見える化しにくい楽しさ
前回は相互循環は面白いなぁ。。。についてお話しました。
今回は見える化しにくい楽しさについて。
まず最初に、ごめんなさい。。。
見える化しにくい私にとっての楽しさ。この内容は全く伝わらないかもしれません。それでもちょっとでも読んでくださった方、ありがとうございます。
情報の種類
音楽や絵描き、料理などをしていると、絶妙な匙加減という世界観を感じます。楽器の演奏を例に挙げると、音の強弱、速度、滑らかさ。物事はたくさんの方向から見ることができます。
そよ風の心地よさ
「なんか心地いいな〜」という体感は、多くの情報を絶妙な匙加減で受け取った時に起こっている気がします。
例えば「そよ風が気持ちいい〜」なんかもそうですよね。暴風でも逆方向からでもない、たった一回のものです。取り上げられもしない、日常にありふれている絶妙な匙加減です。
日常の上下
それを楽しむ世界観と対極とも取れるものが、非日常感。
私も以前は絶叫系アトラクションが好きだったり、何かを達成することに目標を置いていました。
非日常感の楽しさや頑張りは、日常とは違う強弱やスピード感として感じやすく、ずっとは続けられないものです。
その刺激の終わりと共に、日常に戻る過程をピークポイントからの落ち幅として感じやすくもあるので、その経験が自分の何かにとって大きな快楽であれば、またその強弱やスピードを求める事にもなると思います。
完結しない楽しさ
完結してまう楽しさは、強弱とスピード感が強調されます。
でも情報にはたくさんの側面があって、例えば「濃淡」もあります。
強弱をz軸、時間をy軸、スピード感をあるポイント(p)への傾斜角(緑ベクトル)とした時、そのポイントに対する自分の捉える深さx軸を加えただけで、奥行きが生じ、そのポイントに濃淡が出ます。点pまでは辺ではなく面が作られるので、強弱やスピード感はゆらぎの中の経過となります。
見えるものが最低でも3D構造になるので、自分以外の軸とのたくさんの交わりが見え始め、その交点の数によって、点pには他の色が重なり、各座標軸によって見える色合いが変わる深まりを知ります。
別座標による意味づけ
情報の濃淡を感じるようになって、他者の視点を見るようになりました。そして同じポイントを共有していても、その点がそれぞれの座標のどのポイントに位置しているのか、その意味づけは全く異なることを知りました。
そんな無数の交点と捉え始めると、共有できる絶妙な匙加減とは奇跡なのかもしれませんし、物事に良し悪しはつけられないことを改めて痛感します。
と、木枯らしに身を震わせて感じた、見える化しにくい、楽しい時間でした。
豊田玲子(遊びたい、身体大好き)
理学療法士 パーソナルトレーナー
2012 IFBB World Chanpionship Body Fitness 日本代表
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