【脚本】夜叉姫 (改編) 四
登場人物
20
(妙が千早の枕元に座り、侍女が足元近くに座っている。じっと千早を見つめている。千早、ゆっくりと目を開けた)
妙 姫様! お気がつかれましたか!
侍女1 ご医師をお連れし、お屋形様へお知らせを出しまする!
(小走りで部屋を出て行く)
千早 ここは・・・
(意識が朦朧としている。目だけで辺りを見回したが、状況が把握できない)
妙 ここは、嵐山貞義様にお茶を振舞われた屋敷の離れにございます。姫様は、貞義様に差し上げる筈のお茶を飲まれ、お倒れに。
千早 (片言のように途切れ途切れに、妙の言葉を部分的に繰り返す)
そう、茶、お茶を、わしが、飲んで・・・
(体を起こしたい様子だが、まだ寝返りも打てない状態)
妙 (千早を制し)まだお起きになってはなりませぬ。じきにご医師が参ります。それまではどうかこのままで。
千早 妙・・・わしは、倒れた、のか・・・何が・・・
妙 (まだ意識がはっきりしていないと見て)
今はお休みくださいませ。わたくしがお側におりますゆえ。
千早 妙・・・ねむ、い・・・(また朦朧として目を閉じる)
医師 脈もしっかりしておられ、意識もはっきりされているご様子。重湯なら差し上げてもよろしいでしょう。
とはいえまだ油断はできませぬ。しびれなどありましたら、お知らせください。わたくしもこちらにおりますゆえ、すぐに参ります。
安静が大事ですぞ。妙様のお言いつけをしかとお守りくださいますよう。
千早 (子ども扱いされたのが癪に障るが素直に)わかった。
(医師は一礼して退室する)
妙 ほんに、よろしゅうございました。姫様、ただいま重湯をお持ちいたしまする。(妙が侍女を見ると、頷きすぐに退室する)
千早 ・・・妙。
妙 はい。
千早 わらわが倒れた後のこと、聞いておるか? ぼんやりと、皆が騒いでいる声が聞こえたような気はするのだが、あまり覚えておらぬのじゃ。
妙 ・・・香坂殿より、あらましのみでございますが。
千早 話してくれ。
21
坂田 貞義殿は武器を召し上げた上、家臣と離し、別の屋敷に見張りをつけております。生き残った家臣も同様に。こちらは念のため、目隠しもさせております。
家臣4 ふむ。それでよかろう。見張りは厳重にな。では茶室の一件に戻ろう。判明したことは。
坂田 は。今判明していることは多くはございませぬ。しかしながら、その場にいた者らの証言を合わせ、おおよそのことは見えて参りました。
まずは、此度の婚儀の件、やはり戦を仕掛けるための罠でございました。こちらが婚儀を承諾しようと拒絶しようと戦に持ち込む目論見。
山辺自身が、お屋形様と姫様のお命を狙い、盟約も潰す腹づもりであったと、口を滑らせており、その場に居合わせた者皆が証言しております。
家臣5 おのれ悪辣な・・・!
(領主、千早が毒を飲まされたと知って以来、怒りと苛立ちを見せていたが、この場で更に怒りを募らせ、険しい表情で強く拳を握っている)
坂田 次に八谷鶴丸様襲撃の件にございます。これも山辺が関わっていたのはまず間違いないかと。
顔の傷、火傷の跡など、その場で見た者にしかわからぬことを申しており、おそらくは山辺が鶴丸様に切りつけたものと。さればこそ、仇討ちを恐れるあまり取り乱し、要を鶴丸様と思い込み、正体を表したと推察いたします。
家臣5 おそらくは間違いあるまいが、残った家臣達は何と言っておる。
坂田 捕えた家臣も調べましたが、何も知らされておらなんだ様子。突如鶴丸様の名を耳にし、驚いたと。
山辺以外の家臣は、貞義様の世話係として長年勤めた者らで、それまで山辺と行動を共にしたこともないとのこと。香坂らが見ても、心底驚いた様子であったとのこと。
あの者らは、まことに婚儀に乗り気であるのか、見定めるが務めであったと申しておりました。
家臣6 山辺のことはそれで良しとして、嵐山はどうなのだ。鶴丸様襲撃の折、その場にいたとは山辺は言わなんだのか?
坂田 は。残念ながら。なれど、山辺は嵐山が守護代になる以前より、大した功もなく側にいた男。であれば、山辺は嵐山の裏の顔を知り、忠実な犬であったやもしれませぬ。
先代、先々代の八谷様が急逝なされたのもあるいは・・・
家臣6 ううむ・・・
領主 しかし山辺は嵐山がそこにいたとは言わなんだ。加えて嵐山源之介と山賊の「げん」との関係も未だ明らかにはなっていない。確かに疑わしいが、証拠もなく幕府に申し出る訳にもいかぬ。・・・証拠があったとしても、今、幕府に力が残っているのか・・・勝ったものが世を動かす時代じゃ。全く忌々しい・・・!
坂田 左様で・・・(苦々しい表情)
家臣7 しかし毒は・・・誰の企みで、誰の仕業なのでありましょう? 狙いはどちらであったのか。貞義か、姫様か。
坂田 それが全く・・・屋敷も隈無く捜し、山辺をはじめとして嵐山の全ての荷を改めましたが、それらしい物はなく。念のため、要ら当日屋敷にいた者も全て改めましたがどこにも・・・
家臣7 仮に、茶室内にあったとしても、妙な動きをすれば誰かが気づくであろうな。そうだな? 坂田よ。
坂田 は。香坂によれば、両家の家臣皆が監視し合っており、山辺を除けば、不審な言動の者はおらなんだと。
家臣6 となると、やはり山辺が怪しいのでは。
坂田 山辺は茶碗に触れてもおりませぬ。
家臣6 それでは怪しい者がおらぬではないか!
家臣4 しかし毒は確かにあった。姫様がお倒れになったのじゃからな。
茶は、姫様が一番に飲まれたのだな?
坂田 貞義に差し出した茶を山辺が因縁をつけ、姫様が先に飲むと仰せに。
家臣6 一度は貞義が持ったのなら、貞義では・・・
家臣7 貞義はその辺りはなんと。
坂田 「決してそのようなことはしていない。ただ、父ならばやりかねない。『立派に役に立て』と言われたのみだが、姫があのようなことになり、『戦の火種となり、役に立って死ね』という意味だったのだと、ようやく思い至った」と、申しておりました。
一つ申し添えますと、杉山が貞義をじっと監視し、茶碗を持って戻すまで、何も入れていないと明言しております。
(それぞれが、誰が疑わしいのか黙考している。そこへ家臣1がバタバタと走って来る)
家臣1 お屋形様、姫様が目を開けられたとの知らせが参りました!
領主 まことか!
家臣1 は。ご医師によれば、未だ朦朧としており、またすぐにお眠りになられたものの、峠は越えたと思われると。
(皆が安堵し、表情が少し和らぐ。家臣1が一礼して退室した後、家臣4は慎重に坂田に問うた)
家臣4 ・・・・・・姫様は苦しみながらも、小夜に「何を入れた」と詰問されたのだな?
坂田 は。しかしながら、無論小夜も何も持ってはおらず。そもそも、仮に小夜が入れたとすると、毒はいかにして入手したものか。ただの娘が入手できるものでは・・・
家臣4 では、要なら入手できると思うか?
(一瞬で場が凍りついた)
家臣4 兄が妹に渡したならば、当日でなくともできたろう。茶器の用意も侍女と共に小夜も行っていたならば・・・嵐山に遺恨があったならば・・・
家臣7 ・・・よもや、要を八谷鶴丸様と疑うておられるのか? 仇討ちのためと。
坂田 要に火傷の跡はございませぬ。加えて、顔の傷は木から落ちたときのもの。
家臣4 入手できたか、渡せたか、茶碗に入れられるか、を思い巡らせているまでのこと。
家臣7 しかし鶴丸様には妹御などおられなんだはず。それに要がまこと鶴丸様かも定かでは。
家臣6 それでは堂々巡りじゃ!
領主 ・・・今、要と小夜は。
坂田 ・・・お調べを受けております。小夜はともかく、要は何も知らぬし、鶴丸様とは何の縁もないと。無論、小夜があのような真似をする筈もないと申しております。
領主 坂田は、もうしばらくこの件を調べよ。
坂田 は。
領主 皆は戦支度を急がせよ。嵐山は待たぬぞ。貞義も人質にはならん。
家臣達 は!
22
千早 気がついたか。何を驚いている。わらわはすでに地獄へ行ったと思うておったか? 生憎、死にきれずに舞い戻ってきておる。
(千早はクックッと喉を鳴らして笑いながら、牢内に入ってきた。小夜はそんなことは考えていないと言いたげに首を横に何度も振る)
千早 ・・・少し話をせぬか。人払いはしてある。ああ、お前は口がきけなんだな。ではわらわの問いに首を振って答えよ。
お前は百姓の出だそうだな(小夜、頷く)
子どもの頃、戦から逃れてこの領国へ来た。(小夜、頷く)
母と兄の三人で逃げていたが、途中で母を失い、兄と彷徨っていた際、重臣、篠山五郎左衛門に助けられた。(小夜、一瞬迷ったように間をおいて頷く)
千早 その後、五郎左衛門の養女となった。(小夜、頷く)
お前は五郎左衛門に大恩がある(小夜、頷く)
・・・そのお前が、わらわに毒を盛ったのはなぜだ。
(小夜、首を横に激しく振る)
千早 嵐山貞義が憎かったのか。それとも父親の嵐山左衛門丞が憎かったのか。母の仇を取るためか。
(小夜、首を横に激しく振り続けるうちに目眩を覚えるが、それでも尚降り続ける。息を切らし、涙を流しながら)
千早 (しばし沈黙)・・・お前は要が嵐山を憎み、命を狙っていたのを知っていたか。(小夜驚き、何のことかわからない様子で首を横に振る)
千早 要から毒を渡され、貞義の茶に盛るよう命令されたろう。
(小夜、再び首を横に激しく振る)
これで母の仇が取れるとそそのかされたのであろう!
(小夜、泣きながら目を見開き、千早に祈るような眼差しを向け首を降り続ける)
千早 (再び沈黙)・・・お前は要が侍の子、先の守護八谷様の子息だと知っていたか。
(小夜またも驚き、首を横に振る)
千早 あやつは父や兄を追い落とし、おのれを殺そうとした嵐山に仇討ちの機会を狙っていた。そのためにこの領国に逃げ込み、百姓と偽り、お前の兄と偽り、わらわや父上、五郎左衛門らを欺き続けた、忠臣のふりをして騙し続けた、何年も何年も! そして立場を利用し仇を討とうとしたのだ!
(小夜はもう首を振る気力も残っていない。ただ黙って涙を流し続ける。千早、喉で笑いながら)
千早 要の言うたことは全て嘘だった。お前は騙され、利用されたのだ。認めよ。あやつの命だったと。さすれば、これ以上お前が苦しまぬようにしてやる。(泣き続けた小夜、やがてゆっくりと頷く。千早は邪悪な笑みを浮かべている)
23
坂田 要。
要 忠正! 姫様のご容態は! ご無事なのか?!
(よろめきながら坂田に近づく)
坂田 しばらくお苦しみだったが、なんとか回復なされた。
(お役目できているので平静を装う)
要 そうか! 良かった、ご無事で。良かった・・・
忠正、聞いてくれ。小夜は何もしていない。する理由がない。
俺は鶴丸様などではない。お調べで何度も訊かれたが、山辺がそう思い込んだだけだ。信じてくれ。
坂田 俺自身はそう思う。だが、皆がそうではない。証明ができなければ。
要 お前もわかっているだろう。小夜は・・・
坂田 (要を遮り)知らせが来たのだ。小夜殿が、お前から毒を受け取り、指示に従って毒を茶碗に入れたと。
要 ?! まさか小夜が! そんな筈はない。それに俺も毒など渡していない!
坂田 姫様が直々にお調べになったそうだ。
要 ! 姫様が・・・
坂田 姫様は目覚められたとき、あの日のことをあまり覚えてはおられなんだらしい。だが調べが難航していると耳にされると、ご自身が直接訊ねると申されて、小夜殿の牢へ一人で行かれたそうだ。
姫様には素直に認め、後に役人の調べにも正式に認めたと。調べはすぐ終わったそうだ。早々にお咎めを受けることになるだろう。
要 そんな、馬鹿な・・・
坂田 一体どうなっているのだ、要! 俺は信じておらんぞ。お前が鶴丸様だとも、仇討ちを目論んでいたとも! 教えろ、何があったのだ。
(友としての立場で尋ねている)
要 ・・・もう、隠してはおけんな。
坂田 何?
要 俺が五郎左衛門様に助けられたことは知って・・・(急に語調を変える)ご存じでござろう。戦を避けるため、母子三人でこの領国へ逃げ、出会った篠山殿に救われたと。だが、真実親子であったは百姓の女とその娘の小夜だけ。それがしは、一人難を逃れ彷徨ううちにその親子に助けられた、先の守護の次男八谷鶴丸でござる。
坂田 何を言い出す! 偽りを言うな!
要 事実でござる。それがしは襲われたがなんとか逃げ延びた。一人逃げ惑いながら、仇が誰かもわからぬまま、仇討ちを心に誓い、機会を待つことにした。あるとき百姓母子に拾われ、この領国へ逃げ込み、篠山殿に出会い・・・運が開けた。
坂田 運が、良かったと言うのか? 偶然お屋形様の重臣に助けられ、城内に入り込み、偶然我らの信用と地位を得たと?
要 いや・・・八谷鶴丸襲撃の調べを任されたことにて。仇が誰か、どこにいるかもわからず、仇討ちは叶わぬのかと絶望していた折、調査の命を受け堂々と調べることが叶った。そのことでござる。
(坂田、過去に調査について要が「気になることがある」と言っていたことを思い出した)
要 嵐山源之介と「げん」の関わりを更に調べよとの命を受けた折、あやつは、母だけでなく父も兄も害したに違いないと思うた。
その後、嵐山の腹心山辺が、長く嵐山の側に仕えていると知り、この男は何かを知っているに違いないと。
坂田 茶室で山辺はお前を鶴丸と断じ、馬脚を現した山辺をお前は斬ったと? では毒は。必要なかろう?
要 (追求されてしどろもどろになる)念のた、いや確信はしていたが、その時点では確証はなく、揺さぶりをかけ様子を見ようと・・・
坂田 揺さぶりをかけるなら、もっとましな手があったろう! いや仮にそうだとして、あの場で貞義を害したらどうなるか、お前ほどの男がわからぬ筈がない!
要 ・・・買いかぶりで・・・それがしは、仇討ちで頭が・・・
坂田 そのようなこと誰が信じるか! お前に会うて以来、他の誰よりも精進していたのを俺は見た。お屋形様方に仕える姿を俺は忘れてはいない。それをお前は、仇討ちのために機会を狙っていただけと言うのか! お屋形様、姫様までも利用したと!
要 ・・・まことに、申し訳なく・・・
坂田 まだ言うか! そこまで己が鶴丸だと言い張るなら、どうやって生き延びた。言ってみろ!
要 ・・・身代わりが、いたのでござる。あの日、いち早く事態に気づいた乳母が、それがしと己の子の着物を取り替え、母と乳母も取り替えた。賊が上がって来る前に、密かに母とそれがしを逃がしてくれたのでござる。
坂田 お前は・・・次から次へとよくも・・・!
要 事実を述べているのみ・・・なれど、このことは誰も、篠山殿も小夜も知らぬこと。それがし一人で画策したことにて。どうか、他の方々には何もお咎めなどないように・・・(土下座する)
坂田 ・・・篠山様は、茶室の一件の後、自ら職を辞された。屋敷の門は今も閉じられたままだ。
要 ・・・!(苦しげな表情)
坂田 それでもまだ鶴丸様と言い張るか。
要 ・・・は。それがしのことは、嵐山に差し出すでも、打ち首でも、甘んじてお受けする。何卒、ほかの方々は・・・!
坂田 嵐山の狙いはお屋形様や姫様、盟約だ。お前をどうしようと攻めてくる。
(要は何も答えられず、土下座したままである)
坂田 (何を訊いても意味がないとわかっているが)
・・・どちらに飲ませるつもりだった。
要 !(長い沈黙の後)まさか、姫様が飲まれるとは・・・
(思わなかったと言いたげに、苦しげに呟いた)
24
坂田 ・・・以上が要の証言にございます。
しかしながら、この証言は鵜呑みにはできませぬ。
初めは己も小夜も、何も知らぬ、何もしておらぬと申しており、小夜が罪を認めたと聞くや、一転、証言を覆したのでございます。
それがしが突くと、あれこれと言い訳を並べておりましたが、あやつには珍しく動揺し、辻褄の合わない話をしどろもどろに。偽りであることは明白でございます。
罪を己一人で背負い、ほかの者を守るための作り話でございます。
このような事態を招いたことを、己の不徳と恥じ、己一人で背負って済ませるため。
要は何もしておりませぬ。この国を害するようなことは決して!
領主 坂田よ。
坂田 は。
領主 事ここに至って、戦を止める手立てがあると思うか。
(領主自身も、この国をどう守るべきか考えあぐねている)
坂田 ・・・・・・(答えられない)
領主 ・・・追って沙汰する。
坂田 ・・・は。
25
(太鼓の音が鳴り響き、役人が文書を取り出し読み上げる)
役人 ここに並びし両名、篠山要・篠山小夜は、身分を偽り、ご領主様をはじめとする領内全ての者を欺き、 無用な戦を起こさんと画策し、この領国に仇をなした! 更にはご領主様の娘御、千早様のお命までも危うくした極悪人! その罪まことに許し難し! よって本日、秋津勝正様の命により、斬首の刑に処す!
(まず、小夜から処刑される。小夜は恐怖でぶるぶると震え、歩くこともできない。家臣二名に両脇をかかえられ、引きずられるようにして進み、処刑の場に座らされる)
小夜 い・・や・・・いや・・いやー!!
(十年以上声の出なかった小夜の、最後の叫びであった)
(首切り役人が刀を振り下ろし、刑は終わった。要はぎゅっと目を閉じたまま動かない。千早は扇子で口元を隠し、笑っている。
要が立ち上がり、処刑の場に近づいた。立ち止まり、ふと千早を見上げた。目が合い、千早の表情が強張った。要は千早を少し見つめ、ゆっくり黙礼した。
千早に迷いが生じた。千早の脳裏には、過去の「よいご領主になってください」と諭された記憶や、馬を駆って見回りに行った記憶などが蘇る。その間にも着々と処刑の準備が整っていく。
千早が、たまらず止めさせようと立ち上がった)
千早 ま・・!
(「待て」と言おうとした瞬間、刀は振り下ろされ、首が落ちた。勢いで転がった首を呆然と見つめ、ふらふらと首に近づいて行く)
妙 姫様!
(驚いて千早を止めたが、その声は届いておらず、首にふらふらと近づく)
役人 姫様、お着物が汚れます。
(役人も止めようとしたが、千早は首を両手で、目の高さにまで持ち上げてじっと見つめた。クックックッと喉を鳴らし始め、突然、金切り声で笑い始めた)
千早 わらわのものじゃ! 誰にも渡さぬ! わらわのものじゃ!あははははは!
(叫んだ瞬間、妙だけが気づいた。その場にいる者は皆、呆気にとられている。徐々に、民衆の中から声が上がり始めた)
民衆2 なんだ、あれは。・・・生首を抱えて笑ってるぞ。
民衆3 なんと恐ろしい・・・あれは人じゃない、鬼だ。
民衆4 そうだ、鬼だ。(人々が口々に叫び始める)あれは鬼だ。鬼だ!
民衆5 夜叉だ、夜叉姫だ!
妙 (役人に向かって)姫様をお止めせよ!
役人 姫様、ご無礼を。
(要の首に手をかけようとした瞬間、首をしっかりと脇に抱え役人の刀を抜き取って切りつけた。人々の悲鳴で騒然となる中、千早は首と刀を持ったまま刑場を走り去ろうとするが、そこにはまだ民衆がいる)
領主 (しばらく呆気に取られていたが、民衆が危険と見て)
! いかん! 民を下がらせよ! 姫を外に出させてはならん!
千早 どけー! 邪魔をするな!
(駆け寄った役人達は、姫を傷つける訳にはいかず、このままにもできずに立ち往生している。刀を振る千早に無理に近づこうとして切られ、怪我をする者も出てきた。民衆は阿鼻叫喚。柵の出口まで来た千早の前に立ち塞がる役人達は、刀を振るうこともできず、切られてしまう)
領主 (民衆が散り散りに逃げたことを確認して)
門を開けよ! 間合いをとり姫を囲め。誰にも近づけさせるな。囲んだまま、城に向かわせよ!
妙 (しばらく様子を見ていたが)
お屋形様、姫様はどこかを目指しておいでなのでは。
領主 何?
妙 皆懸命に、姫様が城に向かうように囲みを狭めたり緩めたりしておりますが、その度に姫様は刀を振るい、別の方角を見ておられます。
領主 一体どこを見ているのか。
妙 (千早の所領の山を指差して)あの山にございます。
26
家臣1 逃げろー! みんな逃げろ、鬼が来るぞ!
家臣2 刀を持ってるぞ、子どもたちを連れて早く逃げろ!
家臣3 首を抱えた鬼が来るぞ。近づくんじゃない、殺されるぞ!
民衆1 なんだあれは・・・生首を抱えて笑ってるぞ。恐ろしい・・・あれは人じゃない鬼だ、夜叉だ・・・夜叉姫だ!
27
千早 わらわのものじゃ・・・ わらわのものじゃ・・・ようやく手に入れたぞ。要は誰にも渡さぬ。渡さぬぞ。
なあ、要。共にゆこう、民を、皆を守り、誰もが笑って暮らす国を作ろう。
我ら二人で・・・
(狂気を表現するのではなく、狂気に走ってしまった女の悲哀を表現する)
28
領主 まだ報告はないのか。もう三日にもなるぞ。千早はどこへ向かった、どうなってしもうたのか。
妙 (慎重に一語一語ゆっくりと)お屋形様、確証はございませぬが、此度のこと、おそらくは、姫様の謀と存じまする。
領主 ?! 何を言い出すのだ。
妙 思い出してくださりませ。姫様のご様子が変わられたのは熱をお出しになった後にございます。貞義殿を呼び寄せるように申されたのも、領内を案内すると申されたのも、小夜殿に茶を点てさせるようお命じになられたのも、姫様にございます。
領主 ・・・そういえば・・・
妙 おそらくは貞義殿に出したお茶の毒味を申し出るように話を運んだのも姫様。いえ・・・その辺りは、あるいは賭けであったやもしれませぬ。
そしてあの、刑場でのお振舞い・・・小夜殿の刑の折には扇子で口元を隠し、小さく笑うておられました。わたくしの知る限り、今まで耳にしたことがないような、異様なお声で。本当に姫様かと、疑いたくなるほどに。
領主 まさか、そのような・・・
妙 要殿の最後に際しては、姫様はお手が震えておいででした。そして首を抱えて発せられたお言葉。
領主 (千早が『わらわのものじゃ! 誰にも渡さぬ!』と叫んでいた記憶が蘇る)・・・いつからだ。いつからそのような・・・
妙 (苦しげに)おそらくは・・・木から落ちた、あの日からと・・・姫様はその想いの全てを胸の内にしまい、ただ、良き領主になることに専念なされて。誰にも明かさぬからこそ、想いはますます深くなったのやもしれませぬ。なれど、その想いが要殿には届かぬとなったなら・・・
領主 ・・・(言葉にならない)
妙 申し訳ございませぬ! わたくしの落ち度でございます。長く姫様のお側におりながら、あのときの姫様を目にするまで、思いもよらなんだわたくしの! どうかわたくしを罰してくださいませ! いかような罰もお受けいたします!
爺 お屋形様。
領主 爺!
爺 恐れながら、それがしもあの場に、民に紛れて潜んでおりました。そしてお屋形様のご命令と欺き家臣らを帰らせ、姫様の跡を追い続けました。
領主 勝手な真似を・・・!
爺 ほかの者には、ほかの務めがございますゆえ。急ぎ支度をせねば、嵐山はいつ攻め入るか。
されどそれがしは、姫様のご最後をお伝えすれば用済みにて、いかようにもご処分を。
領主 ・・・聞こう。(妙・爺には背を向ける)
爺 姫様はご城下を抜け、田畑を過ぎ、姫様のご所領の山へ向かわれました。道中はご下命により、出歩く民はおらず、怪我をした者はおりませぬ。姫様はそれがしが後ろから声をおかけしても気にした様子もなく。
邪魔をする者がいなくなった後は刀を捨て、大事そうに要の首を抱いておられました。
時折、『ずっと共に』、『お前と行こう』などと呟かれて。おそらく、この世の何も見えてはおられなんだと・・・
領主 ・・・そこまで・・・!
爺 所領に入られ、夕方になろうと夜になろうと、決して歩みを止めずひたすら山を登られ、夜明け前、頂きまで登られるのかと思い始めた頃、滝の音が聞こえました。
滝の水が湖となり、木々が良く育ち、人の気配のない静かな場所でございました。
姫様は遂に息が切れ、膝をつき、その湖の側にゆるゆると横になられました。穏やかな笑みを浮かべられ、要の首を胸に、眠るように身罷られました。
妙 (堪えきれず嗚咽する)
領主 (二人に背を向けたまま)二人の亡骸は。
爺 は。山犬などに喰われぬよう、土を深く掘り、埋めて参りました。掘り起こし姫様のお弔いをするまではと。それがしがご案内いたします。
妙 わたくしもお連れくださりませ!
爺 無論、妙殿も共に参ろう。
領主 ・・・ならん。
爺 (真意を測りかねて)ならば、妙殿は後ほど寺の方へ。
領主 寺での弔いなどせぬ。そのままにせよ。
妙 お屋形様?! それはあまりに・・・
領主 ならん! 要は我らを欺き謀反人として罰を受けた。千早は愚かな謀でこの国を危うくさせた。民の、家臣の命を軽んじたのだ。おのが一人の望みのために!
爺 お屋形様・・・
領主 ・・・わしが愚かであった。わしの愚かさが、我が子を追い詰め、忠臣を失い、国を危うくした。
初めから千早を女子として育てたなら。家督を譲るなど考えねば。要のことを気づいてやれていれば・・・あるいは二人でこの国を守っていけたのやもしれぬ。それを・・・わしが・・・!
妙・爺 (領主の肩が震えているが、何も言えない)
領主 ・・・いや、誰か一人の罪ではないのかもしれぬ。わしも、妙も、爺も、嵐山も、あるいは今の世に生きる者ら全ての行いも、糸のように絡み合った末の罪なのかもしれぬ。
・・・だが、我らはまだここに在る。戦も最早避けられぬ。わしは、わしの務めを果たさねばならん。
坂田 お屋形様、同胞の国々から書状が届いております。支度が整った由。
領主 妙、爺。わしの頼みを聞いてくれぬか。二人は寺で弔うわけにはいかん。・・・代わりに、そなたらが弔ってはくれぬか。そなたらは生き延び、能うかぎり長く、二人を弔うてくれ。わしの、最後の頼みと思うて。
妙 お屋形様・・・(領主の心中を察し、言葉に詰まる)
領主 (外を見ながら)あと一つ。埋めた場所に桜の枝を一本、植えてやってくれ。春が来る度に咲き誇り、二人を慰めてやれるように・・・
29
千早 要、早う参れ。
要 姫様、お待ちください。太郎は先ほど、間もなく雨が降ると申しておりましたゆえ、湖はまたの機会に。
千早 いや、今見たい。我が所領の米を作る大事な水源じゃ。見ておきたい。太郎はそう遠くないと言うたぞ。馬で行けばすぐ着こう。
(千早、馬を駆ってさっさと登ってしまうので、要も仕方なく跡を追う。直に湖が見えてきた。手前に湖があり、奥側に滝がある)
千早 おお、あれか! なんと壮大な・・・
要 これは・・・実に素晴しい。
千早 このような場所があるとは・・・
(ぱらぱらと降り始めた雨が、あっという間に大雨になった)
千早 うわーっ! ひどい降りじゃ!
要 山の天気は変わりやすいのです。どこか雨を避ける所を探しましょう。
(要、更に少し登ってみる。洞窟を見つけて戻る)
要 姫様、この先に洞穴がございます。馬も入る大きさでございますゆえ。
千早 わかった。(要を追って登る)
(洞穴に入ると、雷鳴も聞こえ始めた。要、刀を外して置く)
千早 要、刀をそのような所へ置くのは、
要 (千早を遮り)雷の鳴る間は危のうございます。どうか姫様のお刀もこちらへ。
千早 そ、そうか。(仕方なく、要に従う)
随分大きな洞穴じゃな。ん? 奥に何かあるぞ。
(奥に進み、祠を見つけた。雷鳴が近づいている)
要 (祠に近づいて書かれた文字などを見てみる)
おそらく太郎らの村で、水の神を祀っておるのでしょう。
千早 そうか。きっと、
(突如、すぐ近くで雷鳴が轟いた)
千早 きゃあー!!
(耳をつんざくような音の、あまりの大きさに驚き、耳を塞ぎしゃがみ込んだ)
要 (千早の震える姿を初めて見た要は驚きながらも)
ご案じなさいますな。ここまで入りはしませぬゆえ。
(要は雷鳴に驚き暴れる馬の手綱を引き、落ち着かせる)
千早 (要の様子を見ながら)・・・こんな近くで雷の音を聞いたのは初めてじゃ。要は恐ろしゅうはないのか。
要 無論、恐ろしゅうございますが、姫様に何かあってはそれこそ一大事ゆえ、懸命に気を張っております。
(再び雷鳴が轟く)
千早 きゃあー!!(思わず要の腕にしがみつく)
要 ・・・ご無礼を。
(要、少々困って、片腕を千早の背中にそっと回し、ゆっくり、軽くとんとんと叩き落ち着かせようと試みる)
要 幼き頃、母がこのようにして落ち着かせてくれました。母のようにはいかぬかもしれませぬが・・・
千早 ・・・わしは、このようなこと、母上にしていただいたことはなかった・・・
要 申し訳ございませぬ! 母上様は姫様のお小さき頃、身罷られたのでしたな、どうかお許しを・・・
千早 よい。今、お前が代わりにしてくれていると思えば。もう少し、このままでいてくれ。
(要、少々戸惑いながら続ける)
千早 なあ、要。よい国とは、どのようなものか。民の幸せとは、どのようなものか。よき領主とは・・・学んでも学んでも、ようわからぬ。難しい・・・わしには、何が足りないのか? 何を学べばよいのじゃ?
要 ・・・急ぐことはございませぬ。今姫様が学んでおいでのことは、全てこの先へ繋がってゆくものでございます。国を知り、民を知り、一つ一つ、歩を進めて参りましょう。
千早 ・・・わかった・・・
(湖の側に横たわり、幸せな記憶に笑みを浮かべ、ゆっくりと目を閉じ、千早の刻が止まった)
(太郎達の働く姿・戦支度をする侍達・領主たちの合議・貞義の考え込む顔・坂田の厳しい表情・爺と妙が桜の枝を植え、手を合わせる姿など、生きている者達の姿を、木々や水面が蜃気楼のように映し出す。時折、千早の幸せそうに眠る顔と、要が優しく見守る顔もゆらめいている)
(終)