イベント開催への想い
あちらこちらでお知らせさせていただいているように、
2024年5月25日「多様なまなびマルシェ」というイベントを主催させていただきます(尾張会場)。このイベントを主催すると決めたとき、主催者としての「想い」を言葉にしようとして、自分でも思いがけない「深い想い」が出てきてしまったので、それを書いておこうと思います。
今までも、イベント要項やInstagram、ホームページなどに「想い」を載せたのですが、ここに書いておくのは、表向きには載せにくい「もっと深い想い」です。
私は現在は、スクールカウンセラーとして、親として、日本の「学校」についていろいろ考えていて、どちらかというと課題を感じることのほうが多いのですが、私自身の学校生活には、それほど嫌な思い出がありません。
小中学校時代は勉強が苦にならず、先生や友達といった人間関係にも恵まれ、楽しく過ごしていました。でもそれは、あるていど「お勉強ができた優等生だった」ことが大きく関係しているような気がします。
学校特有の理不尽なルールや価値観の押し付け、窮屈感などを感じてはいたのですが、優等生の位置にいるだけで、それなりに認められ自己肯定感も維持され、多少の理不尽さはスルーできるような、そんな感覚がありました。
でも、私ほどは勉強ができなかった年子の弟の学校環境は、そうではなかったように思います。
年子だったので客観的に把握するほどの余裕はなかったのですが、なんとなく学校生活に苦労している様子は感じていました。ものすごくできなかったわけではなく、真ん中くらいの学力で、友人も多くて明るく学校に通っていましたが、どこか不全感を持っているような、私以上に「決まりきったこと、あたりまえのこと」に疑問を感じつつ、それを表現する術がないような、そんな様子だったと今は思い返します。
その弟が、高校1年生の2回目の定期テストの初日の朝に、自ら命を絶ちました。
遺書もなにもなく、前日まで普通(に見えた)の様子だったので、まさに青天の霹靂でした。
当然「なぜ、なぜ、なぜ」を頭の中で繰り返しましたが、あまりのショックもあり、私はそのあと自分が生きていくために、「なぜ」を真正面から考えることを避けてしまいました。
だから40年近く経ってしまった今、彼の自死の原因は謎のままです。
ただ、定期テストの初日の朝だった、という事実を、最近改めて思い返すのです。
もちろん、学校や勉強やテストだけが原因ではないと思います。
家庭にも彼自身にもなんらかの要因があったんでしょう。
私は心理士なのに、このことが要因で自死研究などはなかなか触れることができずに今日に至るのですが、自死を誘発しやすい精神疾患や生得的な脆弱性などの知識はあります。今となっては確かめようがないそんなものも、あったのかもしれません。
それでも、毎日毎日長時間過ごす場所である学校が、ある程度希望を持って進学したであろう高校が、もっともっとあたたかく優しい場所であったなら。
たいして意味もないのに、まるで重要な分岐点であるかのごとく強調されて、点数化して比較される、テストみたいなものがなかったなら…。
そちら側に一歩踏み出さなかったのでは、と思ってしまいます。
今となっては、常日頃から思い続けているわけでもない弟のことが、初めてのイベント主催への想いの中で湧き上がってきたのは、自分でも少し驚きました。
でもそれは、私という人間の中で、あたりまえにつながっていたことで、今まで意識せずにいたことの方が不自然だったのだと思います。
切り離せないよ、つながっているよ、と弟に言われたような気がしました。
ひとりひとりがその個性に合った学び方を選べる社会へ
/任意団体machiすく理念
不登校のまま元気になろう/第1号ブログタイトル
自分たちで「つくる・かえる」学び、町、社会/今回のイベントコンセプト
私の中から出てきた言葉はみな、どんな子にも自死を選ぶようなことになってほしくない、という深い想いにつながっていることを、これからはちゃんと伝えていきたいと思います。
そのために自分にできるひとつとしてのイベント開催に向けて、あと1ヶ月頑張ります。