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ガンダムナラティブを今更見て感じたニュータイプ論の解釈違い
ってことでほんとに今更なんですがナラティブを見ました。
軽く隙自語。一応ナラティブ前までの宇宙世紀の映像化されたガンダムはほぼ見ました。08がまだ見てないかな。
所謂本筋の所は全部一通り見ています。他に何見たか聞きたいかはTwitterで聴いてくれれば答えるかも知れない。
まあとにかく、ナラティブを全部見た感想で一番強く思ったのは
福井晴敏のニュータイプ理論くっっっそ嫌いだな!!!!!!
ってのが今回のナラティブで一番に来た感情。
いや、話の構成がとかキャラクターがとかじゃなくてそもそもの考え方が乖離してるんだなぁって思いました。ガンダムでニュータイプの宗教戦争になるなんて思いもしなかっ…いや結構あるわ…まあとりあえずその辺つらつら語ろうかと。
・そもそもニュータイプをお前どう捉えているの?
この話をする前に個人的なニュータイプの考えを話しておいた方がいいと思うのでざっくりと。
「あなたは一日に12kmの山道を歩くことができますか?」
機動戦士クロスボーンガンダムの主人公、トビア・アロナクスがニュータイプ至上主義者、シェリンドン・ロナに対して放ったこの言葉が一番ニュータイプを示していると思っています。
ニュータイプなんて物は所詮「宇宙生活に適応した人間」でしかなく、「1日に山道を12㎞歩ける様に適応した人間」と同じ人間で、それ以上の存在ではない
と言う思いが込められたクロスボーンガンダムの名台詞。
これが一番僕の書きうるニュータイプの姿だと思っています。ガンダムXもニュータイプとは?を書き上げていましたが似た結論に辿り着いていたと記憶しています(ちょっと記憶あやふやですが…)
まあこの辺のお話の詳しくはコミックの公式Twitterアカウントも始まった機動戦士クロスボーンガンダムを見ような。見ろ。(威圧)
・で、ガンダムナラティブは何が駄目だったの?
話をガンダムナラティブのニュータイプの話に戻します。
作中ヒロイン、リタはまず「コロニー落とし」を予言しました。
???「ニュータイプはエスパーではありません。」
まずここで「あっ、これもう福井晴敏のニュータイプの価値観俺とちげぇわ」
となりました。上の画像みたいな感じですね。
その後、リタとヨナの回想?で
ヨナの「いつかは死んで、苦しい事も悲しい事もなくなる」と言う答えにリタは「ニュータイプは、違うんじゃない?」
と返していました。人間を超えた存在であり、死すらをも克服した存在として捉えているのが明確に分かる発言であり上記のトビア・アロナクスのとは真逆の発想と分かります。
今作品のキャラ達もそう強く捉えている様でゾルタンも(時期が早いとは考えていたが)「ニュータイプが人類の進化する姿」、ミシェルも「フェネクスを捉えてニュータイプを解析出来れば死を克服出来る」等と人類の上位種の様に捉えている描写が多く見られました。
これらがどうしてもダメでした。
ニュータイプを拡大解釈し、あまつさえ神や仏の様に解釈してるのがどうしても宗教チックに見えてしまいながらの視聴となっていました。
いやまあ、ナラティブガンダムがコンテナを切り裂いて発進するシーンとかMS隊長イアゴの「俺はアクシズショックを見た!その先の光の中心にいたのは…俺にはこれが精いっぱいだ!」とかMS戦とかは結構好きだったんですけどやっぱ根底が受け止めきれなかったです。
・まとめ
アクシズショックでνガンダムは色んな人に様々な影響を与えてました。F90では「悪魔の力」、ユニコーンやナラティブでは「希望の力」と語られてました。
今回のナラティブは福井晴敏氏が「ニュータイプとは何か?」を語ったと思われる作品でしたが
正直これがニュータイプ論の到達点とは到底思えなかったです。
僕はνガンダムが見せたあのサイコフレームの光は「ニュータイプ、オールドタイプ関係なく、人々の微かな心の光を束ねた姿」だと思ってるのでナラティブで語られた、語ろうとした「ニュータイプこそが人類の進化であり、死を克服出来た上位の存在」として語られて、それが正しいとするこの姿勢はどうしてもダメでした、と言うお話です。
最後ですがあくまでも僕個人の意見なので「長谷川裕一氏のニュータイプ論が正しくて福井晴敏氏のニュータイプ論がくそ!!」と言うわけではないです。まあ半分位はあるかもですが。
なんにせよ自分なりのニュータイプ論を再確認したかったので書いてみました。暇つぶし位になったのなら幸いです。