頑張れ
10月24日、父の命日だった。
朝、目が覚めると、スマートフォンに母からの着信が何十件も並んでいるのが見えた。胸の奥で何かが崩れ落ちる感覚がして、慌ててかけ直したその瞬間から、記憶はあやふやだ。出勤前の夫に「父が死んだ」と伝えた気がするが、その後の出来事は雨音のようにぼんやりとしている。ただ、あの朝の雨だけは、やけに鮮明に思い出せる。
午前中にシャルル・ド・ゴール空港へ向かうタクシーに乗り込むと、ジャズが低く流れていた。その調べはどこか私を遠ざけ、車窓に映る風景がまるで誰かの物語の一場面のように感じられた。スマホを握りしめていると、ピコンと通知音が鳴る。「亡くなりました」と一言だけのメッセージが届いた。急いでも大阪には丸一日はかかる──その現実が重くのしかかる中で、学校に欠席の連絡をし、親しい友人に短く電話をかける。そこからまた記憶は霞んでいる。
どうやって実家に着いたのか、母や祖母、従姉妹とどう顔を合わせたのか、その光景は断片だけで繋がらない。だけど、コンビニで柴犬のサクの写真をカラーコピーして棺に納めたことや、家族葬の後に皆で焼肉を食べに行ったことだけは、鮮やかに浮かぶ。火葬場で泣き崩れる母の姿、その後でフランスから駆けつけた夫が、妙に滑らかに箸を使い骨を拾っている様子が、なぜか滑稽に見えたのも、今となっては忘れられない。通夜のとき、棺に眠る父に、思いきって、父の前で吸ったことのない煙草をくわえてみせた。叱られることも、返事もない。「あぁ、やっぱり死んだんだ」と、その時初めて、冷えた確信が胸に落ちた。
今年、その命日と名古屋での展示の開始日が偶然重なった。「ここで私は頑張っているよ」と、父に伝えたくなった。書きかけのノートの横にあった父の万年筆を手に取ってみた。日本語も漢字も、筆の先でぎこちなく滲んでいく。2011年、父はこの万年筆で裏に「頑張れ」と書かれた父の名刺と電子辞書を私に送ってくれた。あのとき、父はどんな言葉を選ぶべきか迷ったのかもしれない──フランス語がうまくいかず、何もかもが自分に重く感じられていた二十一歳の冬だった。
父はこの万年筆を、大事そうに胸ポケットにしまっていた。多くはないがふさふさとした髪、白い肌、ふっくらしたお腹。いつも無口で、多くを語らない人だった。「007」と刻まれたジェームズ・ボンドの万年筆だと気づいたとき、どこか意味のないものにさえ特別な意味が宿るように感じられた。胸元でわずかにふくらむその万年筆が、一日の中で彼が伝えたかったはずの言葉や思いをそっと閉じ込めているように見えた。
あの頃を思い出しながら、父の筆跡の残る万年筆で、私もまた言葉を綴りたくなった。
現在、名古屋で企画展に参加しております。展示では、写真集と文章を通して作品をお届けしています。遠方の方々にもこの空間の一部が届くようにと願いを込めています。お近くにお越しの際は、ぜひご高覧いただけましたら幸いです。詳細はこちら⬇︎