■《暴政の愛国/政治的インポテンツ》から《連帯パトリオティズム》なる展相(Potenz)の「リベラル共和」へ脱出が成るかニッポン!?/「愛国の疑似宗教性」と「暴政の条件」に関わる論考(Cf.将基面貴巳806日経:文化)
カバー画像:Edouard Manet「Berthe Morisot au bouquet de violettes」1872 Musée d'Orsay https://www.musee-orsay.fr/fr/collections/oeuvres-commentees/recherche/commentaire_id/berthe-morisot-au-bouquet-de-violettes-7122.html
■果たして日本はアベ色の暴政に濃く染まり過ぎた伝統《インポテンツ愛国》→ グローバル・ポテンツ連帯パトリオティズムへの脱皮が成るか? →戦後日本の行方1 ナショナリズム 批判精神が生む真の愛国/国境を越えた連帯の動きも:将基面貴巳/政治思想史学者 806日経:文化https://www.nikkei.com/article/DGKKZO62316100V00C20A8BC8000/
<注0/補記、toxandoria2>Potenz(ポテンツ/展相)・・・ドイツ語の原義は掛け算された数のことだが、持続しつつ内在する力が徐々に高まることも意味する。此処(政治・哲学用語)では、政治的な意味での健全な共同体の生命力が徐々にパワーを高めつつゼロサム「赤の女王」に抗って持続し発展することを意味している。
・・・太平洋戦争の敗戦から75年がたつ。戦後の日本社会は何を目指し、何を変えようとしてしてきたのか。その歴史と展望を識者に聞いた。(第1回目は、政治思想史家の将基面貴巳氏/ニュージーランド・オタゴ大教授)・・・
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1291472703178735616
https://twitter.com/oya_hanayo/status/1291496401759657984
驚愕!これぞ<今の日本の全てが「アベインポテンツ共同幻想」で出来ている異常/Cf.↓♨1、2>の実に見事な証明となっている! →首相の被爆地あいさつ、文面酷似 809共同通信 https://www.kanaloco.jp/article/entry-437123.html
♨1《暴政の愛国/政治的インポテンツ》から《連帯パトリオティズム》なる展相(Potenz)の「リベラル共和」へ脱出が成るかニッポン!?/「愛国の疑似宗教性」と「暴政の条件」に関わる論考 #note https://note.com/toxandoria2/n/n71729a662785
♨2 @大島堅一さん/長崎での首相会見、・・・あらかじめ送っておいた内容を質問者が読み、あらかじめ用意しておいた答を読む会でした。ならば事前に質問回答を書面で配って、会見でそれを前提に質疑応答してはどうでしょうか。首相がこちらにカンペを見せてくれたので構図がはっきりわかりました。https://twitter.com/kenichioshima/status/1292420976127303688
https://twitter.com/kenichioshima/status/1292420976127303688
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1292548919776260097
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1292348399904153602
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1290478713365098496
https://twitter.com/mainichi/status/1292156117817073664
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1291893637001830400
(戦後日本の行方(1)ナショナリズム 批判精神が生む真の愛国/国境を越えた連帯の動きも:将基面貴巳(政治思想史学者)806日経(文化)のポイント)https://www.nikkei.com/article/DGKKZO62316100V00C20A8BC8000/
●ナショナリズムの起源は、国家・国民(ネイション)の独自性にこだわる考えのこと。近代国家の成立期において、歴史・国語・国民が創られた。
●一方、ナショナリズムには「疑似宗教的な側面」もある。そして、太平洋戦争では「戦死したら靖国神社でまつられる」という「信仰」(宗教)が人々を動員した。だから、その反省から戦後はショナリズム(いわば、戦前・戦中期を引き継ぐインポテンツ愛国/補記、toxandoria2)が繰り返し批判され、その検証が繰り返されてきた。
●「現代につながる、戦後日本のナショナリズムの問題点」を抉って見ると、以下の二点がリアルに見えてくる。
1 先ず戦前・戦中期の日本は、そもそも国家には以下(1)と(2)の二つの側面があることが客観視できていなかった。
(1)税金に見合ったサービスをする「サービスプロバイダー」としての側面・・・この事例としては、最も先進的という意味で非常に充実したサービス制度を実現したスウェーデンの現在の姿がある。Cf. → https://note.com/toxandoria2/n/n0a7d7deb961b
(2)国民統合のため自らを神聖だと見せる「神社」としての側面(そのままの意味のレベルではコトの良し悪しと無関係)・・・国家のサービスプロバイダーの良し悪しの評価より、その神聖性の尊重の方向へ国民の心が過剰に傾くと(それを偏重)すると、<疑似宗教的な愛国心>が生れてしまう。 ↞公的な次元での政教分離の意味が此処に関わる!(リベラル共和を究極の理想とするフランスが、特に政治権力側へ、この政教分離に関わる自己規制を強く求めるライシテ(laicite/↓★)の重要な意味が此処にある!)
★ライシテ(laicite)・・・フランスにおける、明確な政教分離の観念を表す言語表象)が初めてフランス共和国憲法の中に現れるのは、パリコミューン(1871)の後に制定された「第三共和国憲法」(制定1875)が、1884年(明治17年/大日本帝国憲法・公布、1889年から5年前)に改正された時(フランス大革命から約100年も後になって漸く!)である。https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/11/30/184331
<注1/補記(以下♨&注2とも)、toxandoria2>・・・M.アンリ(Michel Henry/1922 - 2002/フランスの哲学者)による「自制的で平等な情感の共同体としての国家論」・・・
M.アンリは、先ず個々人の絶対的主観性の意識作用(コギタチオ)の実在性(リアリズム)に関わる「認識」には、a「視覚と結びつき易い形相(エイドス)」と、b「触覚・痛覚らとの親和性が大きい質料(ヒュレー)」の二つがあることを指摘する。
そして、実在性(現実、リアリズム)の認識では両者のバランスを取ることが常に重要なのだが、前者aの暴走(例えば政治権力の“暴政”化など)は、後者bの触覚(皮膚感覚)的な(i.e. 感性的、生命感覚的な)批判力で抑制する必要があると説く(因みに、感覚・感性は個々人の内面に拡がる広大な“情感の海”のエントランスである!)。
注意すべきは、必ずしも論理性(i.e.前者a(エイドス)から進化する完全(or抽象)合理性の意思)が、持続すべき生命論的に言えば何時も後者b(ヒュレー)にそれが勝るとは限らぬことだ。
つまり、更に留意すべきは、その逆(a、bで夫々の批判的な役割が倒置・交替すること)もあり得るということだ。
従って、肝心なのは絶えず「ゼロサム“赤の女王”仮説」に照らしつつ、暴政に対する国民一人ひとりの健全な認識力(国家という情感の共同体の平等な成員の一人としての)の回復と均衡化を絶えず確保しながら、展相(Potenz)の「リベラル共和」をエンテレケイア(永遠の理想)として掲げて、各民主主義国家の持続性の担保を図る努力に取り組むことである(関連参照↓♨1 et 必須参照資料↓♨2、3)。
♨1 新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜性イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(2/2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449
♨2 情感性と記憶―アンリ現象学による試論― ⑴ 神谷英二/福岡県立大学人間社会学部紀要2005,vol. 14,No. 1, 21―36 http://www.fukuoka-pu.ac.jp/kiyou/kiyo14_1/1401_kamiya.pdf
♨3 M.アンリ「身体の哲学と現象学」―ビラン存在論についての試論 (叢書・ウニベルシタス/法政大学出版会)
<注2/補記、toxandoria2>ゼロサム「赤の女王」について・・・「赤の女王」は、ホッブス・リヴァイアサンを「自然・政治・経済・社会・文化」の全般にわたり作用する不可避の共通原理と見なす考え方(『自由の命運 上、下: 国家、社会、そして狭い回廊』(早川書房)の著者、ダロン・アセモグルと ジェイムズ ・A. ロビンソンによる)。それを放置すればゼロサム化するのが必然なので、これに薄皮一枚で必死に抗いつつ生き続ける全生命の一環たるヒト(の社会)でも、必然的に永続的な薄皮一枚の「この意味での努力」の持続が厳しく求めらている。https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449
・・・
2 今も同じことだが、日本では伝統的な文化や歴史などが「愛国心」の基礎となっており、人々が「政府の現状」を評価(先ず、合理的・論理的に、つまり冷静に!/補記、toxandoria2)している訳ではない。それどころか情緒的に「日本人らしさ」を称揚する風潮がもともと根強い(つまり、そのため“↑M.アンリが言う意味で”のエイドスの論理性とヒュレーの情感性(情緒性)との間のバランスが十分に取れておらず、全般的には常に後者がやや過剰気味(優勢)である!/補記、toxandoria2)。
3 従って、特に日本では「時の政治権力者、およびその同調者、お仲間、追従者」らが民衆を作為的に分断のレトリックを駆使して扇動すると、多くの人々が容易に「あいつらが悪」、「日本人なら日本を愛して当然」という、いわゆる《ヘイトあるいは暴政の愛国/政治的インポテンツ》の方向へ流されてしまう傾向がある。
4 しかしながら、《ヘイトあるいは暴政の愛国/政治的インポテンツ》派の思惑はともかく、グローバリズムやAI‐Web環境の進化に伴い日本国内でも価値観が多様化しつつあり、如何に時の政権が政治権力を《暴政の愛国/政治的インポテンツ》の方向へ作為的に誘導したとしても、今後も価値観の多様化は止められないだろう。
5 また、そもそも「その意味での愛国(必然的に多様化へと向かい深化する価値観の受け皿としての)」が具体的に意味したのはナショナリズムではなく、そのルーツは古代ローマの哲学者キケロによるパトリオティズムだった。つまり、キケロによれば、パトリオティズムは国家に対する強い愛着やただの忠誠心ではなく、それは「自由・平等およびそれらの価値を守る政治制度など、いわば共通善を政策の上で実現するために、多数派の人々が美徳(言い換えれば“倫理”観!)を十分に発揮する」ことであったのだ。従って、そのようなことから“倫理”を失った政治こそが“暴政”なるものの核心であり、その悪しき正体であるということになる。
6 更に、AIやバイオ等の先端知の進化および自然・文化・生命エトノス環境論に関わる認識が一層深まりつつある現代では、共通善をベースとする公共の利益を脅かすものこそが「パトリオティズムの意味での愛国」の敵であることになるので、いわゆる旧来の「只の一国の国家にのみ愛着を覚える閉鎖的な愛国(暴政の愛国=政治的なアナクロ・インポテンツ)」は真の愛国とは認められないということに、次第に多くの人々が気付き始めている、と見るべきである。その意味でも、日本を除く(?)世界の伝統的な極右勢力(暴政の愛国=政治的なアナクロ・インポテンツ)も、次第に「パトリオティズムの意味での愛国」、換言すれば「展相Potenzの“リベラル共和”」への新たな道程を意識せざるを得ない時代に入りつつあると言えるだろう(Cf.↓♨/補記、toxandoria2)。
♨「ミーゼス均等循環経済論(シュンペーター動学で焦点化する『ミーゼス(正統保守)とリベラㇽ共和“二つの自由論”』の接近の必然性(@【“非MMT的”考察】新コロナパンデミック«試練»の意義は、大“公的債務”時代(グローバル国家信認リスク)発生の先にある真の課題の発見ということ、2020/08/05toxandoria2 https://note.com/toxandoria2/n/n7d3053f1cf1b)
7 例えば、その一つの現れは「近年における、欧州(特にドイツ・フランスほか)での環境政党である≪緑の党≫の大きな躍進(国民層による支持の拡大!)ということがあり、またジェネレーションZ(Z世代/2000年(もしくは1990年代後半)~2010年の間に生まれた世代)を中心とする、つまり若い年代層の人々が中心となった多様な価値観への共鳴、あるいは経済格差の撲滅などを旗印にした様々な活動の輪が全世界へ拡がりつつある(残念ながら、日本の若い年代層はコレと真逆の傾向が見えるようだが?)。これも一言で言えば、旧来の「一国に閉じこもった暴政の愛国=政治的なアナクロ・インポテンツ」のトレンド(具体的に言えば、アベ・トランプ的な一国主義愛国)への身を持った批判活動と見るべきであろう(Cf.↓★/補記、toxandoria2)。
★1 2019のEU議会選挙で緑の党が躍進、ドイツでは一時、政党支持率トップ!https://twitter.com/tadanoossan2/status/1229599594859745280
★2 ハンブルク市議会議員選挙、緑の党が躍進し国政与党CDUが惨敗(ドイツ2020年2月24日の現地紙「ハンブルガー・モルゲンポスト」の報道)https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/03/48b511bbea3adb24.html
★3 緑の党の大躍進・2年後に初のグリーン首相誕生の可能性も/在日ドイツ商工会議所報:2019年9月号、在独ジャーナリスト熊谷徹https://japan.ahk.de/jp/infothek/japan-im-ueberblick/motto-doitsu/092019-kumagai
★4 フランスで緑の党が大躍進!/フランス緑の党(EELV、ヨーロッパ・エコロジー・緑の党)が、6月28日の統一自治体選挙2回目投票で歴史的勝利を収めた。リヨン、ボルドー、ストラスブール、ポワティエ、ツール、グルノーブル、ブザンソン、アヌシーの市議会で多数派を獲得し市長を輩出した。パリでは、社会党の現職イダルコ市長が緑の党と共闘して再選した。2020/07/04、緑の党ジャパン、http://greens.gr.jp/world-news/28611/
★5 【世界の若者に拡がる潜性イノヴェ-ションとイノヴェーションの共鳴/先進事例】[必参照資料]若者たちは強欲よりも社会的“目的”重視の賢いマネーを目指す/イノヴェーション・エディター、ジョン・ソーンヒル(622F.Times)629日経、ほか、https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/07/04/110943
(関連情報)
◆万事につけ驚天動地の起死回生策や特効薬などは決してあり得ず、例えば資本主義や新コロナが出現するよりも遥かな昔から、自然・生命・文化エトノス環境と多様な生命が連綿と存在し続けている意味をジックリ考えるべき時なのかも知れない。Cf.https://note.com/toxandoria2/n/n154c3422008e https://twitter.com/tadanoossan2/status/1291112223608250368
(参考資料)
将基面貴巳・著『政治診断学への招待/政治症候学としての暴政理論』(講談社選書メチエ/p186-195)から、「暴政」なるものの特徴を抽出し、列記すると以下のとおりである。
・・・著者について、ほか/紀伊国屋書店Web、https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784062583756より転載・・・
内容説明
政治の不正・異常・暴走をどのようにして発見し、それをいかにして正すべきか。医療における臨床診断の発想を政治理論に応用し、政治のあやまちを正す理論を確立するべく、古今東西の政治思想史を、大胆かつ精緻に読み直す。気鋭の政治学者による大いなる挑戦。
目次
第1章 政治危機の把握はなぜ難しいのか(ナチ・ドイツとフルトヴェングラー;大日本帝国と矢内原忠雄 ほか)
第2章 政治理論の医学的モデル(政治体の解剖学;四体液説―政治体の生理学 ほか)
第3章 政治診断学の構想(統治術から政治監視術へ;診断学の思考様式 ほか)
第4章 政治体の治療学へ(東西の治療メタファーの違いとは;西洋における治療メタファー ほか)
終章 現代政治を診断する視角(政治症候学としての暴政理論;政治診断学の懐胎)
著者等紹介
将基面貴巳[ショウギメンタカシ]
1967年横浜市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。英国シェフィールド大学歴史学博士課程修了(Ph.D.)。専攻は政治思想史。ケンブリッジ大学クレア・ホールのリサーチ・フェロー、英国学士院中世テキスト編集委員会専属研究員、ヘルシンキ大学歴史学科客員教授などを歴任。現在、ニュージーランドのオタゴ大学人文学部歴史学科専任講師(現在は、同大学教授/補記、xandoria2)
・・・
(1) 政治社会内部において内部分裂を惹起する
・・・正当な理由なしで有力者を失脚させる、同じく賢人を追放する、そうすることで彼らが、「暴政」の実態を暴き、民衆を動員した「暴政」打倒の動きを未然に封印する。現代で言えば、有望な政治家や有力者の唐突な変死事件、正体不明の勢力による謀略的なスキャンダル暴露や風聞の仕掛けなど。または、中立・公正な立場の学者・知識人や有能で真剣なジャーナリスト、あるいは教育現場への排斥・圧力・弾圧などの横行。
(2) 市民生活を低下させ、市民とその財産を濫用(搾取、浪費)する
・・・「暴政」は、社会を格差拡大で分断し腐敗・混乱させることでその命脈を保つ。それは、社会を構成する集団の間に意図的に対立関係をつくり社会全体の市民共和制的な意味での連帯を困難にする。物質的にも、市民生活を可能な限り貧しい状態にする。そうすれば、過半の市民は日々の糧の入手で忙殺され、「暴政」を批判するゆとりがなくなる。さらに、過酷な経済競争(限られたパイの争奪競争、過剰な市場原理主義による弱肉強食状態)や戦争を引き起こせば一層「暴政」の効果が大きくなる。
<補足解説>
(1)、(2)は14世紀前半に活躍したローマ法学者バルトルス・サッソフェラート(Bartolus de Saxoferrato/1313‐57/近代国際私法理論の淵源たるローマ法大全への注釈で名高く、それは18世紀まで全ヨーロッパの共通遺産としての地位を保った/バルトルスのローマ法・注釈は、公・私法のさまざまな分野で北イタリアの市民生活に効果的解決をもたらし、1544年にはパドバ大学にバルトルスについての講座がおかれ、ヨーロッパ中の大学がこれに倣った。バルトルスは、北イタリアの市民共和制(コムーネ/comune)的な価値観がヨーロッパ中で共有されるルートを提供したと考えられる(参照 ⇒ http://www.yushodo.co.jp/ypc/y06064/no2.html)。
(3)ある政治体の“体液”の均衡が崩れると富の一極集中が起こり、その国の政治はモンスター(暴政)と化す
・・・ここでいう“体液”を“富の流れ”(現代風に言えば、経済活動で創造された付加価値分配の流れ)に読み替えれば、新自由主義思想と市場原理主義が我が世の春を謳歌し、強欲(ハイエナ)資本主義が跋扈する現代世界にそのまま当て嵌まる。
(3)は、14世紀の哲学者・天文学者ニコール・オレーム(Nicole Oresme/ca.1323-1382/ アリストテレスの著書をフランス語に訳したことなどで知られる/参照 ⇒http://www.medieviste.org/scr1/archives/000380.htmlが著書『貨幣論』で分析した「暴政」の特徴。
将基面貴巳氏がここで指摘する「暴政」の特徴を概観して驚くのは、これら“暴政の徴候”が、特に一強で向かうところ敵なしとさえ言われてきた自民党政権時代の現代日本の社会状況(特にそれは現下の安倍政権で顕著に表れている)、甚だ残念なことではあるが、新コロナ・パンデミックまでもが加わり現在進行中の惨憺たる社会状況(暴政の悪影響)にピタリと重なることである。なぜ、そうなったかについては、もはや多言は必要とするまい。
しかし、いまにして漸くではあるが、良識ある一般市民のみならず、広範な司法・法曹関係者らが中心となって、この現下の暴政に対する具体的な批判の動きが芽生えている(↓♨)。
♨ @SaYoNaRaKiNoさん/5月の第一弾(662人)に続き、第二弾の告発状(279人)が東京地検に提出された。これで法学者や弁護士ら計941人から告発される事態に発展。日本政治史上初の異常事態だ。安倍が犯罪を犯したのは子どもでも分かる事。日本の司法に正義が残ってるかどうかが今後問われていく。・・・https://twitter.com/SaYoNaRaKiNo/status/1291797064465055750
・・・2020.08.06 18:30テレビ東京ニュース・・・桜を見る会告発状279人分提出/桜を見る会の前夜祭を巡り、全国の弁護士や法学者ら279人が公職選挙法違反などの疑いがあるとして安倍総理大臣ら3人に対する告発状を東京地検に提出しました。告発状を提出した団体は5月に662人分の告発状を提出していて、今回を合わせると941人分になります。告発状では桜を見る会の前夜に開かれた食事会で、少なくとも1万1,000円する飲食物を提供したにも関わらず参加費として5,000円しか徴収せず、差額を提供したと訴えています。https://www.tv-tokyo.co.jp/news/original/2020/08/06/012867_amp.html?__twitter_impression=true
[完]
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