後天的にパンセクシャルになった女が語る昔話
昨今は所謂LGBTの運動が活発となり、同性愛や性の不一致などが寛容となっている現代。この筆記者である私ことあやねも、その内の一人だ。
私はパンセクシャルという『好きになった人が好き(男女関係なく)』という部類に属しているとは思うが、二次元では男性キャラが好きになったり三次元の男性アイドルを推していたりもする反面、三次元の現実的な関係の人間と恋愛をするなら男性は論外だと思っている。現にTwitterで知り合ってから仲良くなったほぼ同年代の女性と、今は遠距離だが結婚を前提として交際をさせて頂いている(親は認知済み)
その点、今の私は社会的にみるとレズビアンの方が近いのかもしれない。
何故三次元の、周囲の男性に気が向かないか、それは私の過去が全てを物語っている。私は過去の経験から男性を信用することが出来なくなってしまったのだ。ここからはどうして男性不信になったのかについての自分語りがより強くなるため、閲覧は自己責任とする。
幼稚園児であった当時5歳の私は一人の同じクラスの男の子に恋心を抱いていた。その子(仮にTくんとする)は大人しく、私の愛情に対して嬉しそうな笑顔で返してくれる優しい子だった。私がTくんのことが好きだということは他のクラスの子や幼稚園の先生や園長先生までもが知るくらい、私は毎日Tくんに付きまとうようになっていた。(当時からストーカー気質があった模様)
幼い頃の私は、それはそれはドのつくぶりっ子だった。お姫様になる夢を持った、ピンク色大好き自分可愛い♡系の残念な子だった。
いつしか幼稚園を卒業することになり、Tくんは別の学校に行くことが決まった。悲しかったが夢みがちな乙女(笑)であった私は「いつかTくんが白馬の王子様になって迎えに来てくれるよ」なんという、大人の妄言を簡単に鵜呑みにしてTくんに別れを告げた。いうまでもなく、それ以降Tくんとは一度も会っていない。
それからは小学生となった私の元気な小学校生活が始まった。
ぶりっ子は多少控えめになり、その代わり私は食べ盛りに突入した。趣味が元々インドアであったため、私の痩せ型だった体型はみるみるうちに平均体型、そして肥満体型へと姿を変えていった。ゲームや漫画によって視力も奪われ、私はメガネ族の一員となった。自分で言うのもなんだが、私の目はお父さん譲りのものでぱっちりくりんくりんな二重であり、まつ毛の長さも受け継いでいたわけであり、人生で言われた言葉NO.1は「メガネ外した方が可愛いよ」である。これを読んでいる読者の中に共感してくれる者がいたら熱い握手を交わしたい。
さて、ここで私のおさらいをしよう。
インドアなぶりっ子デブ眼鏡という、イジメの対象になりがりな要所を詰め込んだような女がどうなったか。
そりゃイジメられますわな!!!
そして私をイジメた主犯格は何を隠そう、クラスのガキ大将だった。
最初は「キモイ」「ブス」などの定番の陰口から始まり、またしても典型的な上履きを隠されたりなど……今でこそ「もうちょっと何か捻れよ」「ありきたりだなぁ、知能指数が見て取れるよ」と煽り散らかせるが、当時の純粋な私には無理な芸当だった。最終的に他の生徒や教師がいる前で堂々と暴力を振るわれそうになり、流石に抵抗した。抵抗した私の足がガキ大将の鳩尾にクリーンヒットをかましたことで、ガキ大将の怒りを買ってしまった。逆恨みにもほどがあんだろ。私への身体的なイジメがエスカレートしていき、机にはテンプレでもあるのかと思うほどの幼稚な落書き、最終的には教師ですら止められないほどになり私が不登校になりかけたこともあった。それを憂いて、母が直接教育委員会に問題提起をしてくれた。うちの母は始業式や卒業式に来賓席に座るくらいの立場の人間であり、学校ともそれなりの繋がりがあったことや教室内や廊下などで堂々と私に暴力を振るう姿が多くの人に認知されていたことで動かざるを得なかったのだろう。
その後、三年生から四年生に進級となり、教育委員会でも問題になった私へのイジメ問題はガキ大将と違うクラスにするということで決着がついた。その後の学校生活は穏やかなものとなった。イジメられていた私に気を遣ってか優しくしてくれる人も多かった。しかし、それ以上に私の心が歪んでしまっていた。散々暴力を受け、心が摩耗した私にとっての鬱憤晴らしは同じく暴力だった。ここからぶりっ子時代のメルヘン脳を捨て、世紀末のモヒカンのように豹変してしまった私の人生を語ろうと思う。
……と言っても大した事件を起こしたのはもう少し後の出来事だ。四年生は問題なく皆とけん玉をして遊ぶ純粋な女の子だった。提出するノートにボールペンでゾンビが人を殺しまくる絵を描いて先生に呼び出しをくらった以外は……
問題は五年生である。当時私は大阪府の某歌手が生まれたある市町村の制服制の小学校に通っていたのだが、父の仕事の都合で愛知県に引っ越しすることが決まった。と言っても、元は両親は愛知県出身であり、私も愛知県で産まれたのだから引っ越しというより里帰りのようなものだった。
しかし、ここで一つ問題が生まれた。私はずっと大阪で暮らしていて、たまに愛知に戻り祖父母宅でお泊りをするだけだったので同年代の友達と呼べる人が全くと言っていいほどいなかったのだ。だが、当時の私はオタク文化ドはまりのド陰キャだったため「クラスの人全員と仲良くなるぞうぇーい!」のような人物ではなくなっていた。始業式を聞き流して転校の挨拶も適当に済ませ、用意された席に座った。
問題は隣の席の男子だった。風貌は「なんでだろう~」のネタのお笑い芸人のメガネかけてる方の人に似た、私よりも圧倒的に性格の悪い男子だった。当時私は筆箱に当時好きだった漫画のキャラクターのストラップを付けていたのだが、それを知るや否や「うわ転校生オタクやんwww」と隣の席の男子が笑ってきた。内心「なんやコイツ」と思っていたし、先生も「人の趣味は他の人には関係ないでしょ……」と言っていたがその男子は止まる様子もなく、ストラップを付けてたオタクの私をバカにするのは兎も角、その作品、その作品のキャラクターまでをバカにしてきた。
私は三年生で主に肉体的にイジメられた分、自分への悪口には怒りの感情が沸かないようになっていた。言われ慣れたというのもあるが、それ以上に「この歳にもなってその程度か……バカな奴もいたもんだわ」と心のどこかで達観視している自分がいたような気がする。
しかし、好きなものをバカにされた瞬間頭の中で何かが弾け飛んだ。これは後に自分の心の奥底からの怒りだと分かった。気づけば私はその男子に殴りかかっていた。その男子の取り巻きであろう男子たちが私を羽交い締めにしようとしているのを押しのけ、もう一発その男子の腹に拳をめり込ませた。
転校初日からそんなことがあったため、私は転校早々孤立するようになった。漫画でよくある転校生に群がって「どこから来たの?」「学校案内しよっか?」なんてものはなく、ただ陰でひそひそと何かを言われていた。例の男子グループからはキ○ガイ呼ばわりされ、よくある『○○菌イジメ』と呼ばれるもので「あやね菌にかかったらキチ○イになるぞ~www」と、何が面白いのか全く分からない遊びがクラス内で流行った。勿論私はそんなこと気にも留めず、普通に学校生活を謳歌した。肉体的にイジメられ精神が摩耗した私にとって、精神的なイジメはただのバカ達のからかい程度にしか思っていなかった。独りぼっちなんて慣れていた、三年生の時に助けてくれるようなクラスメイトなんていなかったから。
まあ、粗末なお遊びの一興として菌イジメした奴の机と椅子の裏に体液かけておいてあげたので、きっと皆楽しんでくれたでしょうね。
六年生になると皆飽きたのか菌イジメはぱったりと止んだ。例の男子グループとは違うクラスになったため、私のことをからかう人が減ったおかげなのか私に関わろうとしてくる人も出来始め、新たに友達と呼べる人ができた。心の中で「いやお前五年生の時明らかに菌イジメに加担してたやん、覚えとんぞワレ」と思いながらも表面上は仲良くした。
それから次なる事件が起こったのは小学校を卒業して中学生、多感な時期の二年生のこと。中学になると他の小学校に通っていた子達とも交友を深める機会が多くなり、いつしか私の周りにはオタク仲間が集っていた。そしてオープン腐女子であった私は男子のネタにされていた。別に隠すほどの趣味でもないだろと思ってはいたが、大声でBLトークをしないようコッソリ嗜むようにするくらいの配慮はしていた。学校にBL小説を持ってきていたこともあったがブックカバーを二重にして簡単に中身が見えないよう、挿絵のあるページは飛ばして後で読んだりとしていたにも関わらず、男子は勝手に私が持ってきたBL小説を取り上げて中身をクラス中に見せ笑い者にしていた。勝手に踏み込んで来るんじゃねえよ。こっちが大人しく楽しんでる趣味に土足で入ってくんじゃねえ。(BL小説を持ってきていた私も悪いが)
そして掃除の時間となり、私が黙々と掃き掃除をしていた時だった。掃除が終わったクラスの男子が使用していた濡れ雑巾でキャッチボールを始めた。こちらとしてはどうでもよかったが、綺麗にしたばかりの教室に塵芥が飛散する光景は目に余る光景だった。手にしていた箒を戻しにロッカーまで行こうとした瞬間、埃臭い灰色のものが目の前を掠めていった。勿論犯人は男子たちである。現状を理解し、床に落ちた濡れ雑巾を持ち上げるまでの数秒で私は思考を巡らせていた。これは偶然か故意によるものなのか。男子の内の一人が取り損なって私の方に飛んだのか、それとも狙って投げたのか……いずれにしても怒りで顔が引きつっていることには違いなかった。使い込まれたボロボロの濡れ雑巾を持ち上げた私に男子が言い放った。
「あーあwww当たってたら面白かったのになーwww」
容赦無用。
ご返却致します、と言わんばかりにフルスイングで男子の顔面目掛けてボロ雑巾をぶん投げた。ついでに箒でぶん殴った。投げた雑巾は男子の顔にクリーンヒット。私、三年生の時もそうだけどこういう時に限ってクリーンヒットだね、なんかの選手になれるんじゃないか?
勿論近くに先生がいたから駆け込んでくる。まあ箒で殴りかかっている時点で相手に軍配が上がりそうだったので先に雑巾でキャッチボールしてて私に投げてきたことを弁明した。これは事実なので男子たちは言い逃れできない。だってワイシャツ微妙に濡れてるし塵ついてるし……
私「で、私は反撃しただけですよ。私が正義です」
先生「そうですか…」
その後、憂さ晴らしか復讐か……理由は分からないが何故か「私が正義です」をめちゃくちゃネタにしてからかいにくる男子が急増した。一部の男子が私のことを「正義さんwww」「ジャスティスとか良くねwww」「中二病にお似合いやんwwwジャスティスwww」と宣い、私は男子たちからジャスティスというあだ名をつけられることになった。今でも不愉快な事件だ。
しかもあろうことか、高校に進学した後も同じ高校に通うことになった男子のせいでジャスティス呼びを広められ、高校でも男子にからかわれることになった。最初の内は「それ止めて」と注意していたが反省の色が見られないこいつらに何を言っても無駄だ、馬の耳に念仏だと思い、それ以降は無視するようにした。本当に彼らは脳みそが馬以下、プラナリアの方が賢い。
さて、話は長くなったがこれが私の幼稚園時代から高校時代までの、男子によるイジメ、嫌がらせの全てだ。改めて箇条書きで振り返ってみよう。
小学校三年生、ガキ大将からのイジメ(主に暴力)
小学校五年生、陰口と○○菌イジメ(精神的なイジメ、これは女子も加担していた)
中学校二年生、控えめに隠してた自分の趣味を公表される
同年、自分の言葉をバカにされ変なあだ名をつけられる
高校時代、同中学校の男子が自分をバカにしたあだ名を広める
これだけ男子に酷い仕打ちを受け、男子を好きになれるわけがないだろ。
記載はしていなかったが他にも修学旅行でネズミの国に行ったら通りすがりの他校の男子に指刺されて悪口言いながら笑われたこともある。100均ショップで買い物中カップルの男にぶつかられて舌打ちをされたこともある。バイトで態度の悪いサラリーマンに暴言を吐かれたこともある。案外根に持つタイプなのでこういうのはよく覚えているものだ。虚しい。
一度男性と遠距離で付き合ったことは前回のnoteで記載しているが、向こうで記載はしていなかったが私を性的な目でしか見ていなかったと知った瞬間、もう二度と男性と付き合わないと心に決めた。
親は「孫の顔が見たい」と言っているが自分が反出生主義なため、その願いを実現させることは難しいだろう。
現に交際させて頂いている彼女(仮にSちゃんとする)とは順風満帆だ。お互い適度な距離感で、思ったことを言い合える仲でありとても幸せだ。Sちゃんも男性と付き合った経験はあるが全く相手にされず男性と付き合うことに不信感を抱いていたと話してくれたため、私がSちゃんを幸せにしたいと強く思った。
現代でも同性愛を厳しい目で見ている人は多くいるが、私のような異性に不信感を抱いて同性と付き合うことを決めた人もいるということを、是非心の内に留めておいてほしい。意外と身近にそういう人はいるかもしれないのだから。