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近代世界システムの崩壊とその対処
なんか「第二分冊」の概要という気もしてきた(^^;
今まで(ここ数百年)
資本主義的世界経済と覇権国家の存在、搾取的な経済構造(中核・周辺・半周辺)を構成要素とする「近代世界システム」によって、世界は支配されてきた。一方で、経済的に余裕のある「中核」の国々でイノベーションが進んできたのも事実ではある。
そして「覇権国家」の価値観(要は西洋文明の価値観)に基づいて、世界は支配されてきた。
近年起こった変化
アフガニスタンからの撤退に象徴されるように、アメリカが「覇権国家」の座から降りた(降りざるを得なくなった)。
今の世界には、アメリカに替わる「覇権国家」たりうる圧倒的な力を持った国家がないので、このことは「たった一つの包括的な価値観」に支配された世界から「多くの理にかなった包括的価値観」の存在する世界へと移行することを意味する。
(因果関係がある気もするが)これとは別に、産業社会と知識社会の混在が明確になってきた。
これから
「異なる文明(価値観)」の取り扱い
アフガニスタンからの撤退に象徴されるように、異なる文明の内部の出来事には、基本的に他文明は干渉できなくなった。
一方で、異なる文明の接点において、ハンチントンさんが言うような「フォルトライン」の紛争が発生する。パレスチナ問題はその象徴的なもの。
ロールズさんの「政治的リベラリズム」における「相容れない理にかなった包括的価値観」を共存させるための考察は「法の支配」を成り立たせる「力(暴力装置)」を必要とするので、国際的な成立は難しいと私には思われる。(ただ、私は十分な理解をしているとは言い難い。)
適切な経済的互恵関係の構築
物質的にまだ豊かではない発展途上国においては、資本主義が有効な考え方であるが、物質的に十分に豊かになった先進国ではそうではなく、あらたな仕組みが必要となると思われる。
このため、先進国と発展途上国が異なる価値観を持つことを前提として、先進国と発展途上国が、経済面で互恵的な関係を構築することが望ましいのではないかと考える。
すなわち「相容れない理にかなった包括的価値観」を共存させるために、ロールズさんは「政治的構想」を模索したが、私は「経済的構想」を模索していると言えるのかもしれない。
これは、システム科学で整理されている、システムの安定性の三要件(レジリエンス、自己組織化、ヒエラルキー)のうち、ヒエラルキー(情報の適切な流れ)を述べているのかもしれない。すなわち、異なる文明間においては(情報はあまりやりとりせず)金銭的・物質的な交流に重きを置く、という感じ。
先進国における課題
以上のような考察を前提としつつ、先進国は、ポスト「近代世界システム」でのあり方を模索し、発展途上国に対して、未来のありようを示す必要があると考える。
私の仮提案
たとえば(インフレ率が高い時には減額し、インフレ率が低い時には増額するような)ベーシックインカムを先進国では導入し、無駄な消費を抑え、エッセンシャルな活動にリソースが注がれる状況を先進国で作るのが望ましいのではないか、と私は考える。
ベーシックインカムの導入は、たとえば、ピケティさんが示したr>gに象徴されるように、格差が生まれやすい資本主義への処方箋としては、意味があるのではないか、と思われる。
こういったベーシックインカムの導入を前提として、前述したような、発展途上国と先進国の互恵関係が構築できるのかを私は考察したい。
ただ、たとえば、先進国の消費が抑えられるので、発展途上国の輸出先の市場として規模が小さくなってしまうという欠点はすぐに思い浮かぶ。
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