身体の上手な使い方
前回は同じ方角を見ている仲間についてお話ししました。
今回は「身体の上手な使い方」について。
何度もテーマになっている、悪いところを良くするという世界観。
これは痛みや不調の話だけではありません。
もっと良い自分になるという「今よりプラス」を望む時でも同じ事が起きています。
なりたい自分になる、目標を達成する、夢や志に向かっていく。
実はこの方が、身体が置き去りにされてしまうことが多い気がします。
理想に向かって一人で歩いている?
そこには理想の自分、効率の良い環境をイメージしますが、どれも「自分」に対するスポットのみが強くなりがちです。
そもそも身体は無数の生物と共存していて、更に個体を超えて影響を受け合っているので、本来の身体や周囲の一部という視点で捉えることで、一人では気づけない大きな可能性までもが見えてきます。
とはいえ、人生の中で力強く前へ進む力やタイミングが重要な時もあると思います。その時こそ、勢いだけでなく、違和感をヒントに微調整ができるかがポイントです。
違和感を見過ごしてしまうと「成果が無かった」だけではなく、身体や大切な人が苦しい状況になることがあります。関わった内容に良し悪しはそれ程なく、全ては自分の関わり方次第です。
アスリートは強靭な肉体とセンスの持ち主?
スポーツの現場では、身体とのダイナミックなコミュニケーションが多く、身体をより上手に使う事を目的に、コントロールする傾向を感じます。
プロに近くなるほどに強度や頻度も増えるため、身体や周囲への影響は大きくなり、選手・環境の価値観次第で、身体に相当な無理を強いる状況にもなり得てしまいます。それでも目標に向かって進めてしまうのは、確かに一つの特性やセンスなのかもしれません。
しかし、努力や忍耐は、様々な方向で身体に大きな負担をかけるものす。それらのパターンに、成績や賞賛がついてくると、かなり根深い状況にもなってきます。
選手生活を人生の中の一つの貴重なタイミングとして、身体の自然な働きやまだ見ぬ可能性に気づくために用いる。
自分や環境の理想に合わせて、思いのままに使えるよう、身体に努力させる。
自分が身体だとしたら、後者の関係性はちょっと苦しいですね。
大きな可能性がある
身体の自然な働きに気づく関わり方、身体を上手に使う関わり方。
この両者の先に広がる世界は大きく変わる気がします。
日常でのちょっとした違和感を無視すること。過酷な状況で身体を酷使すること。
実は身体からするとこれらは同じ事で、かつ直結したものだと感じています。
大きく環境を変えることは難しいけど、日常での違和感を手に取ることは今からでもでます。その日常での気づきが、人生の礎になると感じます。身体本来の動きに自分自身が加わった時、そこには想像をはるかに超える世界があります。
次回はいよいよ「相互循環セッションの基本」についてお話しします。
豊田玲子(遊びたい、身体大好き)
理学療法士 パーソナルトレーナー
2012 IFBB World Chanpionship Body Fitness 日本代表