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羊たちの反発

私は未年です。
なんてこった!
こんなこと書いたら年齢がバレてしまう。

先日、年賀状の季節が来るからと娘達に干支の話をした。「気安くあなたの干支は何ですかと、人様に聞かないのよ。計算すると年がわかるから答えたくない人もいるからね」なんて言ったばかりなのに。

年がわかると困る人とは他でもない私なのに、あえて干支を告白したのは年がバレてもかまわないほど書きたいことがあるからだ。
読書の皆様は私の年がわかったとしても、どうかそこから12引くか足していただくか知らんぷりしてください。

ところで、シープドッグ(牧羊犬)をご存じだろうか。

シープドッグ
羊の群れを一つにまとめ、一定方向に追い、1頭だけを選び分けるなどの作業をする。

『小学館デジタル大辞泉より引用』

羊を放牧する際欠かせない仕事をする犬である。 先ほど少し調べてみたら、シープドッグがその技術を競い合う競技や、ショーがあるなど奥の深い世界らしいです。

私がシープドッグショーと出会ったのは、ある牧場なのだが沢山の羊がシープドッグの誘導でぞろぞろ移動する様子は圧巻で、何度観ても楽しいから好きだ。
今日は、一観光客の目線でシープドッグショーについて書きたい。

その牧場のシープドッグショーはニュージーランド仕込と謳われており、ニュージーランド人と思われる男性が独特のイントネーションの日本語とジョークを交え犬笛でシープドッグを操り、鮮やかに羊の群れを誘導していた。
シープドッグが羊の大群を移動させ、群れをさらに2つの小さな群れに分けた後、数頭の羊を狭い板のような数種類の障害物を越えるように誘導するなど毎回数々の見せ場がある。

1番盛り上がるのは、1頭の羊が選ばれ客席の前に連れてこられる最後の場面だ。
犬笛の男性、仮にジェイコブさんとしよう。
ジェイコブ氏(仮名)は羊を仰向けにひっくり返すと陽気な声で「ハーイ、コレカラ、ヒツジサンノケヲカリマース」と、バリカンでたちまち羊を丸裸にしてしまう。客席からは大きな拍手が贈られる。
シープドッグもすごいが、解説しながら飄々と毛を刈るジェイコブ氏の素晴らしいこと。(もしかしたら彼以外の出演者もいるかもしれないけれど)
その牧場に行く度に我が家はシープドッグショーを観るのを楽しみにしていた。

ここで話は戻り、私は未年である。
加えて夫も未年。さらに下の娘も未年である。
下の娘は純粋に楽しんでいるが、我々夫婦は無抵抗の羊が丸裸に毛刈りされて行くのを楽しみながらもどこか複雑な気持ちで観ていた。

「羊が、犬にワンワン吠えられて。何だか自分が追い立てられているようでね」と夫。
「羊が十把一絡げに扱われるのが自分のようで。世知辛い世の中だわ」と私。


「ホーラ、ヒツジサンノ、ココヲオスト、ハンシャデアシガ、ピーントノビルノデス。ピーン」

毛刈りの時に羊を傷つけないようにするための技術らしいが、無抵抗の羊の脚が反射的にピーンと伸びる様子を観客が笑うのも、平社員として使われる自分の身の上に重ねて複雑な気持ちになった。

念のため申し上げますが、私は好きでシープドッグショーを観ているのであり、牧場を批判するつもりはありません。むしろリピーターです。
夫婦共に未年なので、休暇中にサラリーマンの悲哀を絡め楽しんでいるだけです。
不快に思われた方がいらしたらごめんなさい。
そして、シープドッグは羊をいじめているわけではなく、羊にとっても安全な放牧のためには大切な仕事をしていることもこの場で書かせていただきます。

思い出のショーから月日は流れ、先日のこと。
コロナ禍でしばらく旅行を控えていたが、久しぶりに家族旅行をした。
その牧場再びを訪れたところ、シープドッグショーも変わらず催されており、これは観なくてはとワクワクしていたところ、ショーを仕切るのはジェイコブ氏ではなく飼育員と思われる方であった。

コロナ禍で色々あったのだろうかと観ていると、その方も犬笛を使い、順調に羊の群れを客席近くに誘導している。
解説によるとこのショーには3頭のシープドッグが出演しており、今仕事をしているシープドッグはベテランでお年寄りの犬とのことだった。落ち着き慣れた様子で羊を追い立て、次の犬に交代した。

次の犬はまだ若い犬とのこと。
群れをさらに小さな2つの群れに分ける担当だが、先ほどのベテラン犬よりも威勢が良く何度も吠えるのに羊の動きが明らかに悪く、中には言うことを聞かない羊までいる。羊が犬をなめているようにも見える(シープドッグはとても賢く普段は吠えない温和な犬だと解説にもあり、あくまで私の主観です。)

ウォンウォン吠えても羊が言うことを聞かないので、離れたところでベテラン犬が「おい、若いの、大きな声で吠えるばかりが技術じゃないぞ」と言いたげに見ている物語が私の中で作られていく。
若者犬の誘導の仕方はどこか粗削りで、客席も拍手で応援していた。どうにか群れを分け、さらに羊を3頭ピックアップしたところで別の犬に交代である。

最後の見せ場はこの犬が3頭の羊を誘導し、シーソーや階段などの障害物を越えさせる場面だった。
この犬は吠えずに睨みを聞かせることで羊に言うことを聞かせる仕事を担当しているらしく、3頭を前に後ろに見張りながらコースを誘導していた。

ここで観客がどよめいた。
3頭のうち、1頭の羊が明らかに反抗し始めたのである。
ルートを進みながらも時々犬に食って掛かり、頭突きまでお見舞いしている。
犬は辛抱強く障害物に誘導している。
観客は犬と笛を吹く飼育員を応援する。
ジェイコブ氏のショーとは違う意味で熱の入ったショーである。

私は犬ではなく羊を応援していた。

「いいぞ、もっとやれ。たまにはやってしまえ」

過去のショーでは羊たちは大人しくシープドッグの誘導に従い移動していたし、従順ゆえに「羊って愚かだな」とか「何も考えていないのかな」と思っていた。
しかし、この様子から彼らにも意志があり「ベテランの言うことは聞いても新米の言うことは聞くもんか」とか「俺が狭い板を歩くだと?ふざけるな」と思ったりするのかもしれないと思えてきた。

もしかしたら本当は毛刈りなんてされたくないし、脚をピンと伸ばさせられたくない日もあるかもしれない、「え!今日の毛刈り、なんで私!?」と思っているかもしれない。

「いいぞ、反撃しろ。逃げてしまえ」

私は、普段上司の命令に逆らえず取引先にヘコヘコしている自分を重ね、羊たちに見入ってしまった。
隣の夫もそのようだ。

束の間の反逆者も最後は誘導されながら障害物を越え、シープドッグとその飼育員に大きな拍手が贈られた。
お客の大半はシープドッグ側で応援していただろうが、私は羊に拍手を贈っていた。

…と、ここまでが夏のこと。
先日、テレビで羊の放牧の映像が流れ、夫がポツリと「あのシープドッグショーは神回だった」と呟き、あの時の振り返り二人で語り合い盛り上がった。

本来はスムーズに羊を誘導するのが良いショーなのだろうが、シープドッグと犬笛の飼育員を応援し、羊の反骨精神に興奮し、あれは確かに神回のショーだった。

物言えぬ羊の身の上である私も、ここぞと言う時は上に頭突きをお見舞いしてやろう。
キャンキャン吠えるだけが技ではなくじっと睨みをきかせることで、静かに従わせる技術もあるのだ。会社員生活にも学びの多いショーであった。

次に訪れた時はどんなショーになるのだろう。
今から楽しみにしている。



最後まで、読んでくださりありがとうございました。

今回のお話ですが、過去に観たショーをヒントに自分の創作も加えているため、実際の牧場とは全く関係がないことを付け加えさせてください。

また、競技の世界ではこのショーの様子で技術の質などの判定があるのだと思いますが、今回はその視点ではなく、平社員で未年である故に、羊に自分を重ねてしまったということが書きたかっただけということもご理解いただければ幸いです。
うじうじと些末なことを書きながらこんな自分を自分で愛でる私をお許しいだき、また次回も読んでいただけたら嬉しいです。いつもありがとうございます。