私は私
豊永 実紀(とよなが みのり)です。
「 #自分にとって大切なこと 」
このことについて書こうと思って2週間ほど経ったがやっとこさ重い筆を執っている。携帯やけど。
(追記:そして読み直すのに約2日あけた)
このハッシュタグはハッシュタグどおりのことをテーマにnoteで発信してくださいというコンテストのもので、たとえば、
・今の自分がつくられたきっかけ
・ふだん大切にしている考えや行動
・自分の軸がぶれないよう、守っていること
・仕事を通じてわかった本当に大切なこと
などを表現しましょう、というコンテストらしい。せっかくの機会だしこの項目全部書いてみよう。
(追記:今全部書き終えたけどめちゃくちゃ長い。項目ごとに見出しつけたけん、それ目印にして!)
・今の自分がつくられたきっかけ
まず大前提として自分の職業を話しておくと、
私は昨年の秋に体調を崩して休養し、今年の2月2日に活動を再開した現在フリーの声優である。(自分でこれを書いて「わーほんとにフリーなんやなあ」などと思っている程度にはまだあまり実感がわいていない)
これを踏まえての、よくある質問第一位。
「声優になろうとしたきっかけはなんですか?」
私が声優を目指したきっかけは保育園の頃、ポケットモンスターのサトシの声優である松本梨香さんが、テレビで『めざせポケモンマスター』を歌っているところを観て、「サトシは男の子だと思っていたけれど、男の子じゃないんだ!私もこうなりたい!」と思ったからだ。
後日保育園の先生に、このような職業をテレビでみたけど、なんていうのかと聞き、卒園文集の将来の夢に「せいゆう」と書いた。まさにキミにきめた!状態である。
あれから何年経っただろう、あっという間にあの頃の松本さんとほぼ同じ歳になった。
ここまでくるのに、本当に色々なことがあった。
小中学生の頃は、映像業を営んでいる父(私はそれを知らずに声優を志した)が私の本気度を見ていたらしく、オーディションを受けたいと言っても殆ど許してくれなかった。
1つ受けるのにリアルに8時間ほど話し合いをした。毎度リビングで大泣きしていた。
そんなことが続いた中学3年の冬。両親と高校受験の結果を見にいった帰り、高校には落ちていたが、もう一生歩くことのないであろう志望校の坂道で、一枚のハガキを渡される。
このハガキが、高校1年〜短大卒業までお世話になった地元の劇団の演劇講座生募集のハガキである。
父はこの時までずっと色々、もちろん今も色々、考えてくれていたんだと思う。ここで学べば間違いないから、と言ってくれた。
そして劇団にいた5年間。父の言う通り、まさに、ここで学べば間違いなかった。この仕事をする上でこの家庭に生まれてきたのはラッキーだったと思っている。
私は師匠や先輩から芝居の基礎を学んだ。
50音の滑舌から、この文に込められている情景を思い浮かべてそこに存在することの大切さ、数えきれない物事を教えていただいた。
練習が1ページも進まず帰りのバス停で大泣きしたこともあった。
何よりも心構えを教えていただいたことに感謝している。
信念を持って存在すること、そして心意気や、何がかっこよくて何がナンセンスなのか。
「どんなものをお観せしても、時間だけは返却できない」。
わかってて当たり前のように見えて、意外とそうじゃない。ここで学べたことは本当に大きかった。
上京する前、そんな師匠に「実紀はヒーローになりたいのか」と言われたことがある。
生身で芝居しなくていいのか、なぜ声だけなんだ、ということを言いたかったのだと思う。
その時どう答えたかは正直覚えていない。だけどきっと今聞かれたら、尚更答えはYESなんだと思う。
上京してからはヒーローショーのお姉さんとしても活動していたからだ。
そこで出会うお客様はいつもキラキラしていて、本当に楽しかった。そしてお客様のために全力でいるその空間にいる全員のことが大好きだ。
だから私は、声優としてもスーパーヒーロータイムの作品に関わることが夢になった。
プリキュアには昔からなりたかったけれど、まさかヒーローになりたいと思うとは、あのころ師匠が投げかけてくださった質問の時には考えても居なかった。だから今聞かれたら本当の意味でYESだ。
このように、ここには書き切れないほどの様々な出会いや学びが私の夢を確固たるものにしてくれた。そのひとつひとつが今の自分がつくられたきっかけになっている。
このYESには夢への色々が凝縮されている。
自分という存在がもっているもの、育ってきた家庭環境、幼い頃からの夢、劇団で学ばせていただいたことと、上京して得たこと、様々な出会いやあたたかい言葉や観てきた景色。
結局私はこの夢から逃れられないんだと思っている。この仕事を生涯やることこそ、それこそ、自分にとって大切なこと、なんだと思う。
・ふだん大切にしている考えや行動
上記のような経緯を経て、私は上京した。
高校を出てすぐ上京するつもりだったが、家業の都合上短大を出ないといけなくなった2年を経ての出来事だった。
既に人より2年遅れていると焦った私は、半年で結果が判る声優養成所に行き、査定に落ち、半年フリーターをやることになる。
その後また一年養成所へ行き、そこの研修生として約5年間活動して、今に至る。
上京してからの数年、声優だけれども外見も美しくないといけないんだと苦しんだことがある。
それとは別に、自分の考えは間違っているのか、歩んできた道はおかしかったのか、考えたこともある。
そんな時でも劇団で得た沢山の経験を持っていれば折れずにいられるはずだった。でも、今私はここにいる。そういうことなのだ。
帰ってきた時母は、もっと早く戻ってくると思っていたと言っていた。
性懲りも無くまた近々都内に戻ろうとしているところを見てください、すみませんがここで諦めるような人ではありません。これも私だ。
この一年、私はずっと私は何者だということについて考えていた。
他の人にはない自分の魅力はなんだろう?発信するもの全てに対して怒られたくなかった結果、人と違う魅力どころかどんどん無個性になってしまう自分が嫌だった。
私は私でありたいし、私が好きな自分でありたい。
先日のnoteにも書いたけれど、要約すると私は「自分が発信したもので、ある程度応援してくださる方の層は決まる」と思っている。
だからこそ、文章が好きだと仰ってくださる方がいてくれたのが嬉しかったし、でも、嘘はついていない文だったけれども書きたいことの一部しか書けてなかったりもして、これでいいのかなと思っていた。もっと書きたいことはあったから。本当に書きたいように書いたらどう受け取ってもらえるのだろうか思いを馳せていた。
ビクビクして、上澄みだけの文で、もっとこう、書きたいことは深く深くあるんです、というのも思うように書けなくなって、結果時が経つにつれて自分にとって何も面白みもない文章を出しているのがカッコ悪いなと感じていた。
そういうことを考え続けた結果私は病気になってしまった。
そこで割と諦めていたことをもう一度考えるようになる。
不調のおかげで私は、自分の信条を貫くため、叶えたい夢を叶えるためにできることをもう一度考え直して実行していこうと思えたのだ。
まずは保育園の頃から目指して駆け抜けてきたルートで、一度立ち止まってみた。正直自分の人生の中でこんな時間が来るとは思っていなかった。駆け抜け続けるものなのだと思っていた。
止まるのは怖かったけれど、でも、止まったおかげでみえてきたものもあった。
まず、休むことにしても、1ミリたりともこの夢を諦めるかという方には考えがいかなかった。リタイアのリの字も浮かばない自分に少し呆れた。
だからそこでやっと相当しぶとい人間なのだということを本当の意味で自覚した。
やめているところが想像つかない。やめずに佇むか前に進むしかない。我ながらそんなに頑固にならなくてもいいのにと思いながら、やめたらそれこそ自分が自分ではなくなるのがわかっている。本当に不器用で我ながら愛おしい。
活動を再開してからは立ち止まっている間に思い描いていた様々なことを実行している。ラジオやその他の配信、ここだってそうだ。まずは自分の人間性を出すところからだと。そこを自分が出したいように魅せたいようにめいいっぱい出して、どう受け取ってもらえるかが知りたかった。色々試してみているけれど、まだまだ、まだまだまだという気持ちでいっぱいになる。
今までも思ってはいたけれど、最近大切に実行し始めた、「自分の人生は自分でつくる」ということ。そのためにまずは、「私は私」ということ。
いまはとにかく行動を起こす、毎日何かやる。
私は私として胸を張ってこういう表現をしていきたいんだと胸を張れるように。
こういうパーソナルなところから応援していただくのも時代だと思う。でも、そこだけじゃないんだというところも忘れずに磨き続ける。どっちも磨くから大変だ。でも楽しいんだ。
・自分の軸がぶれないよう、守っていること
上記のことを経てフリーになった私は、先ほども少し自覚したことについて触れたが、ここまできてやっと自分の特性がわかり始めてきた。
曲がったことが大嫌いで、一個あれ?と思ったことに対して永遠に考えてしまう。人の何倍も。
幼い頃よく、「家に帰ってきてそんなにモヤモヤするくらいなら外でその時に決着をつけてこい」と言われていたことを思い出す。
私は何もかも人より2テンポほど遅いので、あの時ああしておけばこうしておけばが多い人間なのだが、だからこそ、自分の軸はあまりぶれないと思っている。
ブレないけれど、削られることはよくあったなと思う。
そこがものすごく苦痛だったことに最近気が付いたし、ぶれなくても、削られて折れかかっていたのだと思う。
養成所の先生に、折れないようにしなやかになりなさいと言われたことがあるのを思い出した。
だから今更、好きなものは好きと、考えていることやそれに対するいろいろな感情も少しずつ、小出しにし始めた。
人間味がないとか、私生活がわからないとか、そういった類のこと自体自分には似合わなかったんだろうなと思う。
自分に何が合っていて合ってないのか。それがわかってきた。
夢を追っていると、向いている職業とやりたい職業って違うなとひしひしと感じることがある。例えば私は短大で幼稚園教諭の免許や保育士の資格をとったとき、正直、自分にものすごく才能があることを感じた。
だけど、私は声優になりたかったのだ。こういうこととかね。才能には合うけど、心には合わない、そんなこともある。
無理なものは無理、でもやるしかない、そう思っていた。
だけど、ヒーローショーのお姉さんを始めた時、自分のやりたいことと、持っている特性どちらも活かせる仕事があることを知った。
立ち止まっても、行きたくないけど行かざるを得ないと思った道も、歩み続けていればそのおかげで得た良いことや気づきがあるもんだなと思った。
短大の時の2年間は無駄ではなかったのだと思えたし、こういう気づきこそが、削られた軸やコンプレックスを修復できる道具なのだと思う。
修復剤は、誰かがくれた暖かい言葉だったり、読んだコラムから得たりもできる。巡り会う時期は決まっているようにも感じる。
自分の軸がぶれないよう、守っていることとしては、上記のような色々はあれど、とにかく諦めないこと。守るというよりもうこれは逃れられないなと諦めている、が正解な気もするが。
それでも時々、そんな自分に助けられることもある。
この仕事をしている自分は好きだなと思えるから、これこそが軸なんだと思う。
保育園の頃から守り続けてきた軸は、誰になんと言われようと、折れかけても腐りかけてもどうにか補強して守ってきて、蝕まれても己の仕事で修復できる技術は得ているんだなと。
私はアイドルが好きなのだが、去年の夏、私が応援しているアイドルが
手出したらやり切るしかねえさ
忘れんな俺らは「ENTERTAINER」
と歌っていた。この曲は「ENTERTAINER」という曲で彼が作詞作曲しているのだが、夏の時点で限界を迎えていた私に、考えは間違っていないと認めてもらえた気がして生きる糧になった一曲だった。手を出したらやり切るしかないんだと。
きっとこのような救われ方は彼の意図したところではないのだけれど、こういうことだなと思うんだ、
どこかで誰かの何かしらの力になっている、って。
だから私のこの文も、何かの力になっていたらいいなと思っている。
常日頃言っている、誰かの人生のプラスになる表現がしたい、ってきっとこういうことだし、
推してくれる人は感性的に共感できるものが多い、ってこういうことなんだなあと推してるサイドとして思った出来事だった。
配信ライブだったので映像をお見せできず誠に残念なのだが、挙げた歌詞の一部だけでも検索したら歌詞が出るのでぜひ読んでいただきたい。
ほぼ全ての公演を観て、アカペラで歌えるレベルにまで達しているほど本当に生きる術だった。たぶんあの曲がなかったらもっと早くに折れていた。
娯楽家とはなにか。ステージは承認欲求の道具ではないという旨を伝えたかったとブログに書いていたが、本当にその通りで。それを発信している彼に脱帽である。
何から何まで当時自分が思っていたことすぎてびっくりした。でも、私と彼の根本的な違いは自分らしく表現しているか否か。それは生き生きしているかしていないかにも繋がっている気がして、そんな姿が眩しかった。羨ましかった。私もそういう部分が欲しいと思った。
当時私はアイドル好きだと公言しておらず、「また生き生きしたい」と思わせてくれた人や出会いを隠して生きていることに再度疑問を持った。(今までも思っていた)
ここが人間味がないと言われる原因の一つだと感じた。
だからこそ好きなことを沢山出して、自分がかっこいいと思ったことを表現して人を救っている姿に元気をもらい、自分も土俵が違えどそうなりたいと思った。そして行動して、今がある。アイドル好きでよかった。(ありがとうの気持ちはファンレターに書いて送った)
ちなみに彼の座右の銘の中の一つに「俺は俺」というものがある。
中学生の頃、手紙の折りたたんだ面に歌詞を書くのが友人との間で恒例になっていて、「私は私」という歌詞をよく書いてくれていたことを最近よくおもいだす。ほんとにね、私は私、なんだよね。
当時から夢を語り続けていた私のことを応援し続けてくれていてほんとにありがたいし彼女はきっとわかっていてくれてんだと思う、私より私のことを。
フリーになってからアイドルヲタクであることを言っても、お客様があたたかく見守っていてくれてありがたい。
隠して生きていたから無個性に思われがちだったけれど。
元々好きなのに隠すことでもないと思っていたから、息がしやすい。
私が私であることをあらわして生きるために必要不可欠なのでやっている。
あの夏、あの歌に対して「そうだよなぁ」と思うことができるギリギリのところにいた。そうだよな、間違ってないんだよなと思える感情をなくさないでいられてよかった。
正直もうわたしにはできないし一生このままなのかとさえ思っていたので助けられた出来事だった。もうなにもわからない、どうでもいい、となりかねなかったギリギリのところで強力な修復剤をもらえたことに感謝している。
私は私として生きること、それを表現し続けることが己の軸を保つために必要だと感じて過ごすようになった。勿論何もかも、というわけではないけれど。
正直万人受けするタイプではないがもともと万人受けしようとは思っていないので、まあいいでしょう。
・仕事を通じてわかった本当に大切なこと
これは自分らしく生きるの一言に尽きると思う。この仕事だと特に。
「自分らしく」には色々あるけれど、例えば、同じ台本で同じ役でも読む人演じる人によって印象が変わるように。
無個性で萎縮して生きていても、特に何も面白みはなく苦しいだけだし、一度きりの人生、やりたいようにやってみていいと思った。
そしてやってみた結果、まだ成果的にはわからないけれど、良い予感はしている。
私は私を受け入れるのにものすごく時間がかかった。外見も内面も。受け入れているつもりでできてなかった。元々自己評価が低い自覚はあったけれど、どんどん自分で夢の終わりに近づいているところで、身体が限界を迎えてくれて本当に良かったと思っている。
私は、誰かのことを幸せにしたいとか、夢を与えたいとか、感動させたいとかで声優を志したわけではなく、特にアニメに詳しいとか、そういう類でもない。だけどこの仕事が大好きで、自分のために自分が叶えたい夢を追っている。
その道中で私の表現や関わった作品を通して何かを得てくださる方がいれば、ラッキーだなと思う。結局は誰かのプラスに繋がる仕事をしていたい。だってこの職業は受け取り手がいないと成り立たない職業だから。
資格があるわけではないので、夢が叶った!というのは表現しづらいんだけれども、なんなら誰でも彼でも名乗れば声優、なんだろうけれど、プライドはあるし、叶ったか叶ってないかでいうと、叶っている。
叶ってはいるけど困ったもので全然足りていない。満足していない。きっと満足なんてしないんだろうなとも思う。
だけれど歩みを止めずに自分が好きなこの仕事を一生していたい。
やりたいこと50個書きなぐって!海外旅行行きたいとか温泉行きたいとか!と言われて実践したことがあるが、ほぼ仕事のことしか出てこなかった私だ。もうこれは、諦めにも近いし、真髄とも言える。そんな自分は好きなんだから困ったものだ。
自分にとって大切なこと
うまれもったもの、家庭環境、教えていただいた方々、今まで出会った方たち。
うちの祖母は、「何があってもどれだけ悔しくても「『おかげさまで』と思いなさい」と毎度言ってくるが、ほんとに「おかげさまで」見えてきたもののおかげで今の私はここにいる。
きっと今の自分を作り上げているものってわたしが保育園から今までずっとなりたいものが変わらなかった(プラスアルファの増減はあるよ)から得たものだし、
それはいままで出会った方々のおかげで、それこそおかげさまでやれてることだから。
その出会いを通して得た感性や気づきのおかげで、私がつくられている。
その私を私として私が認めて、表現に落とし込んで叶えていく。この永遠のループのような気がしてきた。
これがきっと自分が自分である理由だし、アイデンティティと言われるものだ。声優じゃない私は私じゃない。
自分にとって大切なことって、これだろう。これが言いたかったしいい機会なので書きました。
これからも果てしないけれど、だからこそ諦めないでいられる。おかげさまで。
だから、何かを表現する者として、自分にとって大切なことは、夢を持ち続けること、叶え続けること、感謝を忘れずにいること。そして、私は私であること。
今の私の夢はね、
またみんなの前に立つこと
アニメのレギュラーをとること
ディスクライバー(音声ガイドのライター)とナレーターの兼任
夢のきっかけになった男の子をまた演じること
ニチアサにでること
他にもいろいろあるけど。
自分にとって大切なことを貫き続けて、叶えていきます。
ここまで読んでくださった方がいましたら、ありがとうございます。
あなたのおかげさまで、今の私がここにいます。
豊永 実紀(とよなが みのり)でした。
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