文字を見るということ
私は元々小説を読むことが好きだ。ジャンル問わず、なんでも見る。政経、ラノベ、官能も。
実を言うと、本のストーリーや内容は私の中でさほど重要じゃない。本を読むという行為、すなわち、これだけの文字量の活字を読むという事が好きなのだ。
本を読んでいる自分が好きというナルシスト。なわけではない。
私は、言語能力の向上、語彙力の発達、読解力を身につける、今無い知識を植える。ために、本を読む。
自我を持ち、本を読み始めたのは小学生の頃、○○のひみつシリーズという学研漫画シリーズからだ。
漫画は漫画なんだけど、娯楽としての漫画ではなく、知識のための漫画である。天気のひみつ、宇宙のひみつの様な難しそうなものから、サイダーのひみつの様な大人でも気になるものもある本だ。
そこから中、高と進学するにつれてより難しい本を読んだ。今も好きな小説家は伊坂幸太郎。
読みたい(昔は読んでいたけど今は読んでいない)のは新聞。
間違いなく、頻繁に本を読んでいる、もしくは読んでいた人の言語能力は、読んでない人に比べては高く思える。
そして、より高度で難解な音楽もこよなく愛せる人であると勝手に考えている。
んー。何と言うのか、オーケストラやJAZZ、インストゥルメンタルと、本、文字は似ているような気がしてならないのだ。
文を読めない人は、分からない、響かないからであって、オーケストラを聴かない人も、分からない、響かないからである。
集中力や興味の問題ではない。絵本や小説が読めても、政経本、論文のようなものが読めないのは、難解だと思ってしまうからではないか。POP、ROCKが聴けてもオーケストラが聴けないのはどこか敬遠してるからではないか。
先程述べた音楽ジャンルも同じように、どこか大人な、難しい気がするし、歌詞もないからイマイチ分からないからではないだろうか。
文字を読むということは、音楽を聴くことである。という持論に賛同して、上手く言語化してくれる人がいたらコメント欄で代弁していただきたいと切実に感じているドレッドである。
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