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魂(たま)散歩。16.5歩目。仲人さんの人生の振り返り

●仲人さんの人生の振り返りについて


「私の人生は本当に報われないことばかりでした。私はただ、人と同じか自分が辛かった分くらいは、人よりも幸せになりたかっただけなのです」

「周囲の大人たちがしてきたように、私も使える人や情報を使って、自分が良いように動いていただけです。それなのに、それを良しとしない人々の利己的な行動によって邪魔されてばかりでした」

「私は私なりに生きることに必死でした。だから、仕事でつなげる人々に対しては、『相手が望んでいるものと私への相手からの報酬が見合っているかどうか』くらいしか興味がなかったです」

「自分達で報酬を設定して、気軽に仕事を引き受けておいて、そのせいで誰かが不幸になった、とかひどい目に合った、とか言われても、そこは『自己責任でどうにかする部分ではないのか。仕事に対してのリスク管理が出来ない己のせいでだろう』といつも不満に思っていました」

「自分自身の不満が募っていても、報酬がキチンともらえて、欲しい物を我慢せずに過ごせるのであれば、特に他のことなど表面的に、それなりな対処していけば大丈夫だと思っていました。自分のことは自分でどうにかする、というのが私の中の信条であったからです」

「それなのに、周囲の人達は、私に自分以外の人間の面倒も見るよう求めてきました。私のことは誰も助けてくれなかったのに。しかし、私の仕事に支障が出そうだったので、そこも表面的に対応していたので、本当に煩わしくて仕方がなかったです」

「結局、私の人生は、私が自分自身の中での幸せを求めれば求めるほど、周りの人達の面倒事を押し付けられる…そんな感じだったと思います。そして、面倒事に対して拒否をすればするほど、より面倒なことになっていく…という状況がとても多かったです」

「本当にもう疲れました。人生の締めとしては、あまり良いものでも自慢できるものでもなかったですが、自分の人生が終わることを理解した時、ガッカリしたのと同時にホッとしたのもありました」

…ということでした。

仲人さんは一通り話し終えたあと、着ていた着物の泥や埃を払い、着ていた物の襟を直すなど、居住まいを正していました。

そして、光の方向を向いて、一度大きく深呼吸をしたあと、ゆっくりとその方向へ溶けるように歩いていかれました。

「自分の人生が終わることを理解した時、ガッカリしたのと同時にホッとした」

このセリフが今回一番印象に残ったように思います。

常に何かに追われ続け、追い立てられるように人生を過ごしていた場合、こんな気持ちになるのでしょうか…。

私自身も過去に「常に追い立てられているような」気持ちを抱えて過ごしていた時期があり、その時は「いつこの人生が終わってくれるのか」と考えていたりもしました。

しかし、自分で終わらせるほど人生に絶望しているわけでもなく、かと言ってしがみつく程の執着もない…そんな感じで、とりあえずなんとなくその場その場の対応を必死でこなしながら過ごしていた…そんな風にボンヤリと記憶しています。

仲人さんの人生も同じような感情を抱えながら過ごされていたのでしょうか…

そうすると、彼の人生というのは、ご依頼いただいた方だけではなく、今同じような思いや感情を抱えている様々な人の象徴的な部分もあるのかもしれないな…なんて思ったりもいたしました。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

今回はこのへんで。

とよみ。

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