こんなにダラダラできたのいつぶりだろう
なんだか毎日実直に何かをやる日々を生きてきたような気もするし、なにか机に向かって生きてきたような数ヶ月だった。
でもなんかふと疲れ切ってしまったと言うか、知らず知らずのうちにストレスだったようで、気分の高揚と不安を交互に短時間で繰り返すような時間が仕事中に起きて、なんかまずい気がしてリスパダール液0.5を試してみたら、一気に鎮静されたのか深い眠りへ。
起きたのが21時半ごろだったので、かれこれ5時間くらい寝てたことになる。
起きてみたらまだ鎮静が効いてたのか、崩れ落ちてしまった😅
そして夕飯やちょっとお菓子を買ったり、大好きなアイスクリームケーキのビエネッタを買って食べたらなんだか落ち着いてきて、暗い気持ちにはならずに、私は何のために今生きようとしてるのか?って考えつつ、ベッドに横たわりながら届いたDACアンプで音楽を聴いて、ホッとしている。
こんな当たり前の安らぎが、ここ数ヶ月なかったような気がしたなぁ。いやいやともすればバカ真面目に、どこか余裕なく隙間を埋めた生活を送ろうとしてきたんじゃないか?と気づいたというか。
仕事中に起きた事態は体からの悲鳴だったのかもしれないし、リスパダールが考える時間をくれたようにも思うし、助けてくれてありがとうって気持ちになりました☺️
「嫌なこと(イベント)って考えるより、好きな人がやって来るイベントなのか?」とか、今は自分に浸透しきれないかもしれないけど投資になるかもしれない気がすることは惜しみなく勉強したい気持ちはある…けれど、この寒さが増してストレス要因が増してる時期に、薬をソフトランディング運用できるよう努めすぎたことや、本当は嫌に感じてることに無理に有益性を持たせて取り組もうとしてたかもしれないなと思い始めてきたというか😅
もっと簡単にいうと計算高く、けれども素直でいいんじゃないかな?って思ったり。決してそのタイミングでしか得られない学びが保障されてるわけでもないのだし、気が乗らないなら無理に励むこともないのかなって。やる気と気力のある時の学び取りって凄まじいから…それがADHD特性だと片付けられちゃうと、時に悲しいけれど、やる気を待つ人生ってそんなにダメなことなのかな?と思えてしまう。
逆に許されてるのは、怠けているとかではなくて事実倦怠感の強い心身を自分がわきまえていて、周囲の理解もそれなりにあるからではないだろうか?とさえ思うのだ。
本当に自分ばかり責める案件なのだろうかなってね。だから完璧を目指して、自分をポンコツ呼ばわりする発達当事者が苦手というか、そんなに自分に厳しくしてまで周りに合わせる必要性はないんじゃないかな?って思っちゃう私です。そもそも健常者でもそこまでキッチリできてる人がどれだけいてる?って心境になっちゃうっていう。
足りないなんて思いすぎなくていいんだよって思う。それこそ個性なんじゃないかなって。半分くらい健常者に合わせられれば、実は上出来って思ってる私がいても許されるんじゃないかなって。
合わせるだけの人生じゃなくて、やはり発達に生まれたメリットも活かしたいって思う人生。メリット全無視って辛いよ、やっぱ。だから発達の薬をキメまくるのは違うかなと思ってる。あの発達で良かった側面が削れてくる悔しさは辛い。豊かな想像力が出てくるADHDの特性はある程度残しておきたい。もちろん癇癪は消したいけれどもね😅 ADHDから来てる想像力が、休息時間を豊かにしてることは間違い無いなぁって改めて思った一日でした。