。売りに行った店に偶然テレビの取材依頼が入っており、匿名モザイクならばということで受けてみた。エピソードトークつきでものを手放せるならラッキーだ。私にはそういうものを引き寄せる力がある。私の話を聞け、私がそこにいたこと、私が見たものを世に残せ、広がれ、という欲がある。私にとって大事なことは私の物語の領域を拡大させることだからである。 テレビカメラを前に饒舌に語る。「ああ、手放すことが目的なんです。身軽になりたいなって。
日本橋三越本館の中央に突如出現する天女像 日本橋三越の吹き抜けの中央に、常軌を逸した沙汰ともいうべき天女像が鎮座していることはご存知だろうか。一度見た人なら忘れないだろうし、初めて見た人ならちょっとギョッとすると思う。華やかだが、その波打つ生命感が、過剰なまでの勢いが、百貨店の中央で暴れているのだ。言葉を選ばずに例えよう。もし、アニメや映画でこの像が出てくるとすれば、それはおそらく制御不能に蠢く生命体か、何らかの「意志」のようなものに取り憑かれて暴走しているシーンであろう…
「みやじさいかをクレイジーフルーツにします」 彼女はそう言って、山盛りの衣装を持ってやってきた。古着屋で私に似合うものを見繕ってくれたらしい。ドンドンダウン高円寺で購入したというディオールの黄色いタンクトップ、花のついたショートパンツ。仲良しの先輩に頼んで先輩の神戸のご実家から持ち帰ってもらったお花のついた麦わら帽子。ハートのサングラスに、厚底のサンダル、恐竜のネックレス。おもちゃ箱をひっくり返したようなかわいい服たち。これを着て、私は彼女に写真を撮ってもらうのだ。 事の
学校サボって海へ行こう 17歳の夏、友達と学校をサボって海に行ったことがある。中高一貫校に通っていた私と彼女は中学1年生の頃からの友達だ。二人は好きな小説が同じで、よく本の話をした。グループが変わったり、クラス替えがあっても、私たちはずっと仲が良かった。 もうすぐ“17歳の夏”が始まるという高3の7月、下校中の電車で「女子高生があっという間に終わっていく」という話をした。自称進学校に通っていた私たちは、夏からは受験勉強に専念する。 「中1の頃想像してた17歳って、もっと
瀬川おんぷになりたかった。 本当は瀬川おんぷが好きだった。 私はおジャ魔女どれみでは、どれみちゃん派であった。明るくて楽しく、おてんばで好奇心旺盛、魔女になりたくて、魔法のことばかり考えている。友達想いで、大好物はステーキ。 そんな彼女が私は大好きだった。 私は魔女になりたかったし、本当は魔法があっていつか本物の魔法使いになれるんじゃないかと思っていた。図書館の隅で見つけた「わたし、魔女になりたい!」という本が大好きで何度も借りた。担任の先生に「とよのさん、魔女になりたい