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〈音楽ガチ分析〉「エリーゼのために」の謎を解く ~ その楽譜、間違ってない?

どうも、作曲家のトイドラです。

今回取り上げるのは、言わずと知れたクラシックの名曲「エリーゼのために」
ヴェートーベンが作曲した短いピアノ曲で、メロディを聞けば誰でも「あの曲か!」となるほど有名な曲です。
ピアノを習ったことがある人なら、アルペジオの練習で1度は弾いたことがあるでしょう。

さて、そんな「エリーゼのために」を分析していきたいのですが……。
分析の前に、1つハッキリさせておくべきことがあります。
「その楽譜、本当に音あってる?」
ということです。

よく見る楽譜

「え、あってるも何も楽譜なんて1種類しかないでしょ!?」
と思った画面の前のアナタ。
実は、「エリーゼのために」には非常に多くのバリエーションが存在します
そして厄介なことに、それらの楽譜のうちどれが正しい音で書かれているのか、いまだにハッキリしていません。
何なら、僕たちが普段見かける楽譜は明らかに間違った音で書かれていることが多い(!!!)です。

「エリーゼのために」がそんな不遇に見舞われているのには、れっきとした理由があります。
全ては1人の音楽学者、ルートヴィヒ・ノールから始まった物語。

Ludwig Nohl(1831~1885)

そういうわけで、今回はそんな「エリーゼのために」に隠された謎を追っていきます。
その後で、本格的な楽曲分析にも踏み込んでいきましょう。
ピアノ好きの方は必見です!

※ 記事を購入すると、最後まで記事を読めるうえ、楽曲分析のPDFやらスライド資料やらをDLできます。


▽解説動画▽

謎① 失われた自筆譜

そもそも、クラシック音楽は何百年も時を超えて伝わってきた音楽です。
なので、伝わる過程でちょっとした写しミスや演奏家の都合によって楽譜が勝手に変えられてしまうことがあります。
そんなとき、どうやって楽譜の間違いに気づけばいいのか……?

そう、作曲者本人が書いた楽譜と見比べればいいですね。
クラシック音楽において「正しい楽譜」とは、すなわち自筆譜のこと。
作曲者本人が「この曲の正しい音はこうだ!」と書いているわけですから安心です。
実際、ドイツのヘンレ出版社のように、作曲者本人の原典にこだわることをウリにした出版社もあるくらいです。

ヘンレ社の批判校訂版(urtext)スコア

ところが、「エリーゼのために」は肝心の自筆譜がありません
そのせいで、どんな楽譜が正しいのかイマイチ確証がないのです。

……こう言うと、カンの鋭い方なら
「え、自筆譜がないのになんで今まで楽譜が伝わってるの?」
と思うでしょう。
なんと、「エリーゼのために」の自筆譜は途中までは確かにあったらしいのです。
ところが悲しいことに、あるタイミングでどっかへ消えてしまいました。
いや、そんな大事なモンなくすなよ!?という気持ちでいっぱいですが、実際なくなってしまったのだから仕方ありません。
いつどうやってなくなったのかさえハッキリしない有様。

そんな「エリーゼのために」の自筆譜ですが、発見された経緯もけっこうヘンです。
最初に発見したのは、音楽学者のルートヴィヒ=ノール

Ludwig Nohl(1831~1885)

1851年、生前にヴェートーベンと親交があったテレーゼ・マルファッティが亡くなり、その遺品の中から「エリーゼのために」の自筆譜が見つかりました
つまり、「エリーゼのために」はそもそも出版されるつもりで作られた曲ではなく、ただ女性に送るためだけに書かれた習作だったのです。

ところで、この曲の通名として知られる「エリーゼのために」は、この曲の正式なタイトルではありません
そりゃそうですよね。
そもそも出版される予定のない曲だったので、正式なタイトルは付けられていません。

ではどうして「エリーゼのために」と呼ばれているのかというと、自筆譜に手書きで「Für Elise(エリーゼのために)」という献辞が書かれていた……らしいから。
なぜ含みのある言い方をするかというと、そもそもこの献辞を見たと言ってるのはノールだけだからです。
「Für Elise って書いてあったよ」
と言っているのはあくまでノール1人だけ
彼以外には誰も、実際に献辞を目にしたとは伝えられていないのです。

真相は闇の中

謎② 初版に残された写し間違い…?

そんなノールは、テレーゼの遺品から「エリーゼのために」の楽譜を見つけた後、この楽譜を出版することにします。
そういうわけで、手書きの自筆譜を写し、浄書したうえで出版された最初の楽譜がこれです。

「エリーゼのために」初版

この楽譜は、1867年に出版された初版として知られます。
僕たちがよく知る「エリーゼのために」は、基本的にこの初版をもとにしているようです。
ちなみにもう著作権が切れているので、IMSLPから無料で見ることができます。

さて、そんな初版ですが、少しばかり気になる部分があります。
7小節目のメロディを見て下さい。

フレーズの切れ目にあたる部分ですが、音を見てみると「E・C・B・A~」というメロディになっています。

ところで、このメロディはフレーズの切れ目ごとに何回も演奏されます。
なので、曲の中で何回も出てくるわけです。
例えば22小節目とか、

42小節目とか、

曲の最後のところとか……

…………あれ!?

E・C・B・A~」じゃなくて「D・C・B・A~」じゃん!!
というわけで、なんとこの初版、7小節目以外のメロディは「D」で始まっています
7小節目だけが「E」です。
なんか怪しくないか……???
ノールさん、もしかして楽譜写し間違えちゃったんじゃないでしょうか。

もちろん、ベートーヴェンが実際に
「7小節目だけ『E』だ!!」
意図して書いていた可能性はあります。
ただ個人的に、それはなさそうだと考えています。
なぜなら、ベートーヴェンが自筆譜の前に書いていた下書きには、7小節目も「D」で始まるように書かれているからです。

そう、実は「エリーゼのために」は、自筆譜は失われているけどその前段階の下書きは残っています。
それがコチラ。

メチャクチャわかりづらいのですが、7小節目のメロディはここです。

確かに、7小節目のメロディが「D」から始まっているのが分かります。
少なくとも、どう見ても「E」からは始まっていませんよね……。

このことから考えても、ノールの初版の7小節目はやっぱり奇妙です。
何しろ自筆譜を見たことがあるのはノールだけなので、実際に自筆譜がどうなっているのかは分かりません。
ただ、この「E」から始まる7小節目はヴェートーベンの意図通りなのかどうか……。
疑ってみる価値はあると思います。

間違っているかも知れない

謎③ 楽譜あとから変えすぎ問題

そんなわけで、7小節目のメロディの表記ゆれについて話してきました。
……が、実は他にも表記ゆれはたくさんあるのです。

具体的に見ていきましょう。
基本的に、良く表記ゆれが発生する部分は2か所です。

・メロディ開始音「D」vs.「E」

まずは、さっきから話している通り、メロディが「D」から始まるか「E」から始まるかという部分。
7小節目以外にも、同様のメロディが21・44・58・88・102小節目と複数回登場しますが、この中で「D」から始まるメロディと「E」から始まるメロディが混在するパターンがあります。

まず、初版の場合はこうです。
さっき話した通り、7小節目だけ例外的に「E」から始まるパターン。

「D」から:44・58・88・102小節目
「E」から:7小節目

これに対し、作曲者の原典に忠実に作り直されたヘンレ社やベーレンライター社の楽譜というのも出版されています。
こちらでは、なんと全ての箇所が「D」からに書き直されています
スッキリして良いですね。

「D」から:7・44・58・88・102小節目
「E」から:なし

一方、特にこだわりもなく出版されている大多数の楽譜では、全ての箇所が「E」から始まるパターンもよく見られます。

「D」から:なし
「E」から:7・44・58・88・102小節目

また、そうした楽譜の中には、なぜか最後の箇所だけが「D」から始まるというよく分からない楽譜もあります。
なんなら、一番多く普及している楽譜がこのパターンです。
マジで何???

「D」から:102小節目
「E」から:7・44・58・88小節目

皆さんも、ぜひIMSLPで無料公開されている楽譜を見比べてみてください。
本当にてんでバラバラで、頭が痛くなること請け合いです。

・最後の音「単音」vs.「和音」

これに加えて、よく表記ゆれが見られる部分がもう1つあります。
それは、曲の最後の音

例えば、初版ではこのような音で曲が終わっています。

鳴っている音は3つ、どれも「A」の音です。
つまり、「A」の単音をユニゾンしているだけですね。
どうやらヴェートーベンが意図したのはこの終わり方だったようで、ヘンレ社やベーレンライター社の楽譜もこの終わり方を採用しています。

ところが、最近よく弾かれる楽譜は違います。
鳴っている音は4つ「Am」の和音が鳴らされるのです。

つまり、右手に「C」の音が後から付け足されているワケです。
勝手にそんなことしていいのか!?

これはけっこう由々しき事態だと思います。
なにしろ、ベートーヴェンの意図していない音が後から勝手に付け足され、
「なんかカッコイイので、ヨシ!」
というノリで普及してしまっているわけですから。

なぜこんなことに?

さて、ここで紹介した2つの表記ゆれですが、なぜこんなことが起きてしまうのか。
実はちゃんと理由があります。

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