うつり変わる相模大野と周辺施設
相模原市はかつて僕が小学1年から卒業するまでの6年間にわたり住んでいたところ。最寄り駅は相模大野で、当時の女子大通りの横には使われてない米軍の病院施設があり、その施設の周りは高いコンクリートの壁で囲われていた。
卒業後すぐ県内南部へ引っ越してしまい、しだいに相模大野へ行く機会は自然と減っていった。その後、駅前周辺のコンクリの壁はすっかり取り壊され、バブル経済とともに1980年代後半から大きな発展を遂げ、米軍病院跡地には高層マンションや商業施設、公園や市民ホール、デパートなどが次々と建設された。数年後、大野を訪れた僕はその変貌ぶりに驚いたことがある。
当時、小学生だった僕は進学塾に通っていた。その塾は大野銀座通りの奥のほうに入ったところにあった。なので僕の小学生の思い出のひとつといえば、大野銀座通り商店街といっても決して大げさな表現ではないといえる。この商店街も大きな開発の波にのまれ、駅周辺の多くの店が立ち退き、昔の街並みが消滅してしまったエリアだ。
当時の記憶に残っているのが、大野駅の西側にあった西友とその向かいの緑色の外壁に塗り替えられたエルナードというビル。西友の中には無印良品のコーナーがあって、分厚い再生紙を使ったメモ帳やシルバーの金属のペンケースを買った覚えがある。ちなみに買ったメモ帳は、ほとんどパラパラ漫画に使われた。
一方、エルナードは当時からさびれた感じがあり、ひと気もなかった。そのビルの中には怪しい団体の事務所が入っていて、なかなか立ち退かないことを聞いたことがある。それから周辺には父親と一緒に田宮のラジコンのプラモデルを買ったオオヌマ文房具店、また、クラスメイトの両親が経営していた八百屋さん、花屋さん、お蕎麦屋さん、兄の友人のとんかつ屋さんなどもあったが、開発によってすべて姿を消してしまい、今や僕の記憶の中にしか存在しない。
近年、百貨店の閉店のニュースが相次ぎ、相模大野の伊勢丹が撤退したのも記憶に新しい。相模大野にある旧伊勢丹相模原店は解体工事をしている段階で、その跡地には地上41階、地下3階の高層マンションとその一部に店舗の入る複合施設が造られるそうだ。竣工予定は2025年3月末で、相模原市内で高さが一番高いビルになるという。
日本の多くの場所で古い建造物はスクラップアンドビルドされる傾向にあるが、個人的にすぐに建物を取り壊してしまうのは反対だ。確かに日本のように地理的な環境や気候も影響しているが、ヨーロッパやアメリカのようにリノベーションやリフォームを施し大切に扱うカルチャーはまだしっかりと根付いていない。
いま相模大野は時代とともに栄枯盛衰を経て、新たなフェーズを迎えようとしている。最近では相模大野銀座通りをはじめとする商店街の飲食店同士が協力してイベントを積極的に開催し、精力的に町おこしの活動に取り組んでいるのに注目したい。
先日、久しぶりに相模大野に訪れたのだが、大野に行くと必ずと言っていいほど立ち寄るお店がある。そのお店は、ちょうど大野銀座通りの入り口にあたる、アーケードが立つすぐ横の通りに店舗を構える海鮮丼のテイクアウト専門店「大漁丼家」さん。
いつもそこはお昼になるとリーズナブルで新鮮なネタを求め行列ができるリピーターの多く集まるお店だ。そこで僕は47番の「魚市場丼」をテイクアウトしてみた。
品数はざっと見ても50数種類あり、季節によって特別なメニューも提供している。今回オーダーした丼は5種類もネタが入っていて、かつ良心的なお値段で味も申し分なかった。
毎回訪れるたびに変化していく相模大野だが、旧伊勢丹跡地に新しく建設される高層マンションと商業施設が今後どのような影響を町に及ぼしていくのか気になるところではある。町おこしの活動をしている一人として、僕なりに今後の商店街の発展をサポートし、新しく建設されるマンションや商業施設、そして昔からある商店街が共存していくような世界をめざしていけるよう取り組んでいきたいと考えている。