創作することの、はじめの一歩
いかなる創作にも、かならず発生するもの。
それは最初の一歩である。
いかなる芸術作品も、作り手にとって、最初の一歩がある。始めるときは、どんな人間だって上手くやりたいし、スマートに決めたいところだ。
あの有名な作家には、こんなエピソードがあるぞ。あんなかっこいい設定があったぞ。それを思うたび、手が止まる。こんなかっこ悪い思いをしているのは、自分だけなのではないか。
作品を作るとは、こんなにも評価されることにおびえ、自分の実力に絶望し、あせりの中で生み出すものだったのか?
今回は、そんな創作につきものの最初の一歩について、書きました。
これを書いたのはお盆中ですから、夏休み気分で特別出張スペシャルです。
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いかなる確立されきった芸術も、最初の一歩は形なきところから始まった。
洗練とは程遠い、泥臭いなにかであったかもしれない。人に指差されるようなものであったかもしれない。けっして、これは成功するぞ、という確信のもとで生み出されたものではなかったはずだ。
5ch(旧2ch)の影響なのか、いかに合理的にスマートに、情熱をかけずに成功するか(=金を稼げるか)、を基本的な姿勢にしている人が多いと感じる。
情報網の発達で、合理的に学習するという文化ができたせいかもしれない。物事の習得に無駄な時間をかけない、というのは正解だと思う。
しかし、自分の道や型というものは、どうして合理的に習得できるものではないだろう。
無駄な徒労や苦労、とてもコストパフォーマンスがいいなどとは、言えないものがたくさんある。
およそ、創作しない人が想像できないような苦悩があるだろう。だが、そうした苦労からしか生まれないものがある。それは、後天的に入手した情報では得られない、体得的な何かである。体得的なものしか、究極的には自分の道を描き出すことはできない。自分の経験が不在の情報に、意味は生じない。
その苦しみにともなう、ダサさを恐れないで欲しい。ダサさ満点のウサギはそう思います。
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実はチキン野郎でもあるので、記事が伸びていないと、地味に沈んでいます。まあ、やはりあきらめませんけどね。
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