書評:レジー『夏フェス革命 音楽が変わる、社会が変わる』
あれは確か2014年の7月の終わりごろだったか。Twitterのタイムラインを見てると、私の友人たちが「夏フェスはこんなんじゃない。」とミュージック・ビデオ付きのツイートをあげていた。興味があったので、そのMVを観た。それがSHISHAMOの『君と夏フェス』であった。
MVを観終わって思わず頭を抱え、以下のようなことをつぶやいた。
私は『夏フェスはリア充のためにあるのではない。日常がリア充でない奴らが、素敵な音楽と、美味しい食べ物と、美味しいお酒で、フェスで集まる友達とワイワイ騒ぐ場所こそ夏フェスだ!そんなまだ手をつなぐ事も照れくさがるようなBOY&GIRLが来るような場所じゃねぇ!!さっさと帰れ!!!』てな事を割と本気で思っていたりもしていた事もあったのだが、しかしこの曲が大阪はFM802の音楽ランキング番組である『OSAKAN HOT 100』で週間1位を獲得し、その年の年間ランキングでも10位を獲得する姿をみながらこんな事を思った。
『もしかしたら今の夏フェスって、私が思っていた物とは変わっているのかもな。』
もちろん夏フェスには行った事もあるし、今でも毎年フジロックとサマソニは欠かさず行く。さらにフェスで出会って彼氏・彼女になった友人や、結婚した友人もいる。だから『君と夏フェス』みたいな状況もわからなくはない。わからなくはいのだが、私はフェスに参加した2007年ごろから存在する“あるワード”の呪縛にとりつかれていたために、『君と夏フェス』史観を容認できなかったのではなかったように思う。そのワードこそ“参戦”である。
僕が20代の頃、2007年ごろに夏フェス行くときの枕詞は「参戦する。」であった。つまり「夏フェスと言う名の戦」に出るということだ。実際、夏フェスは気温30度超え、そんな中で演者は観客を熱狂させるようなアクトをバンバン行う。それに対して観客はダイブにモッシュ、シンガロングで応戦する。演奏終了後に満身創痍でシートエリアに戻って座りながらポカリを飲む姿は、合戦後の武士のようでもあった、、、とは流石に言い過ぎだが、はっきり言って夏フェスというのは楽しいけど過酷な物であった。
現に私は行った事ないので伝え聞きの範囲にはなるが、97年の第1回フジロックの過酷さ。バスが来ない、雨土砂降り、地面はぬかるみ、不十分な準備で大体の観客は雨ざらし、そんな状況では『君と夏フェス』史観は絶対に生まれはしない。
ではなぜ、このような史観が生まれたのか。そのヒントになる作品がレジー氏が書いた初の著書となる『夏フェス革命ー音楽が変わる、社会が変わるー』である。
レジー氏と言えば社会人として働きつつも、音楽ライターとして『MUSICA』『M-ON! MUSIC』『リアルサウンド』といった媒体に寄稿する人物であるのだが、そもそも私がレジー氏を知ったのは彼の書くブログであり、その内容はロック・イン・ジャパンに関しての考察記事であった。
http://regista13.blog.fc2.com/blog-entry-5.html
この頃の夏フェスに関しての考察記事の内容を大幅にアップデートした内容が、この『夏フェス革命 音楽が変わる、社会が変わる』であるのだが、私なりにこの本の内容を整理すと
夏フェスが『君と夏フェス』史観になった理由を『協奏』というテーマで読み解く。
といっていいだろうか。協奏というキーワードが出たのだが、レジー氏は夏フェスが今のように変わった理由を「協奏のサイクル」が時代ごとに変化しアップデートした結果だという。ここで出てくる「協奏のサイクル」とは以下の5点だ。
1.商品/サービス提供
2.ユーザーによる顕在化していない価値への着目
3.ユーザー起点での新たな遊び方の創出(異なる概念との組み合わせを含む)
4.企業が当初想定していたクラスターとは異なる層によるファンベースの拡大
5.企業による新たなユーザー層・楽しみ方の取り組みとそれに合わせたリポジショニング
(『夏フェス革命ー音楽が変わる、社会が変わるー』P64)
夏フェスにこれを置き換えると
1.夏フェスなのでライヴを提供します
2.夏フェスを行ったらライヴよりも「ご飯」や「ファッション」に着目する人が出てくる。
3.それらをインスタグラムやTwitterでアップして楽しむ人が出てくる。
4.3のような人々が出てきたため、音楽にそこまで興味がない男の子、女の子が夏フェスに遊びに来る。
5.そんな男の子、女の子も楽しめる場所へ夏フェスを変化させていく。
といったような感じだ。そしてこの循環こそ、夏フェスを今のようなスタンス変えていったとレジー氏は語り、この「協奏のサイクル」を使いレジー氏は第2章(70ページ)でロッキン・ジャパン・フェスの変遷を丁寧に分析。第3章ではこの協奏の原因がSNSである事を伝え、第4章ではそんな夏フェスがミュージシャンや雑誌といったものへの影響を及ぼす、という事を語る。
この著書を読みながら「参戦」というのは「1.商品/サービス提供」の部分にフォーカスされて生まれた言葉であり、むしろ「君と夏フェス」史観は「2.ユーザーによる顕在化していない価値への着目」「3.ユーザー起点での新たな遊び方の創出」から生まれた言葉であることが分かった。そして現在においてはこの2や3こそ、企業は着目しないと成長が望めないわけであり、それはすなわち「君と夏フェス」史観こそ企業がビジネスとして観客の要望を答えてきた結果であり、フェスというものが音楽界で巨大なビジネスになっている事の象徴でもあるのではないかと、そんなことを思った。
そういう意味では『夏フェス革命ー音楽が変わる、社会が変わるー』は音楽フェスに興味がある人だけでなく、企業に勤める会社員にもビジネス書として読める作品である。 (マーガレット安井)
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