夢追う私は弱いまま歩みをやめずにこれからも
38年間の人生、これが長いのか短いのか正直わからない。
これでも先輩を亡くしたり、悲しいことも経験してきたわ。
若干のうつ期を抜けた雑感
ただその間に前回の日記のような今となっては愛おしい日々もあったし、性分化疾患や性同一性障害をはじめ、双極症もある人生だけど、20年前くらい遡るとまだ性同一性障害しか自覚症状がなかったから「自分の人生に性同一性障害という超お先真っ暗な人生がこれからずっと続くのか〜これさえなければまだなんとかなったのに!」という次元で悩んでいた。
だけれども「男性として違和感なく生きてることが幸せなのか?」いや「女性として生まれてれば幸せだったんじゃないか?」と、『自分の人生でありながら、どう生まれてきてたら幸せだったのか?』がそもそもわからなくなった(…なんていうか性分化疾患だから男性にも女性にも生まれた経験がないから、その感覚さえそもそもわからないのだ 笑)
結局ね、もがきながらもこっち方面に進むと幸せになれるかもしれないとか、まだ自信が持てる方向性かもしれないとか、まだ先を見通せる選択だ!といった具合に生き続ける人生だと思う。
そして母から言われたのは、「また誰かを好きになって付き合うでしょ!」と。確かにそうかもしれない。時代は厳しいけれど、なんとかこれまでのように自分が前よりも心地よく生きれる在り方を探して、私らしいトッピングをして、唯一無二の人生にするのだろうなぁ。
流れゆく人生の中で、人は立ち止まってやってきたことを振り返ってという時間をあまり取れなかったりする。そこには「自分なんて大した人間じゃないから」とか「もっとすごい人がいっぱいいる」とかついつい考えちゃうんだけど、自分の人生もすごいのよ!って立ち止まって考えられる人に今後はなっていきたい。
孤独で弱気なフロンティア
大学生の時に学生相談室に入り浸ってた私。
その時臨床心理士さんに「フロンティアなのよ」と言われた。
これは今でもその捉え方に悩んでしまうの。
いい意味にも悪い意味にも。
ただそのキーワードに自分を当てはめて考えてゆくというより、生まれた時からフロンティアだから、今から当てはめて考えることじゃないのかもしれないって考えることもできるような気がしてます。(自惚れにも聞こえちゃったらごめんね)
だから何をやっても前例がない。
そう自分の人生、前例がないと言われまくった人生なのよ(⌒-⌒; )
大卒近くの就職活動中も、救急車で自分の病気を説明する時も、前例を経験してこなかった病院で治療を受ける時も…
逆質に私らしさが伴う
じゃぁ逆に問いたい。
「いつ前例を作るつもりですか?」と。
まぁそこでブチギレないためでもあったのかな、あの臨床心理士さんのアドバイスは!と思うわけです。
前例となれるように働きかける人が、どれだけ阻まれたり、ハードルを超えて私を導こうとしてくれるのか?も試されるわけだし…そういう人たちに実に助けられてきた人生でもあったなぁと思うわけです。
堂々としててもいいんだけど、こういう時堂々とできなくて泣いたり、負ける自分でもいいかなって思うんです。そこにいるだけでどういう気持ちでそこに立っているかは見せつけられるんだから。だから正直にそこに立っているだけでもいい…私はそう思います。