「高給非正規雇用」という言葉は、とても醜い。
「月収300万円も、外資に増える高給非正規雇用」(日本経済新聞電子版180802)
非正規社員というと、年収の低い人たちを得てして想像しがちですし、実際に平均給与は低いのですが、それは、フルタイム働いていない文字通りの意味のパトタイマーがたくさん含まれているから。フルタイム働いている契約社員や派遣社員の中には、高度な専門性を持った契約社員やエンジニアを中心とした特定派遣での派遣社員など、正社員に匹敵する、あるいはそれを上回る報酬を得ている人がこれまでもいました。今回の記事は、さらにエッジのたった人材の需要と供給が生まれていることを報道するものです。
このような就業機会が社会に多く生まれるのは、望ましいことです。「多様な働き方」を生み出すことは、ひとり一人が、自身の志向や能力を活かして生き生きと働ける次世代社会を実現するうえでは欠かせません。
ですが、それとは別に、この見出しにある「高給非正規雇用」という言葉に、私は大きな引っ掛かりを感じます。
非正規雇用という言葉は、平成の労働市場動向、雇用動向を語る上では外せない言葉です。非正規雇用は、以下のようなステレオタイプな言説によって、普及したといわれています。
バブル崩壊後の長期景気低迷、右肩上がりの成長の終焉により、企業は全従業員の終身雇用が難しくなり、正社員のリストラ(退職勧奨、雇用調整)を行い、その代替として、契約社員、派遣社員、パートアルバイトなどの非正規雇用を積極的に活用し始めた。
確かにこのような動向が、一部の産業や職業ではありました。大企業の一般職や受付交換職の派遣社員比率は劇的に高まりましたし、工場労働者の正社員比率は劇的に下がっています。
しかし、非正規雇用の増加は、主にはサービス経済化という、どの国にも経済の発展、成熟とともに押し寄せる社会潮流によるものです。それがもたらすのは、大きくはサービス業比率の上昇に伴うサービス人材の需要の急速な増加です。旧来のブルーカラーに代わる新たな人材需要の増加です。そして、サービスという在庫という概念のない商品の提供のためには、その瞬間に、顧客にサービスを提供する顧客接点人材が大量に必要になる。そうした人材の機動的な採用、配置には、アルバイトパート、契約社員といった就業形態がフィットするものだった、というのが主たる要因です。
かつて、雇用者の大半が正社員であった時代に、その他のイレギュラーでありごく少数の働き方を、非正規社員と名付けた。それは、しかし、一般人が口にするような名称ではなく、行政や企業管理などに限られた言葉であった。しかし、それが、そうした人たちの社会的な増加とともに、一般用語化し、今や多くの日本人がこの言葉を使っている。「給与が低い」「不安定」などのステレオタイプなイメージを伴って。
その状態自体に、私はそもそもの違和感を感じています。契約社員、派遣社員という言葉が広く使われるうになるのは何も気になりませんが、非正規社員という、正規にあらず、という、常識的に考えれば「かなり失礼」な用語が広く使われているのには、違和感が強くあります。正社員という言葉にも、違和感が勿論あります。いずれの言葉も使わなくなる社会が到来することを実現したいと考えています。
そういう背景を持つ言葉である「非正規雇用」に、「高給」という、端的ながらも品位が感じられない言葉がくっついたフレーズが、記事の見出しに出ている。私には、とても醜いものに見えます。記者は、他意なく使っているのでしょう。しかし、いや、だからこそ、そのセンスを私は強く疑います。
言葉は、社会を構成するうえでとても重要なものです。言葉を仕事にしている人には、言葉に敏感であってほしいと思います。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33558060Q8A730C1XQD000/